初めまして_( _´ω`)_
これからここに記すのは、繋がりが繋がって、始まりが始まって、そんなこんなを繰り返してある今を備忘録として刻んで置こうとする精神に基づいてです。書き出しが適当ではありつつ、問わず語りという事でお願いします〜
唐突ではあるが、僕は弾き語りと曲や詩を自ら描き始めて、信じられないことに10年経った。
当時は15歳、2015年度、中学3年生。
・その時僕らの代から始まった謎制度、卒業研究。
・中高一貫校で男子高校生かつ、ルターが腐敗したカトリック教会を嘆き、その扉に貼り出した95箇条の論題に端を発するプロテスタント系の学院。
▶▷▶卒業したって、同じ学び舎なのに、先生たちが謎に頑張っちゃって、僕らも頑張らざるを得なくなった迷惑な話だなぁと評判だったが、結果としてそれをきっかけにはじめたアコギ弾き語りを10年もやって、曲も書いている。
少し角度をずらさせて頂けるなら、ちょっとばかり絵も描いている。
そして親に貰ったなまえ、創〜つくる〜
みんなにその響きを浴びせてもらえる日々が25年目を迎えようとするこの歳に、たぶん脳が言葉を現実化しようと頑張ったんじゃないかと思えるほど、つくるということ、そしてそれを人前に「弾き語り」というスタイルで表現することが、楽しくて幸せなのだ。
蛇行運転するような文章構成で申し訳ないが、ここで、中高時代を過ごした場所に戻る。
我が母校も今では志願者の確保に喘ぎ、詳細の事情は置いておくにしても、共学になり、中高時代の男の園はもうそこにはないとの事だ。
それだったら俺がいる時にしてくれりゃあいいなと冗談も交えつつ、男ばかりのノリとバカやってる日々が本当は楽しかったように思う。
それは現在、女性という生き物を「日常を守る存在」である、と定義出来た今の自分から遡れば、きっと両親への考察と男子校の日々がそうさせたのだと素直に感じる。(この定義に関しては大学院までに専攻した美術史と密接に関わるため、またの機会に譲りたい*˙︶˙*)ノ"マタネー)
同じ男子校の境遇であり、道の先をゆくオードリーさんなどは雑誌のSEVENTEENなどで、「女の子」という存在を探究していたそうですが、まぁそうなる感じにシンパシーを覚える。(文体はかっこつけてるけど、実際は言葉遊び感覚で書いてますꉂ🤣𐤔)
現に宮城県北の片田舎出身の僕が所属していた小さな寮にも似たような雑誌で、もう少し刺激的なものや、ただのファッション誌(特定のコーナーでちょっと際どいグラビアがあるタイプのやつꉂ🤣𐤔)が散乱していたことを懐かしく、しかしもう届かない日々として思い出される今日この頃。
さて、自分語りも交えてここまで書いてきたが強引にまとめる。ꉂ(ˊᗜˋ*)
結局どこまで行っても沈黙を貫く「Silence singar song writer」よりも、今を高らかに歌い、それでいてエッジの効いた目の醒めるような曲を創り出していくという「real time singar song writer」でありたい、という決意だ。
(弾き語りをするにおいて私淑させてもらった人の言葉を丸パクリ💦)
もし何かの折にこの記述を目にしたならば、それは私と縁があるということでしょうから、まぁお暇な時に水曜日の夕方から夜にふらふらと和光市駅に来てみてください。
僕はいつでもそこで「今」を謳っていますから。
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p.s.4月からは就職しますんで、とりあえず3月までってのが現実的な落とし所ですかね〜🙇🏻♀️
(*´∇`)ノシどんどどぉ〜👋
(どこの方言かはお調べ下さい〜ꉂ🤣𐤔宮城以外の東北のどこかでして、検索かけると一発で出ますので👍🏻)