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埼玉のまちの隠れた名建築の紹介-岸本家住宅主屋(埼玉県幸手市)

都市づくりNPOさいたま 理事 古里実 

 三角形の白い破風の切妻屋根が目に入る。岸本家住宅主屋は旧日光街道幸手宿の南の入り口に架かる志手橋から街道を80mくらい歩くと右手に見えてくる。正面の庇部分を店舗とし、後方の主体部分を住宅としている一部土蔵造り木造2階建の町家建築である。
 江戸時代末期の建物であり、「上庄」の屋号で醤油製造業と小売業を営み、10棟余りの建物群をしたがえる当時の様子は、明治25年(1892年)の「大日本博覧図」銅版画に描かれている。

醤油製造業「上庄」岸本家の銅版画

 明治33年(1900年)のパリ万国博覧会で銅賞を受賞するなどの業績を残していたが、関東大震災で醸造所等が壊滅的な被害を受けて廃業してしまった。往時を偲ぶ建物はこの1棟だけとなる。
 2009年には国の登録有形文化財となったが、店舗前の庇が一部計画道路にかかることなどから、翌年に道路の奥東側へ3m、南側へ6mの曳家移転をし、併せて地盤改良などの修繕を行った。曳家移転の際には、主屋の土台に使われていた長石状の砂岩系切り石を使用して店舗前に石畳をつくる市民参加のワークショップなどを行っている。


曳家移転後の1階2階平面図、立面図、断面図(岸本規生氏提供)

 曳家移転前後の図面等から岸本家住宅主屋の特徴を読み解いてみよう。
住宅主屋部分の2階の屋根は、後ろが寄棟なのに、前面は切妻屋根という特異な形をしている。街道側を白壁の三画形の切妻屋根にしたのは、2階小屋裏に部屋を設けて窓を付けられるようにすること、そして何よりもお店と住宅の格式を示したかったものと思われる。
 街道に面する店舗の屋根は住宅部分の庇に相当し平家の寄棟屋根の手前を棟に直行して切った形で、2階建ての住宅の壁にぶつけている。その寄棟の屋根は街道側へさらに前庇が取り付いていて、当時の賑わいに合わせて店舗部分を広くとろうとしていたことがうかがえる。住宅の平面は、南側に土間がある喰い違い四間取りで整形四間取りへの移行期の民家のプランによく似ている。
 店舗部分は現在、生パスタのお店が入り、店内から立派な土蔵造りの扉も観ることができる。住宅部分は地元のNPOなどが地域の活動に利用している。月に1回、幸手宿観光ガイドの会が宿場歩きのコースでこの建物を紹介しており、幸手市観光協会が予約受付をしている。

宿場歩きで岸本家住宅主屋を紹介

*建築とまちづくり2024年1月号掲載原稿を加筆修正


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