どちりなの祈り|壹|主の祈り
どうも、躓くロバです。シリーズ「どちりなの祈り」、第二弾です。
前回は『どちりな』で展開される5つの祈りについて簡単に紹介しました。
1. 主の祈り(=パアテル ノステル, 『どちりな』第三章 )
2. アヴェ・マリアの祈り(=アべ マリヤ, 『どちりな』第四章)
3. 元后あわれみの母(=サルベ レジナ, 『どちりな』第五章)
4. ロザリオの祈り(=ロザイロ, 『どちりな』第四章第一節)
5. コロハの祈り(=コロハのオラショ, 『どちりな』第四章第五節)
今日は一つ目の「パアテル ノステル」にフォーカスします。
キリスト教といってもカトリック以外にいろんな教派があるわけですが、「主の祈り」はイエスを救い主と信じる人々の間で広く大切にされています。何を隠そう、聖書によれば主が直々に教えた祈りなんです(主の祈りと呼ばれる所以ですね)。
前置きが長くなってしまいました。本題に入りましょう。
この記事では「主の祈り」の新旧比較をはじめに行います。次に、「主の祈り」がどのような性格のものとして語られているか、ということを記します。
新旧比較
まず初めに、今日(2021年10月現在)用いられている「主の祈り」をご紹介します。
【主の祈り】
天におられるわたしたちの父よ、
み名が聖とされますように。み国が来ますように。
みこころが天に行われるとおり
地にも行われますように。
わたしたちの日ごとの糧を今日もお与えください。
わたしたちの罪をおゆるしください。
わたしたちも人をゆるします。
わたしたちを誘惑におちいらせず、
悪からお救いください。
アーメン。
(2000年2月15日 日本カトリック司教協議会認可)
次に『どちりな』で示されている「パアテル ノステル」。
ちなみに Pater Noster というのはラテン語の主の祈りの最初の2語で「我らの父よ」という意味です(参照)。
【パアテル ノステル】
てんにましますわれらが御おや
御名をたつとまれたまへ。
御代きたりたまへ。
てんにをひておぼしめすまゝなるごとく、
ちにをひてもあらせたまへ。
われらが日々の御やしなひを
今日われらにあたへたまへ。
われら人にゆるし申ごとく、
われらがとがをゆるしたまへ。
われらをテンタサンにはなし玉ふ事なかれ。
我等をけうあくよりのがしたまへ。
アメン。
(海老沢有道校註 1950『長崎版 どちりな きりしたん』岩波., pp.28-29、〔〕および改行はロバによる。)
個人的には「われらをテンタサンにはなし玉ふ事なかれ」が印象的です。あ、テンタサンが片仮名だからではないですよ。どちらかと言えば「はなし玉ふ事なかれ」の方です。
現在の「誘惑におちいらせず」よりも、積極的な関与があって心強い感じがしませんか?私だけかな?
※この記事では内容についての解説はしません(私にその能力がありません)。『どちりな』では個々の文言について少しずつ解説が施されています(pp.29-33)。気になる方はぜひ読んでみてください。638円です!
性格
最後に若干、『主の祈り』の性格を見てみましょう。
弟 いまをしへ玉ふパアテル ノステルのオラショをばたれ人のつくり玉ふぞや。
師 かたじけなくも我等が御主Jx、ぢきにをしへ玉ふオラショなり。
弟 なにのためぞや。
師 オラショを申べきやうををしへたまはんためなり。
弟 オラショとはなに事ぞ。
師 オラショはわれらがねんをてんに通じ御あるじDに申上るのぞみをかなへ玉ふみちはしなり。(ibid., p.29)
ざっくり。
弟子「この主の祈り、誰がつくったの?」
師匠「主イエスの直伝だよ」
弟子「なんのために教えたの?」
師匠「祈り方を教えるためだよ」
弟子「祈りって何?」
師匠「私たちの思いを神様に伝えることだよ」*
*最後の「われらがねんをてんに通じ御あるじDに申上るのぞみをかなへ玉ふみちはしなり」は上手に訳せなかった……。事典によればここでの「みちはし」は「手引きとなるもの」だそうです。
冒頭でも触れましたが、「主の祈り」はイエスが教えたものと伝えられています(具体的にはマタイ6章9~13節およびルカ11章2~4節です)。だからカトリック以外の教派でも大切にされています。この記事では現在カトリック(やプロテスタント)で用いられている口語訳しか掲載していませんが、以前使われていた文語訳や、正教会で用いられている「天主経」などと見比べてみると面白いと思います。
最後にもう一つだけ引用。
弟 パアテル ノステルにまさりたるオラショもありや。
師 これにまさりたるオラショべつになし。これさいじやうのオラショ也、そのゆへはDにこひ奉るべきほどのぜんようなるでうゞゝを此オラショにこめ玉ひて、御あるじJx御でしたちにをしへ玉ふオラショなれば也。(ibid., p.33)
ざっくり。
弟子「主の祈りより優れたお祈りってあるの?」
師匠「ないよ」
というわけで最も大切にされている祈りと言って過言ではありません。
これは今も昔も変わりませんし、これからも変わることはないでしょう。
今も何時も世々に。
次回は「アヴェ・マリアの祈り」をご紹介します。
カトリックにおいて主の祈りに次いで大切にされるお祈りです。
前回も触れましたが、主の祈りとアヴェ・マリアの祈りは「世界でもっとも大切な祈り」と位置付けられています(日本カトリック司教協議会 聖書・教理部門 監修『YOUCAT 堅信の秘跡』p.75)。
「カトリック以外の方には馴染みのない記事になるかな」と今更危惧しつつ、執筆します。それでは、また来週!
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