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MERZBOW

前回の投稿ではジャパノイズに於ける最高峰のライブバンド 非常階段に関して投稿しました。
今回はもう一つの最高峰、宅録系ノイズユニットのMerzbowについて触れていきます。

非常階段は関西、Merzbowは東京で1979年にほぼ同時期に活動を開始しました。
この2つのバンドは同じピュアノイズでありながら対極な性質を持ちます。
それは物理的距離だけでなく、冒頭で言った通り生演奏の一瞬にかける点と多重録音で音源の作成に重きをおく点にあります。

Merzbowとは70年代に即興演奏ロックバンドのドラマーとして活動していた秋田昌美によるユニット。
初期には水谷聖(現在フィールド録音作家として活躍)が参加したり、ライブ時にはサポートを混じえ3人編成を取ることもありますが、Merzbow=秋田昌美と認識して問題ありません。
「ロックバンドのような身体を使う作業とは違うところで音をやろうとした」とMerzbow発足のきっかけを語る通り、初期はテープ作成を主とし80年代はあまり多くのライブ活動は行っていませんでした。
元々アート出身と言うこともあってか、最初期のテープは雑音ではなく凶暴なミュジーク・コンクレート作品です。
非常階段のように「自分の中身を全てが曝け出す」と言った開放的な表現ではなく、自らの行動に制限をしてその限られた中で最大限の自由を放出するのがMerzbowの音楽です。
90年代からは積極的にライブ活動を行いますが、“身体を使わない”というコンセプトを更に推し進め、ラップトップパソコンのみで音を出すパフォーマンスを確立し世界的にそのスタイルを広く浸透させました。

日本のノイズアーティストは国内よりも海外での評価されること場合が多いですが、中でもMerzbowの海外からの支持は格段に高いです。
その理由は2つ。
まず1つは彼の代表作である「Venereology」がアメリカで初めて流通されたジャパノイズ作品だという事実です。
この作品は【extreme(究極)】と言葉が添えられて販売されており、そのワードに惹かれて購入したリスナーの予想を遙かに上回る音圧で一気に話題を攫いました。
そして2つ目が80年代にフルクサスのメンバーが主体となって行われていたメール・アートへの参加です。
フルクサスに関して触れてしまうと僕の知識量では追い付かなくなるので他の資料を参照していただきたい。
メール・アートとは世界中のアーティスト同士が名簿(住所)を共有し自分の作品を小包で送り付けるという、ミニマルな芸術ネットワークのことです。
秋田昌美は当初はポルノ写真やゴミなどの迷惑な物を世界のアーティストに贈っていましたが、やがてそれがテープに代わり雑音へと発展させました。
その当時は彼は自らの音楽を【Lowest Music(最低の音楽)】と称していました。
音楽における最低の表現として始めたノイズが、時を経て究極の音として評価されたことは興味深い。
しかし、彼は世界的に評価された今でも【Lowest Music】の概念を持っているように思います。
それはMerzbowの録音物のリリース量が常軌を逸している点。
秋田昌美は多作で有名なアメリカのジャズミュージシャン Sun Ra(100作品程度)よりも多くの作品を発表したいと公言していましたが、その目標はとうに超えてオリジナルアルバムだけで400タイトルを超えています。
「演奏の練習は全然しない」と言い切る彼にとってノイズは毎日排泄される大便、もしくは身勝手に放出される精子と大差無いのかも知れません。
極め付けはオーストラリアのノイズレーベル 【extreme】から出された50枚組CDボックス「メルツボックス」でしょう。
この馬鹿げた究極のリリースは現在でもマニアの間で高値で取引され続けています。

最後に彼の音楽以外の嗜好、思想についても触れておきます。
私がMerzbowのノイズを「自らの行動に制限をしてその限られた中で最大限の自由を放出する」と表現しましたが、それは彼にとって心地の良い物の捉え方なんだろうと考えます。
まずは彼のSM趣味、特に緊縛プレイに関して。
これはただ視覚的に好きだとか怖いもの見たさというレベルを遙かに超えて、秋田昌美は学術としてそれを探求しています。
身動きを取れなくする行為で見るものを魅了するとはまさに彼の音楽に通じる、と個人的には考えています。
また彼は厳格なヴィーガンでありストレイト・エッジです。
異常な程に動物愛護精神を持ち、それを反映させたビジュアルは彼の作品のジャケットにもなっています。
秋田昌美は自制しながら解放する。
今日も信者のために究極の糞を放っています。

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