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小説: あむか、あでる: 第9話
夕食が終わり、お風呂も順番に入って、寝るまでのつかの間の時間。
みつ愛ハウスの少女たちは、一つ部屋に集まりパジャマトークを楽しむようになった。
あむかとマミの心が少しずつ通い合い始めていることがほかの女の子たちにも伝わるのだろう。
「お風呂場から階段までのところ」
5年生の田代淳奈が切り出すと、皆が一斉に「そうそう!」と声をそろえた。
「あそこヤバいよね」
「うん、ヤバい。あれ、絶対ワザとだって」
淳奈たちが言っているのは、2階の部屋からお風呂場まで行くには5メートルほどの廊下を通らなければならないが、突き当りにある食堂からは丸見えだという問題についてだった。
「しかもジョージがいっつもいるし」
「そうそう! パソコン打ってるフリしながら、目はチラチラと……」
ギャーと奇声を上げて盛り上がる。
「あ、それで思い出した。理科の菅原!」
「あー! わかる。かならず女子の肩に手を置くヤツでしょ」
「そう! そうやっておいて上から胸元を覗き込むように……」
ヤダー! とまたもや盛り上がる。
「なんか、うちらの周り、キモイのしかいないんですけど」と同じく5年生の瑠璃。
「あむかお姉さんも何かあった?」淳奈が水を向ける。
一瞬、ジョージこと院長の五十嵐にホテルに連れ込まれそうになったことを思い出した。が、まさかここで言うわけにもいかない。首を傾げ、やり過ごそうとしたが見逃してもらえなかった。
「あー! 今のは、なんかある顔だー」4年生の美咲もお姉さんトークに興奮気味だ。
「そりゃあるに決まってるでしょ。なんつったって“奇跡の美少女”だもんね」マミが意地の悪い笑みを浮かべてからかう。
「一個ぐらい教えてくださいよー」瑠璃がせがむ。「教えて、教えて!」と施設で最年少の3年生、陽菜まではしゃいでいる。
あむかは仕方なく話し始めた。ただし登場人物を五十嵐からマスコミの誰かということにアレンジするのを忘れなかった。話しながら皆の顔をさりげなく観察する。皆、興味と好奇心の塊のようなキラキラした瞳をして聞いている。良かった。五十嵐はじっさいに児童に手を出していないようだ。もしかしたら私の思い過ごしかもしれない。少しスケベなだけで、実行まではしない人なのかもしれない。
それにしても、大人たちの世界の暗い部分を、皆はまだ自分とは別世界のことのように思っていることがありありとわかる。このままでいいはずがないのに。
そのことが、どこか痛ましかった。
消灯の時間。
カチッと電気が消える。暗闇の中で、マミのくすくす笑いが聞こえてきた。
「あー、おっかしかった」と言ってみたものの、あむかが乗ってこないのを見て、「さ、寝よっと」と言い、布団をかぶりなおした。
夜中、あむかはトイレに行きたくなった。だがどうも気が重い。トイレは1階にある。
今、下に行ってはダメだ。そう本能が言っている。
とにかく、我慢できるところまでぎりぎり我慢しよう。
そう心に決めたその時、となりでごそごそと布団をめくる音。
マミが立ち上がる気配がする。
「あ……」あむかは声を出してしまった。
「あ、あむか、ごめん。起こしちゃった?」マミが申し訳なさそうに言う。
「ううん、眠れなくて……」
マミはあむかに笑ってみせ、ドアを開けようとする。
「あ、あの」あむかは呼び止めた。
「ん? どしたの」
ドアを出ていくマミに何か言わなくちゃいけない。行かせてはいけない。
だが何を言えばいいのだ。『いやな予感がするからやめろ』、あるいは『朝まで我慢しろ』とでも言えというのか。
「なんでもない、ごめん……」
マミはうなずき、ドアの外に消えていった。
今、自分は取り返しのつかないことをしてしまった。そういう自覚があむかにはあった。
このあと、マミの身に何が起きるのか、あむかは漠然と感じ取っていた。
まだ間に合う。立ち上がって、マミに追いつき、そばに寄りそう。そうすればマミを守ることができる。
でも──それをすれば、今度は自分の身が危うくなる。この施設にいる限り、それはきっと起こる。
どうせ誰か一人をいけにえに差し出さなければならないのであれば、自分以外の誰かがいいに決まっている。
それともそれが分かっている自分だからこそ、すすんで犠牲となるべきなのだろうか。
こういう愚にもつかないことをうだうだ考えているということ自体、私の心はすでに決まっているということだ。
私は逃げたのだ。マミを生け贄に差し出したのだ。
五十嵐は食堂のテーブルで書類を広げていた。仕事を片付けている風のカムフラージュである。
ノートパソコンの画面には、外国のアダルトサイトの非合法動画が映し出されている。
複数の男たちに押さえつけつれられている女性の顔に、茨あむかの面影を重ねてみる。五十嵐の血が暗く騒いだ。
施設を経営し始めてから2年。ようやく巡り合えた。自分好みの従順そうな美少女に。余計な事故のおかげでだいぶ待ちぼうけを食わされたが。ようやくほとぼりも冷めたし、もうそろそろいいだろう。チャンスが訪れたら決行だ──。
誰かが2階から降りてきた。階段の電気がつくのですぐにわかる。
もしあむかだったら声をかける。そして、確認してほしい書類がある、とか何とか言って、ここまで呼び込み、ポケットの中の、薬品をしみこませたハンカチを使って──そう心に決めていた。
だが、姿を現したのは御堂マミだった。
なんだよ、そっちか。まあ、いい。誘うだけ誘ってみるか。五十嵐は心の中でつぶやき、アダルトサイトを閉じた。
「おーい、マミ」パソコンキーを叩きながら、ことさらのんびりした声を出す。
「お父さん、これからファミレスにご飯食べに行くんだけど、一緒に行くか?」
マミは躊躇いがちに足を止めた。夜の静けさの中で、パソコンのキーを叩く音だけが響く。
「こんな時間に?」
マミの声には警戒心が混ざっている。
「ああ、仕事が終わったところでさ。せっかくだし、美味しいものが食べたいと思ってね」
五十嵐は画面から目を離さないまま、さりげなく続ける。
「そういえば、ケータイの調子が悪いんだって?」
マミの表情が微かに変化した。
「前から気になってたんだ。みんな持ってるのに、マミだけ古いままってのは可哀想だよな」
五十嵐は、やっとパソコンから目を上げ、優しげな笑顔を向ける。
「新しいの、買ってやってもいいぞ」
マミは言葉に詰まった。欲しい。でも、なんとなく怖かった。でも、この機会を逃したら……。
「今度でいいよ」
マミは踵を返そうとする。
「セールは今日限りなんだってな」
五十嵐は立ち上がりながら、さりげなく言った。
「今月末、新機種が出るだろ?あれ、今日中に予約しないと割引きがなくなるらしいよ」
マミの足が止まる。壁の時計に目が行く。11時を過ぎている。
「……いくらぐらい?」
マミの声が少し震えていた。
五十嵐は満足げに微笑んだ。
「値段のことは気にしなくていい。可愛い娘にはいいものをやりたいもんさ」
マミは深く考えることを止めた。目の前にぶら下がったチャンス、今つかまえないと。
「……マジで?」
「ああ。くわしいことは、ファミレスで作戦会議だ」
五十嵐はパソコンを閉じ、ゆっくりと立ち上がった。
あむかは、布団にもぐりこみ、じっとしていた。
マミは戻ってこない。
やがて、かすかに車のエンジン音がしたかと思うと、すぐに聞こえなくなった。
(つづく)