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あなたの人生を見届けようか
中学校で出合って、ずっと友人として過ごしてきた彼。三十数年目(!)にして初めて私の誕生日にお祝いメールをくれた。
私はここ20年くらい、彼の誕生日にはずっとお祝いのメールを贈ってきた。なのに、私の誕生日はノーリアクションだった。彼にとって私は異性の友人。男性は友人の誕生日を覚えていない人が多いのだろうと、流してきた。
それが、突然の、初めての、Happy Birthday。今になって、この歳になってやっと。驚いた、喜びがこみあげた。なぜかすごく嬉しい。
嬉しいのだけれど、逆にどういう風の吹き回しか、何かあったのかとも思う。持病の経過が思わしくないのかと心配になる。
そう、私たちは50代。白髪・老眼をはじめとして肉体にもいろいろガタがきている。
私はまず、彼の健康を祈る。
* * *
思えば、私たちが一番恋愛に近かったあの頃、彼は私の誕生日を覚えていなかった。他にも要因は色々あったけど、決定打になったのは誕生日の件。お互い独身だったあの時、来月にせまっていた私の誕生日を覚えていてくれたら、今頃は違う関係だったかもしれない。今更だけどね。
友人だったから、今まで続いてきたのかもしれない。恋人になっていたら、お互いの重さに耐えかねて、言い争いが絶えなかったかもしれない。容易に想像がついてしまう。そして破局を迎え、結果友人にも戻れず、縁が切れていたかもしれない。
当時の彼の気持ちが本当はどうだったかは、もちろん知らない。
一つ確かなことは、あの時私は彼の彼女になりたかった。恋人だけにみせる素顔の彼をみたかった。彼を抱きしめたかった。
あの頃、私は彼を好きだった。
* * *
あれから20年の時が流れ、私は別の男の妻となり、彼は独身だ。彼の恋バナは一度もきいたことがない。私のことを…というのは、おばさんの妄想だろう。私の夫は両手で優しくヒヨコを包み持つように妻を扱う、稀有な愛妻家だということも彼は知っている。
彼とはスピリチュアルで言うところの、ソウルメイトなのかもしれないとも思う。関わりあっているからこそ成長できるような、精神でつながり続けるような。
一つだけ確かなことは、私は男としての彼を全く知らない。
40年見続けてきたのは、友人としての、一人の人としての彼の姿のみだ。
私の人生で一番辛かったとき、私の背中を支えてくれたのは彼だ。その後の人生でも様々な話をして、ずっと彼に支えられてきた。
私は彼と、どちらかが死ぬまで友人であり続けていたいと願っている。
これからも、彼への感謝を折に触れて伝え続ける。伝えそびれて後悔することだけはしたくない。
* * *
これからは毎年互いに「Happy Birthday」を交換できるといいな。あと何回分の時間が残されているだろうか。
「見守り続けるのも愛情の一つのかたちだ」、と彼は言っていた。ならば私は今後の彼も見守ろう。
そして、40年ちかいの時間の重さと、積み重ねた付き合いの濃さと、注ぎ注がれた思いのすべてをこめて、彼の人生を見届けようか。
いずれどちらかの葬式に生き延びた方が出席する日がくるまで、生き様を友として見届ける。そんな関係もいいものだ。
私が死んだら彼に連絡するようと、エンディングノートに記してある。
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