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恋人にならなくても 愛してる
互いの中学校の制服姿を知っている、私たちは異性の友達。今はすっかり白髪交じりの、おじさん、おばさんになった。彼と最後に会ったのは去年の初夏。初めて入った店はログハウスのようで、妙に落ち着いた。
乾杯!、ビールの注がれたグラスをあわせた。厚みのある涼し気なグラスの底から立ち上る泡が、テーブルの上のダウンライトに光って、虹色にみえた。一気に喉に流し込む、この瞬間がたまらない。
酔いが回るほどに、彼は饒舌になった。口元にグラスを運ぶ彼の笑顔は、いつも穏やかだ。彼は学ランを着ていた頃から変わっていない。それは、とても大きな安心感を与えた。
あれから1年以上が過ぎた。彼と飲む機会はない。お互いの仕事の休みが合わずなかなか会えないまま、コロナの流行が始まった。
一緒に飲めることは当たり前だと思っていた。それが突然、「特別」になった。彼と会えば、話せば中学生の自分に戻れる。彼との時間は私にとって、とても大切で特別なものだ。メールのやり取りは続けている。
そのメールで最近、彼の気持ちに気づいてしまった。それはメールに書かれたある一文。文脈から浮いた言葉は、ひたすら隠してきた彼の気持ちを私に教えてしまった。
ひたすら見守り続ける、人生の最後まで見守りつづける覚悟の愛。なんて重くて、深い愛情。穏やかな彼はその心の内に、こんなにも熱く固い決心を抱いていた。
今まで少し不可解だったけれど、意識の奥底に眠らせていたエピソードの数々。それが突然つじつまが合って、意味が明確になった。
長い付き合いの中で、ほのめかされたことさえなかった。私が既婚となって多くの時間が流れてた。その間ずっと? 私は夫が大好きで、メールに夫の話も何度も書いていた。あーあ、一体どんな気持ちで…
はあぁー、大きなため息が出た。ここ数日、夫が寝静まった後台所で一人、ハイボールを缶のまま飲みながら考え込むのが習慣になってしまった。缶の黄色を見ていると、元気が出てくるような気がする。
どうしよう。はっきり告白されたわけではないから、気が付かないふりはできる。きっとそれが一番無難。私が夫を大切にしているのは彼も知っている。
気持ちを悟られたと知ったら、彼は私との関係を切るだろう。それは嫌だ。長い付き合いのゆえに、交わした会話の多さと深さゆえに、彼は私の人生の一部になっている。とても大切な人だ。私は縁を切りたくない。でも彼の気持ちは受け入れられない。なんてわがままな言い分だろう。
あの時、おいしそうにビールを飲んでいた彼の顔が浮かぶ。一緒に過ごした数々の場面がよみがえる。学ラン姿、ギターの弾き語り、コンサートの帰り道、共通一次試験会場でバッタリ会ったこともあった。初めてお酒で乾杯した夜、遠方に就職した彼を駅で見送った朝、初冬のドライブ・・・。人生の四分の三の時間を関わってきた。思い出も膨大だ。
そう、彼は私の人生の一部だ。こんなに大切な友人を、いまさら恋愛のゴタゴタで失いたくない。彼もそう思って、長い間私に思いを告げなかったのだろう。
何も気づかなかったふりをするしかない。それしかない。鈍い私を演じきろう。彼との縁を切らないために、名女優になりきるしかない。
今度一緒に飲んでも、彼はきっと、いや必ず、何も言わないだろう。これまでと同じように。きっと私は、彼の瞳の奥をのぞき込んで勘ぐってしまう。それでも、今までのように笑って乾杯しよう。彼への複雑な思いはビールの泡に溶かして、喉の奥に一気に流し込もう。
おじいさん、おばあさんになっても、笑顔で乾杯できるように。生涯の友達でいられるように。
彼を人として愛しているから。
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