コンプレックスじゃなくて、これは呪いだよ
「顔が良いって、得だよね」
指から血を流しながら、私は文章を書き続ける。私は自分を見てもらう方法が文章以外、よくわからない。
信じられないのだ。容姿や行動を褒められても、素直に受け止めることができなかった。根底、私は私をよく思っていないのである。
だが「文章」だけは違った。
自信が持てないことも多いが、「これは良いのが書けた」と思える瞬間がある。容姿や行動で自分を肯定できることは、ほぼ無いと言っていいが、文章だけは違ったのだ。
学生の頃、容姿が原因でいじめを受けた。人に見られることを必死で避けた。人の目を見ることはできなくなった。目が合ってしまえば、自分が見られていることが確定してしまうのである。それはとてもおそろしいことだ。
私は笑わなくなった。素の顔がこんなにも醜いというのに、自分の笑った顔を想像しただけで吐き気がした。もとより、私は上向きの感情表現すら、自分には許されないと思っていた。幸せに、豊かになろうとする隙を一瞬でも見せれば、私はぼこぼこにいじめを受けていたからである。
だが、文章は違う
文章だけは自分を肯定できる。守れる。
文章を書いて、それを読んでもらえるときは、私のこの醜い顔を見られることがない。想像されることはあっても、正解はない。どれほど誰かに虐げられ、私自身が無能であっても、"文学"だけは私を平等に見てくれた。朝の日差しのように柔らかく微笑んでくれた。
そうして私は朝から晩まで書き続けた。ひとり、書いているときだけ、生きることができた。だけれど、書いているだけでは生き続けていけない。社会に出て、働かなければ人は自分の生活を守れないのだ。
学生時代はいじめられてもよかった。私は私で勉強していれば、卒業することはできるからだ。幸いにも、私のそれすらも妨害されるような扱いは受けなかった。
社会人生活は厳しかった。一匹狼のように強くいられたらよかったのかもしれないが、そうなれる人は一握りだろうし、望んでいる私の生き方でもない。
とにかく頭を下げて、今度は笑った。笑って、いい人間を自分に刷り込ませ、相手の懐に入ろうとした。「私は優しい人間」「私は、あなたのためを想って尽くす人間」であることを徹底した。それはなぜか。稼ぐためである。
稼がなければ自分の生活は守っていけない。文章を書く時間は次第に減っていき、私は馬車馬のように働き続ける。
私の容姿は変わっていない。こっぴどく虐げられたものだ。大人になったから皆そんなことに時間を割いたり、快楽を得ないものと思うかもしれないが、学生と大して変わらない。むしろ自分にかかったストレスのぶつける先を、大人たちは本能で探している。
それでも私は笑った。笑って笑って、稼いで、自分の容姿をお金で少しずつ治していくことに決めていた。平凡に生きていくために治すのである。このお金があれば、世界旅行にもいけたはずであるのに、私は毎朝の洗面所で対峙する自身の容姿を平凡にするため、そのためだけに、汗水を変換していった。
何度も思った。このお金で、あれができたのに、これができたのに、と。だけれど、このままの人生を歩み続ける痛みに比べたらと思うと、前進し続けることができた。私の治したコンプレックスは——
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