見出し画像

雨の日の夜と淋しい午後は

高校生の頃、ある先生が好きだった。
授業はつまらなかったけど、声の素敵な人だった。
やっと聞き出したら、先生は結婚してお子さんもいた。

高校卒業後は年賀状と暑中見舞いを交換するお付き合い。
私は大学卒業後、就職の報告がてら先生に数年ぶりにあい、飲みにいった。忘れられない3月22日。帰り道、キスされた。
一瞬何があったか分からなかった。好きだった人、でも手の届かないはずの人だった。刹那、私は唇のぬくもりを味わい尽くしたくなった。先生の首に抱きついてキスをかえした。その時、世界には私達二人しかいなかった。
幸せだった、まちがいなくこの時私は幸せだった。

初めてみる先生の男の顔、初めてみせる私の女の表情。
桜の咲き始めの頃、まだ寒い夜の街にさまよい出た二人。己のおかしたことの大きさを知るのは、朝日が昇ってから。
家に帰って我にかえった。私は中学高校と父親の不倫とDVで苦しむ母をみ、私自身も黒い家でもがき生きてきた。不倫をしている自分が許せなくて、自分を責めて責めて責めた。

この時期、初めての彼氏と付き合っていた私。心を占めるのは先生だけ。彼にありのままを打ち明けて別れた。同い年の男しか知らない私は、大人の男からすればなんて無防備な草食動物だったのだろう。

それでも、先生に逢いたくて。こちらから電話をしないと逢えない関係。人目を避けて公衆電話からこそこそと連絡をとった。

月が替わって、私は社会人になった。初めての職場、初めての仕事、初めての人間関係。仕事は楽しかった。でも、ふと気を許すと、先生への思いがズキズキと痛む。

幸か不幸か私の職場は平日に休みがあった。だから何度かデートした、私から電話をして。堂々と平日の昼間に川辺でデートしたり、外食したり。妙に明るかった。

ベッドに入れば、女に慣れた中年のテクニックの前では罪悪感など寄る辺もなかった。先生の背中はとてもすべすべしていた。アトピーでざらついた私の背中とは大違い。それでも22歳の肌は41歳の中年にはまぶしくうつっただろう。

先生は転職していて夏に海外赴任がきまっていた。それに合わせて私たちは別れた。最後になって先生は私に好きになったと言い、そして綺麗に別れた。
別れがきれいすぎたがゆえに、私は先生をなかなか思い切れなかった。会いたくてたまらないから、連絡先を破棄した。私から何もできないようにした。それでも苦しかった。先生はあまりにも鮮やかに記憶に刻まれ、顔も声も鮮明に思い出せた。

あれから30年ちかくがすぎた。先生の連絡先はおろか消息、生死すら知らない。
なぜか今でも、あいたいと思う。あいたいと何年も思い続けている。今だからできる話があると思うと居てもたってもいられない。
30年近くたった今でも顔も声も実に鮮やかに思い出せる。

主題歌 さだまさし「雨の日の夜と淋しい午後は」
 ※本人が歌っている動画がなかったので、初音ミクバーションです


お読みくださりありがとうございます。これからも私独自の言葉を紡いでいきますので、見守ってくださると嬉しいです。 サポートでいただいたお金で花を買って、心の栄養補給をします。