一旦休憩。自分、吟じます。
、、、吟じません^^
この後もまだまだ忘れたくない旅のシュールな思い出を綴るつもりなので、一度自分のことについて考えてみました。
現在30代(女)現在無職。去年いっぱいで仕事を辞め、今年の1月から3週間旅に出て戻ってきて、パートナーと縁もゆかりもない田舎で暮らし始める。コロナの影響もあり、パートナーに感染率あげちゃまずいってことでしばらく様子見で就活を自粛。しかしもはやそんなことも言ってられないじゃないのな状況に日々悶えております。
人って不思議なもので、はじめは不安に思っていてもそのうち不安を”なれ”がまさってくるんですよね。まさに今がそれ。
”無職なんて、、、”とはじめは思っていたけれど、”今年いっぱいは貯金でなんとか^^”とか言い始めちゃって。貯金ってそうゆうために使う物じゃないコラッ^^
今までその場その日しのぎで生きてきてしまったので、ある意味いろんな経験はしてきたけれど、経験にも”意味があるもの””意味がないもの”というのがある、ということは身にしみて感じました。
経験に対する意味って、後付けでいいと思っているのですが(むしろ後にならないとわからない。)それって、自分が真面目に取り組んだことに限ってのことですね。当たり前のことかもしれないけれど。
なんとなく、に流された経験は人に話せるようなものでもないし、そこから学びは少なくてどちらかというと後悔が多くなる。
私は成人して10年以上たってそのことに気が付きました。遅い!
でも、その分どんな分野でも若くして頑張っている人を見ると涙がでるほど感動します。それから尊敬。全力で応援したい。引かれるほどに大声あげてフレー!フレー!!!と叫びたい。(迷惑。)
自分のやりたいことが当たり前にあった20代。
いつしかそれがなくなって、”やりたいことがあるって当然のことではないんだ。”と気がつく。
目標を達成すると必然的に次の目標が出てくるものだと思っていた。
でも、生きることに必死でだんだんとぼやけてしまった。
生きていて、自分の考えだったりが脳みそぶん殴られたかのように覆されたりする時があります。そんなとき、ちょっとづつ自信がなくなっていく。そうなるとあとはちょっとしたことでも悪い方に捉えてしまって、自分がどんどんと削られていくんですよね、消しゴムみたいに。
そして不恰好になった自分が情けなくて、なげやりになってしまう。もうカッコわるしここらでいいやって。いらない周りの目を気にしてしまう。
今となったら、不恰好でも消しカス拾い集めてガムシャラに前進したらいいじゃないの、って思うのだけれど、その時はあっさり心折れて退いてしまったんですよね。
チャンスをつかんだら、何があってもてばなしたらアカン。
すっぽんのごとく噛み付いて離さない。
今”意味あるの?”って思うようなことも続けていたら必ず意味もついてくるから。
20代のときのわたしにそう教えてあげたかった。
結論、とっても後悔が多い30代です。
それでも、私はまだ生きている。
これから何を感じて、どんな自分にしていこう。
まだ開拓途中できれば発展途中でいたい。
それが、わたしです。
(完)
(本日も晴天ナリ。クッションふっかふか。)
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