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夜明けの晩に大黒天と出逢う


大黒天を描きました



出雲に暮らした、2、3年ほど前のこと

以前から、民家や住宅街の景色、そこだけにしかない生活感が好きでよく歩いては観察をしていた。
出雲の民家は瓦の色が素敵だったのでいい景色だなぁと思う事が多かった。
そこでは家の鬼瓦に大黒天の顔が装飾されているものが多いことに気づき
「あ、また居る…」なんて毎度やっては興味を持った。
何しろそこだけ色が違うから目立つし、どことなくシュールな面白味がある。
徐々にじわじわとくるシュールさって、いいですよね。

大黒天鬼瓦


名の音が似ていることから出雲大社の御祭神 『大国主大神』と習合して今のカタチとなったようで、出雲周辺では大黒様として親しまれていた。(土産屋には大黒様グッズとかも売っていたと思う)

大黒天の絵はその頃にラフだけ描いてそのままだったもの。
それから暫くは気にすることもなかったのだけれど
最近になってまたふとちょくちょく頭に浮かんできたので完成まで描き進めてみることにした。

なんだか広島でも大黒鬼瓦をよく見かけるのだ。
調べるとこれらは島根県西部の石見(イワミ)地方で生産されている石州瓦に繋がっているようだ。
石見銀山には以前訪れたことがある。
つい最近にも山へと龍頭の滝を観に行った際に、ものすごい岩壁とその穴の中の鍾乳石を祀った神社へ呼ばれたので↓

厳かなエネルギーに包まれ岩部を撮る余地はなかった


不思議な洞窟の空気感を鮮明に想い出す。
行った場所の周辺は美しい石垣だらけ。古い時代のもありそうだった。
エネルギーが凝縮され結晶化した塊である鉱物、石を扱い生きてきた人類の古き記憶の風が吹いてくる🍃

最近興味津々で学び中の『言霊』だったり
今暮らす島には切石山と言ってなかなかに素敵な岩の突き出たパワースポットがあるので
徐々にその意味と親しみが深くなりつつある『磐座』からのインスピレーションが相まって、様々な繋がりのイメージが湧き上がる。
全ては相似象、意識及ばずともシンクロニシティで成り立っているこの世
何故今大黒天なのか、自然と読み解きを始めてしまう…

20232/27切石山からの夕陽。瀬戸内海の島々と四国が観える。瞑想スポット

大黒天のルーツは‬ヒンドゥー教シヴァ神の化身、マハーカーラ

…という記述がある。
マハー‥偉大なる
カーラ‥暗黒( 時を超越した死、すべてを包含する包括的な性質)
→大黒天
マハーカーラと調べると恐ろしい形相の神像が出てくる↓

マハーカーラ(wikipediaより)

五穀豊穣、ふくよか、笑顔の福の神的な大黒天とは見た目は全く異なる。
大日如来の化身である不動明王だったり
以前絵のテーマにしたことのある牛頭天王も調べると恐ろしい形相の絵ばっかりだけど、豊穣や守護を司るので
色々と繋がり同じような働きの象徴と思ってよさそうだ。

2020年に描いた牛頭天王。
コロナ流行で混沌としたエネルギーを鎮める祈りを表現したくて繋がった

シヴァ神は、破壊と再生の働きを擬人化させたキャラ


現在名づけられカタチ作られている神様というものは、森羅万象を司るこの宇宙の働きに対するアニミズムからのキャラクター化と捉えています。
破壊と再生は草木の季節の移ろいでも捉えることが出来る現象。
して裏表一体の関係。

昔、宗教で描かれる神様って本当に特別な人間のカタチの存在が居たのでは…。もしくは宇宙人か…とかそれらの神様はどこかに居るものだと思うこともありましたが
この世の万物を司る現象のメカニズムを現す表現方法のひとつと認識してからは
語り継がれる神話だったり、宗教的な絵や彫刻、伝わる唄のように、暗号のように言葉を扱う、その個性豊かな表現方法は新たなアート作品に触れ合うことと同じ感覚を得ます。

もののけ姫のシシ神様が頭に浮かぶ…
まさにジブリも観て聴いて継がれる新たな神の物語
シシ神は最後は花咲爺となって全ての中に溶け込む…

そういうことに想いを馳せていると、日本のアニメ文化って本当すごいなと毎度感動するのです。
草も動物も物も肉体だって細胞1つだって全部同じ働きのリズムによってここに存在する「命」と言う考え方に結びつく。
現世は飽和の時。偉大なる暗黒の時

長きにわたりヒトが経験してきたものごと全てが解け混ざり合う時。
それは今世この肉体のみにあらず時を超え、全ての経験の記憶を含み、黒となる。
あらゆる絵の具を混ぜると黒になるように。、黒は全ての光の波長を吸い込む色。
中心の一点に凝縮される質量のブラックホール。
マハーカーラ「偉大なる暗黒」
暗黒には恐怖心、悪魔、魑魅魍魎(ちみもうりょう)も蠢くがそれも玄理、自然のはたらき、カムナカラ

夜明け前は最も暗いというような言葉がありますが
夜明け前は実際に、最も冷えて凝縮された重い空気が地を覆う。
しかし、それらは朝日を浴びると熱を帯び、軽くなり、羽が生えた様に澄んで上へ上へ昇る。

闇から光へ抜ける時
大黒天とはそんな境目に起こるパワフルな変容現象のエネルギーであり、次の成長段階への扉を開く門番、守護神というイメージも浮かぶ。
それは人の精神世界でも相似象なのだろう。
魑魅魍魎と対峙する時
ほんの少しの勇気、火を放てばそのエネルギーは変化、変容し、軽くなって昇り拡がっていく。

黒(クロ)は言霊として
「観えないところであらゆるものを包括、吸収し根本が固まる働き」を現す音が込められている。
植物もまず根が成長しないと地上部は伸びていかない。種から出るのはまずは根だ。
根がある地点まで成長したら、解き放つ様に地上に芽を出し、そしてまた根を固め、次に本葉を出しまた次の成長段階へと進む。

飽和を迎えぎゅぎゅーと凝縮され出来た高熱質量のブラックホール
そのブラックホールから間欠泉の様にプスーッと解き放たれ立ち昇る柱
その解き放つエネルギーは「龍」とも表現出来る
龍は神話の中でもエネルギッシュで、荒々しくも表現されることが多い。
反対に水の流れる清らかさや立ち昇る姿は澄みわたる潔さのイメージもある。
千と千尋の美しく清い白龍のような…
そうしてまたジブリが出てくる。

その龍の背に乗り行き着く先に観える世界を光と呼ぶのか…


笑顔でふくよかな大黒天

元々恐ろしい形相のキャラであった大黒天が、時に持ち物を変えたり
満面の笑みで女性性を感じるふくよかなフォルムに変わったのはなぜだろう…

それについて読み解くは、闇から光へ抜ける時のメッセージ
まず「笑い」というものが闇の属性を中和、無効化させる効果があるのだと思う。黒に偏りすぎ重くて沈み込んでいるエネルギーに火を当て澄んだ状態にする。
怒りも悲しみも中立に戻す笑いの力。
そしてふくよかさは女性性の力。男性性に偏ったエネルギーのバランスを戻していく、全てを赦し受容する力。笑いと赦しは近いものかも知れない。
それらを備えてこの先へゆく。
「打ち出の小槌」

右手に持つは打ち出の小槌
欲しいもの、願いを唱えて振るとその通りのものが現れる。
打ち出の小槌は伝説で鬼の所有する宝物、異界を訪問した人物が土産として持ち帰ったなどと言われる。

鬼、異界…
いつの世にか存在し、「鬼」と伝えられた種族は、魂、意識の覚醒レベルが非常に高く
宇宙の万物創造の玄理を解していたため
言霊を唱え、何もないところから目の前に宝をあらわすというような
現在のヒトからしたらまるで魔法の様なことが、意識上の次元で可能だったかもしれない。
その次元の意識は同じ物理界に居ても全く観え方が異なり、それを教わり経験した人が、村に帰りそれを異界と呼んで話を伝えたのかもしれない。
鬼は恐れられるイメージもあるが、屈強な山の民で肉体ががっしりしている上に、すば抜けた能力を持っているとなれば…仕方ない。
人が理解不能な物事はよく恐れられ虐げられてしまうものだ。
それも肉体を持った人間の働きのひとつ。

と、まあ…それらは想像のことだけど
人がこの「偉大なる暗黒」を抜けた先へと成長し、澄んだ肉体精神を持ち、この世の玄理を真に腑に落とし始めることにより
本来の、想いや願いを現実に創り出す能力が格段に高まることを表しているのではないか。

そして左に抱える袋には七宝が入っている。
七つの宝の内容は「金、銀、瑠璃(るり)、玻璃(はり)、硨磲(しゃこ)、珊瑚(さんご)、瑪瑙(めのう)」とされている。
七宝は、耐えることのない永遠の連鎖と拡大、円満、調和を意味する。

打ち出の小槌を使いこなす者は
調和のとれた穏やかな場所から、永遠と円満に続きゆくこの世の美しい螺旋構造をいつでも眺める事が出来るのだろう…

いつかのお絵描き

大黒天からのメッセージをしかと受け取り、今を生き、闇を抜けて光へ成長していこう。
夜明けの太陽のあたたかさをただ感じよう。


偶像化・キャラ化された神様たちは、こうして見計らったようにタイミングよく現れてはその時に必要な者へ必要な気付きを与えてくれる。
それが持つシンボルの中にはたくさんの真理が包み込まれ、いつでも包を開けて中を観れる様に、そこに在る。そのエネルギーはカタチを変えても普遍的に存在し続ける。
いやぁ、本当にこの世界はアートだなぁ…!

さて
大黒天のマントラを唱えてしめよう

オン マカキャラヤ ソワカ
オン マカキャラヤ ソワカ
オン マカキャラヤ ソワカ


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