復職できそうもない私が、やりたいこと10個書き出して見えてきたもの
いいかげん気づいている。
私だけではないはずだ。
散々正社員、アルバイト、派遣、日雇い等々やってきた。私は10年ほどそれらを転々とし、まあ、とりあえず生きてはこれた。
現在私は会社で適応障害となり休職しているため、復職、ないしは必ずどこかで再び就活しなければならない日が来るだろう。
だがどうだ。
それでいいのかと自分自身に投げかけている。
新卒で入った会社はブラックだった。だがその後転職した会社で正社員をやって私はどうだったか。他にもアルバイトならやれる気がすると思ってやってみたが、どうだったか。結局人間関係に悩み、責任やプレッシャーに襲われ、他者の目を気にし、病んで病んで身体と心を壊し続けてきたのだ。やりたくないことをやって。
そして極端に厳しい環境ではなかったのに、続かなかったのだ。
そろそろ、確実に見つめ直すときである。
自分のこれからを整理する方法のひとつとして、まずはやりたいことを10個書き出してみようと思う。
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1.出版したい
いきなりやりたいことのメインディッシュをひとつ目に持ってきた。これが常に今後私の人生のゴール、軸になってくるだろう。
私は文章を書くのが好きだ。
30年以上生きてきて、結局私が迷いなく「好き」と言えることは文章を書くことだけだった。
学生の頃も、社会人になってからも、ずっとブログや紙のノートに自分の想いや経験を書き連ねてきた。恥ずかしげもなく言うと、私は自分の書いた文章が読まれたいのだ。そして自分で自分を認められると同時に、人からのあたたかい言葉を一番素直に受け取れる、その行為が"書くこと"だった。
会社でいい仕事ができた。それによって人が例えば私を褒めてくれたとする。それはもちろん救われるような気持ちになったり、やってよかったと思って安心したりもする。だが会社で任されていることは、本質的に自分のやりたいことでもなければ、その先に向かいたいゴールがないため「褒められたところでなあ…」となってしまう。
それだけならまだいい。
ダメ出しをされたとき、理不尽に怒られたとき「なんでそんなこと言われないといけないの」なんて、ネガティブで内気な私でも心の中でぐつぐつと反抗心のようなものが生まれてくる。そしてそんな自分を認識して、自分を嫌いになるのだ。やりたくもないことをやって、それを否定されて。
そうはいっても、私たちは大人だ。
どんな形になっても、やりたいことだけやっていくなんてこと、全てを実現できる人はいない。だが目指したいゴールがあったら、やりたくないことも、"達成するための確かな通過点"と捉えることはできる。
自分の本を出版する。それをゴールにできたとしたら、私はやれる、やりたいと思う。そしてただ出版するわけではなく、自分が納得する形で出すことが主たる想いである。自費出版で、それを特急で達成するのは私の場合、また違うということだ。
その上で
出版したい本の内容は3つ
①出勤困難になっている人の救いになるもの
②精神疾患との上手な向き合い方
③小さな生活を守る生き方。(そのヒントを妻と生み出す)
私自身、うつ病、パニック障害になり、会社に出勤できなくなったとき、よく立ち寄ったのは本屋だった。そこでめくり、潜る物語、言葉たちを浴びてこうして生きてきた。生きてこれた。私が今度は救う側になりたい。
精神疾患でも社会と向き合えること、メンタルが強くなかったとしても豊かに生きていく道。「普通」に暮らしていくため、背伸びせずゆるく、自分らしく生きる方法を、私の実体験と共に紡いでいきたい。
そして、そんな私とは違った視点を多く持っている私の妻の言葉を借りながら、生きるヒントをこれからもたくさん記していきたい。人生を逆転してやるぜ、というよりは、毎日食べるごはんがおいしいと思える日常を手に取ることを目指していきたい。
そのためにX(旧Twitter)、noteでの発信。ウェブメディアへの応募。それらステップを経て、本の出版へと繋げていきたい。
次にそのステップの中でひとつ、明確にやりたいことがある。
2.エッセイをnoteで販売したい
いきなり私が本を出版できるとは思っていない。
noteでの無料記事を経て、有料記事を作成し、ひとりでも「お金を払ってでも読みたい」と思っていただける人と出会えるように邁進する。
まずは発信活動を続けて、noteのスキ数が平均して100を越えられるようになることを目標、目安と考えている。無料で読まれていないのに、有料で読んで書いてもらえるはずがない。題材は常に精神疾患の話を交えたものを軸にやっていきたい。
そして定期購読として、月に例えば4本記事を更新する。精神疾患との向き合いを通した生活、工夫の内容を、私の言葉で発信していきたい。それが結果本になるのか、はたまた新しい文章を書いて紡いでいけるのか。このnoteを通して実現させていきたい。
3.精神疾患の勉強
私自身、うつ病やパニック障害、適応障害や発達障害と言われこれまで生きてきた。だがうつ病ひとつ取っても、それは人によって症状であったり、特性、状態、気持ちは異なるはずである。
実際に精神疾患と向き合われている人の話を聞いたり、noteで読んだりする。本を買って読んでみる。実体験を言葉にするだけではなく、様々な人との重なり合うところ、そうではないところを書き留め、学んでいきたい。これは自分の文章への厚みにもなるだろうし、自分自身をまず救うことにも繋がると思う。自分を救えずに、人を救うなんてできっこない。
4.写真、動画撮影の実践と勉強
今までXに、ぽんと写真を載せていただけであったが、エッセイの途中に差し込める写真の技術を深掘りしていきたい。
光の当たり方や編集技術。私は写真家を目指すわけではないが、文章を書くことの創造性にも大きく繋がってくると思っている。
文章も写真も、平面的なものではなく、三次元、四次元的に広がっている。自分の納得いく写真を撮っていくことは、自分の文章にも箔が付くかもしれない。写真で日常をもっと切り取りたい。表現の幅を広げたい。
そしてvlogも撮りたい。
文章だけでは伝わりづらい部分も可視化できるように。文章を書くことを通した先にある、自分の新たな挑戦領域として現在は捉えている。
5.筋力トレーニング
私はBMIが16ほどしかない。
かなりの痩せ型だ。ガリガリだねと言われて仕方がない。
これは当然自慢でもなんでもなく、むしろ私にとっては悩みである。私はたくさん食べることがなかなかできない。10年前にうつ病に初めてなったときが大きなきっかけとなり、私は食べることへの興味が著しく低下した。食べて、だから何?食べ物ってなくなるじゃん!虚しい!だったら食べるの辞めよう!とかで、平気で一週間ごはんを食べなかったときもある。
だが食べないと力が出ない。 "お腹が空いて力が出ない"とは、ふざけているように見えて、ぜんぜんふざけていない。むしろ大真面目である。お腹が減っていると、いらいらもするし、自分の心の整理もすっ飛ばし、下手をすると人に当たってしまうなんてこともある。相手を傷つけてしまうことを避けたいのも当然だが、私の場合、"そうなってしまう自分"にひどく落ち込んでしまう。
そうして食べないでいるとどうなるか。痩せていくし、筋力も落ちていく。メンタルがどうとか、そんな話をしている暇もなく、そもそも体力がないのだ。身体が疲れると、同時に心の傷つきや萎みが深くなっていく感覚を今尚感じている。
8月に入ってから、実は少しずつ筋トレをすでに始めている。といっても、自宅で簡単にできる腕立てや腹筋背筋、スクワットなどである。全て自重トレーニング(自分の体重を負荷にして行うもの)だ。
これなら手軽に始められるし、腕の筋肉がついてくると、こうして文章を書いていても疲れにくくなってくる。科学的なものは私はよくわからないが、これは大真面目に思う。
文章がこれから右肩上がりにうまくいくことなどないだろう。会社での仕事と同じく、頑張ったから結果が出る、というわけでもない。心ない言葉をSNSで浴びることも出てくるかもしれない。さらには休職している現在、自分の状況を不安に感じ、塞ぎ込んで突然パニックになることもあるかもしれない。
そう。
もうなってしまうのは仕方ない。
今までもいろいろ自分で薬やカウンセリングを試してみたが、基本的には自分の特性や症状は治らなかった。起きる前提で考えなければならないと思っている。筋トレを行って身体と心の体力も上げていけば、自分の避けられない症状も緩和できるはずだ。これについては自分に合う合わないはあると思うので、自分の障害と向き合って考えてみるのがいいと思う。
目に見えて隆起する腕を見て、私は前向きになれる時間が増えるかもしれない。やった分だけ積み上がり、やらなければ無慈悲に崩れていく。どんなに私の創作がうまくいかなかったとしても、私がサボらなければ、筋肉だけは裏切らず盛り上がり続けるはずだ。
私は自信がついたら、ジムにも行きたい。心療内科の病院の近くにジムがあって、実は最近かなり気になっている。
6.初めてのことに挑む
平凡は何よりの幸福だと思う。
だが、自分の中でくすぶっている欲求があるのであれば、それは昇華し続けるべきであると思う。
私は先月、休職している自分を変えたくて、何かのきっかけになればと思い、高尾山をひとりで登ってみた。
高尾山は、学生時代に登ったことがあるので、初めてのこと、ではないのだが、"大人になってからの挑戦"を大義としていきたい。
私が馬車馬のように会社勤めしていた頃では現れていなかった挑戦だったと思う。「挑戦」と言っても、ほとんどの人ができないことをやってみせる!という気概ではなく、むしろ、ほとんどの人がやろうとすればできることを一歩一歩達成してみたい。背伸びはしないということだ。
人によって平凡、普通、できることというのは違うとは思う。だから常に自分が「やってみたい」と思う気持ちを、曲がった心で保有するのではなく、素直に吐き出していきたいのだ。日常に豊かな変化があることで、平凡な日常をまた愛せ、大切に想えるものだろう。
7.人と出会う
私には現在、恵まれたことに妻がいる。出会ったのは去年だ。
10年前、初めて精神障害を患ってから、ずっと、とにかく孤独だった。だからとにかく本を読んで、やり過ごした。働ける自分を目指し、トライアンドエラーを繰り返しては心を消耗し続けていた。
それでも、それでもやってやると思って今の会社に入社することができ、妻に出会えた。(妻は現在別の会社に転職している)
人を好きになる余裕すらなかった。そんな私がやっと出会えた。これを越える奇跡は、この人生でもう起きないだろう。そして「人は、会うべき時に会うべき人と出会えるようになっている。自ら、扉をたたきさえすれば」「人間は出逢うべき人には必ず逢える。一瞬遅からず一瞬早からず」などの言葉をよく聞く。
これからも、待っているだけでは交われない出会いや経験を求めて、自分の足を動かしていきたい。それは同じく物を書いている人に出会いたいのももちろん、最近だと行きつけの古本屋さんができたりもして、人生の過ごし方にみずみずしさをもたらしている。
だがそうはいっても、がむしゃらに人に会おうとするのではなく、自分のやりたいことを貫いていれば、出逢うべきに人には必ず逢えると想い、ゴール、軸を忘れずにいたい。
8.小さな旅をしたい
「小さな」というのは、日帰り、もしくは長くても2泊3日くらいを考えている。意図としては、知見を広げ、深めていくこと。
文章を書くために、私はまだまだ経験が足りないだろう。欲求赴くままに文字に起こし、旅の記録を残したり、エッセイにしたためたい。
初めてのことに挑戦したり、人と出会うことに通ずる部分であると思う。そして「小さな」としているのは、自分の今の心や状況の受容力を鑑みてのことだ。
できることなら、遠くにいきたい。そのときには、より明確な目的、目標を定めるべきであると思うが。なんにせよ、精神疾患と向き合い始めた大人の私の人生からすると「旅」というのは宝のように見えて仕方がないところがある。
9.フリーランスになるために
復職、私はできないと思う。
なんならここまで文章を書いている時点であなたも気づいていると思うが、するべきではない。
その日暮らしのお金を稼いで生き抜く、それも素晴らしいことであり、そもそもそれすら贅沢に思える。
私は私の人生を進むために、フリーランスが一番合っている気がしている。明確な答えが実のところまだ出ていないが。そういう気持ちになってしまうのは、私がまだ勉強不足であるからだろう。
税金のこともあれば、それこそフリーランスは会社勤めより楽、なんてことは絶対にない。自分の望む選択肢、もしくは自分なら頑張れる形がどこにあるかという視点で考え進めたい。
10.妻とふたりで会社をやりたい
ふたりで創作活動をしたい、というのが一番描いている形だ。
妻は現在、週5日8時間、一般企業に勤めている。職場に不満は多くないが、一生そこでの働きを望んでいるわけではないそうだ。
そんな妻は、私の文章を書くこと、その夢を初めて、本気で背中を押してくれた人だった。
「やっぱりやりたいんでしょ。エッセイ」
そう私に言う妻は、海のように輝いていた。私にその輝きをくれた人だ。結婚して、すぐに休職に至ってしまった私を責めるわけでもなく「やりたいことが見つかってよかった!」とむしろ喜んでくれた。
そんな妻はSNSで何か活動しているわけではなく、経験もない。それでも私の力になりたい、一緒にやりたいと言ってくれた。このnoteを書き始めたきっかけも、昨晩、夜更かしして「うたたびつむぎは、これからどう生きていくか」の企画会議にふたりで熱心になったことからだった。
私がやりたいことを書き出して、妻も、やりたいこと、やれそうなことを書き出していった。不思議なもので、頭の中でいくら考えても答えが出なかったものが、文字にして書き、目で見ると、違った景色や道が、いとも簡単に現れてくれたりする。
その体験に後押しされるようにして、このnoteをあっという間に書き上げてしまった。妻には、もし私が作家になれたとしたら、ともに本を編み上げていけるパートナーになってほしいと願っている。
○さいごに
いろいろ思いつくままにまとめてみた。
休職している今、常に不安な感情が付きまとっていた。
これから私はどうなれるのか。また心を壊す繰り返しになってしまうのではないか。書くことをどう頑張ればいいのか。何を目的に生きたらいいのか。無益に過ぎていく毎日が不安であった。焦っても仕方がないのはわかっていても、道が霞み、見えなくなるというのは「孤独」だった。
だから、やりたいことをとにかく書き出した。
やることがないなら、自分で毎日やることを作る。上記には書かなかったが、料理、洗濯などの家事、散歩や喫茶店に行くでもまずはなんでもいいのだ。やることがやりたいことを生み出し、また新しいやりたいことを連れてきてくれる。
できるかできないかなんて、そんなのやってみなければわからない。別にジャンプして宇宙に行きたいなんて話をしているわけではないのだ。
そもそも、やってみないと自分に向いていることなんてわからない。本来こういう会話は学生時代や20代に済ませるものかもしれないが、30代上等、自分の向いていることを探求している。生きている今がいちばん若いのだ。
そういう「やってみる」を大人になればなるほどやらなくなる。時間がない気がしたり、やってみた結果、何も残らない「喪失」が恐ろしいのだ。
お利口になってしまったせいで、分が悪いことを避けるようになる。だがそれを避け続けると、安全な道すら残らなくなってしまうかもしれない。
私には10個もやりたいことが生まれた。
その中に細分化して、他にも何個も詰まっている。だが結果何年か経ったあとに、私はぜんぜん違う形で生きているかもしれない。まあ、それはそれでいいのだ。やりたいことを書き出して見えてきたのは、健やかな希望だった。これは不安によく効く。やさしい、ひかりのような薬だ。
不安はとても暗い。暗いから、そのまま10年経ってしまった。だけれど、今このnoteを書けた。そして、動き出している。私は本当に本当に、"やっと"だ。
気づいている自分の可能性と向き合った。
私は会社勤めが苦手だ。人の気持ちを後ろ向きに受け取って病んでしまう。明らかに踏み外しながら生きている自分にずっと気づいていたのだ。
そして、やりたいことにも気づいている。だが挑戦はいつも怖い。書き出すのは怖い、なぜならプレッシャーや責任のようだから。
でも苦手なことを克服しようとするのではなく、得意なことをまずはやってみる。克服なんて極論しなくてもいい。連れ添っていけば良いのだ。
書き出してみるのはとても怖かったが、想像していたよりも、充実した気持ちに今包まれている。
それもこれも、このnoteを書いてみなければわからなかったことだ。