Sat. 5/10/2024 at Yaizu 桂花祭(組合立静岡県中部看護専門学校学校祭)
焼津市には看護学校があるのです。昭和40年代から看護師不足が叫ばれていたようで、これは高給を出す病院医院は市外すなわち静岡市に集中しておりために焼津藤枝を中心にする志太榛原地区では看護師の成り手が減少している。よって学校を作り右から左に流れるように優秀な看護師の育成をする場を作るのだとのことであったようである。そして平成2年に開校したのが組合立静岡県中部看護専門学校なのでありました。
では、それをどこに建てるべきであるか。その経緯は調べていない。だが養殖池を埋めてそこに看護学校を建てようと相なったことをたまたま知った。その養殖池は我がまちが誇る静岡県立焼津水産高等学校が実習の場として使っていたところだったのである。土地は焼津町が寄付をし実習養魚池は昭和5年に竣工したとのことである。ということは約60年に渡り池は使われてきたということなのだろうか。なかなか気合の入った養魚池であったのだろうということは「日本ポルトランドセメント同業会 パンフレット 第21号」に実習養魚池設計概要が掲載されていることからも窺える。
焼津に住んで8年目で歩いていける距離にある看護学校であるのだけど学祭である桂花祭には今年初めて出かけてきた。
入る時には靴を脱ぐのであるね。ああ、そうかここは病院だからかとも思ったけども、大学を除く学校という場所は靴を脱ぐのだね。病院も靴を脱ぐけど。どちらの感覚で生徒・先生はいるのだろうか。
学祭で看護師さんの卵がわんさかいるイメージを持っていたのだけども基本的に静かな雰囲気で穏やかで手浴のコーナーもあって穏やかにさせてくれるのだった。手浴は私は遠慮して子だけが受けていた。在宅(訪問)看護にも力を入れているということなのか、よその学校でもそうなのかは知らないけども、別館の2階は一般的な家庭環境を再現した実習室となっており、なるほど看護の方向性を考えて設置者はきちんと仕事をしているのだなと感じられた。
今まで看護学校を、近所のよしみで、いざ震災が起こり津波にげろとなったらドアを蹴破って内部に侵入して身を守る場所という認識でしかなかったのだけども、土足で汚してはいかん場所だなと流行りの変節をすることにして、お隣の元焼津市保健センターのドアを蹴破ることにします(これもずっと妄想しているけども)。
午前中のある時間だけ校内放送がかかっていて何故かオリジナルラブであって夜をぶっとばしていた。ああこの曲も自分の88年曲であったなと十耐のことを一瞬思い出したりした。月の裏で会いましょうの8cmCDを先輩からもらっていたようにも思うし、それを誰かに借りパクされたはずだなとも思う。よくわからないけど、オリジナルラブ、田島貴男が今の二十歳前後の看護師を目指す人々にも好まれているのだろうか。先生のDJタイムだったのだろうか。
校内放送は楽しくていいなと思う。ラジオにすべきなのだろうか。こういう若干特殊な場におけるラジオというと、宝塚のあの人か、サンドイッチマンか、佐保川か、住み開きの元締めが自分のラジオのイメージになっているので、何を言いたいかというとやってみたいよねということである。桂花祭でラジオなんていかがかしら。