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Sat. 24/Jan/2025 道頓堀はどこだっただかしん at Yaizu

昭和26年から27年にかけて発行されていた焼津春秋という雑誌がある。編者は片山建造となっている。焼津文化協会という文化人のサロン的な集まりが74年ほど前のこのマチにあったようであるが私にはよく分からない。とはいえ創刊号に協会についてそこに集った人々についての記事があったはずである。手元にあるのは図書館から適当な箇所を複写してもらったものであり、かつ私のズボラから4号の任意の頁をバラバラに置いているので、どの記事が何号に掲載されていたものだか分からないのである。

気になって複写したのは広告欄なのである。
そこには今はほとんど言われることのない水校通りの文字がある。1ページに9件の広告が掲載されているのだが、そのうちの2件は道頓堀にあるとされているのだ。
「氣分の! 酒場 むらさき へ 道頓堀」
「とんかつ 大関 焼津道頓堀」

焼津手春秋より複写したもの

焼津には浅草があったのだから道頓堀もあったということなのだろうか。浅草は本家に負けぬ観音堂が建立され周辺は賑わっていたと言われる。ならば焼津の道頓堀も道頓堀も赤い灯青い灯が揺れる堀があったのかしらん。

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つまみな
ありがとうございます。 チップをお送りいただくと画面の向こうに人がいるんだということにお互い気付けますよね。