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ありがとうもごめんなさいもいらない森の民・プナンの暮らしから見えるもの【読書会の記録】

こんにちは!TSUMUGI のようこです。
TSUMUGIでは不定期に読書会を開催しています。10月の読書会は、私が提案した本を題材に開催しました。

この本は、人類学者である奥野さんがフィールドワーク地のマレーシア・ボルネオ島に暮らす狩猟採集民族「プナン」と、ともに暮らしたなかで見えてきたものをまとめた民族誌エッセイです。

題名をみたときから「一体どういうこと!?」と興味深々だったのですが、本を読んでみて、自分が当たり前だと思っていたことが、自分の暮らす社会の中で作られたものなんだということを改めて痛感しました。

今回は、この自分の枠組みが崩れていく感覚をメンバーとも共有したいなと思い、読書会を開催することにしました。

そもそも人類学って何?

そもそも人類学って何?と思う方もいると思います。そこで、最初に少しだけ人類学のお話を。

私自身も大学で専攻していたものの、人類学について一言で言い表すことが難しく…。卒業後に、人類学者の磯野真帆さんに質問できる機会があったので、ズバリ聞いてみたことがありました。

その答えは、「他者とともに生きるための学問」

人類学の研究手法は、「フィールドワーク」と言って、長期間(大体2年程)現地に滞在する手法をとります。その中で、自分とは大きく異なる他者に出会うことになりますが、そのようなとき、私たちはその差異に注目し、それを強調しがちです。

しかし、人類学では、その差異は本当に差異なのか、日本人/外国人といった線引きではない視点で現象を捉えたときに新しい発見があるのではないか、というスタンスをとります。

そうすることで、新たな視点や価値観を獲得し、自分たちの文化の捉え直すことができるので、多様な私たちがつながって共に生きていくための道が見えてきます。

ということで、わたしはわたし、あなたはあなた、で終わらない読書会にできればいいなと、最初に少しだけお話ししました。

読書会で取り上げたこと

1章 生きるために食べる
3章 反省しないで生きる
4章 熱帯の贈与論
7章 慾を捨てよ、とプナンは言った

「ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと」

今回の読書会では、いくつかの章を取り上げて、メンバーと話し合いました。以下、その中ででてきた話題を部分的にシェアします。

食べるために生きる

日本に暮らす私たちは何らかの職に就き、生きがいや目標達成を見出し、生きるためにお金を稼いで生活しています。

一方で、プナンの生業はほぼ狩猟です。そのため、生きるため、生き抜くために食べようとします。生きるとは食べることそのもの。

だから、〇〇のために生きる、という概念はプナンの人々にはありません。
このことについて話題になったとき、「〇〇のために生きるほうが達成感があって楽しい」というメンバーと、「生きがいとか目標とか、よくわからないし、決められない自分が苦しいから、プナンのように生きられたら気楽かも」というメンバーがいました。

また、「食べるために生きる」のが続いているのは、外の世界をよく知らないからでは?ということも話題に。もし、他の地域や国の自分たちとは違う生活を知ったら、今の生活を変えたいって思うようになったりするのかどうか…みなさんはどう思われますか?

個人を責めない

何か過失があったとき、プナンは個人を責めたり個人的に反省を強いるようなことをしません。失敗やうまくいかなかったことは、個人の責任というよりも、場所や時間、道具、人材といったことについての共同体や集団の向かうべき方向への問題として取り扱われることが多いそうです。
失敗したとき、その責任を自分で背負わなきゃいけないのって苦しいよね〜という話から、メンバーが尊敬している友人の話をしてくれました。

定期的なオンラインミーティングの集まりをしていたときに、遅刻してくる人が多発。そうしたら、その友人が「最初の10分は雑談タイムにしよう」と提案。そうすることで、時間通りに来た人は雑談を楽しみ、本来なら遅刻になっていた人も時間に間に合うようになって、雰囲気がよくなった!

個人を責めるのではなく、そうならないような仕組みを作ることって大事だよね、という話になりました。

みんなに分け与える

プナンは分け与えること、寛大であることが美徳となっています。そのため、財を排他的に個人が所有するものとして、互いに主張して認め合めあうということをしません。

つまり、財を個人の意のままに使うという考え方、それ自体が存在しないのです。

なぜ、分け与えることができるんだろう…独り占めしたい気持ちとかないのかな、という話から、メンバーの一人が「きっと小さいときから無条件に与えられているんじゃない?」と。

自分自身のことを振り返ってみたのですが「宿題したら、これあげる」のような条件をつけられる/つけることってありませんか?

プナンには、それがないのかもしれません(もちろん、私たちも無条件にもらっているものがたくさんあると思いますが)。

普段、無意識に条件づけをしてしまっている自分の行動にハッとさせられました。

最後に

読書会では、主にプナンと日本人という対比で話を進めていました。でも話し合っていると、私たちも「日本人」という括りではまとめられない、一人一人の視点や考え方があるんだなと気付かされます。

何かの縁に導かれて生活共同体TSUMUGI の仲間になったからこそ、それぞれの考え方を大切にしつつも、対話を通して、自分も仲間も少しずつ変容して、新しい何かを生み出していけたらいいなと思いました。

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