現場に出るために手段を選ばない私の話~同居のこと~
前回からおつたえしているのは「仕事」と「子育て」と「同居」について。
今回は「同居」のきっかけと、私が過ごしてきた生活の話です。
前回までのお話はこちら。
就活前からお付き合いしていた現在の旦那さんと結婚を決めたのが就職して3年程度経った頃。
30代までに子供が2人ほしいと意味もなく思っていた私は、じゃあ結婚しようかな、という理由で結婚をきめ、
ではこの人と「子育てをしながら仕事を続ける」という選択をするにはどうしたら良いのかということを考えはじめます。その当時は彼もサービス業だったので、土日は基本的に自宅に二人ともいないカップル。正直現実的ではなく、さてどうするかと考えたときに「彼の両親との同居」という選択でした。
実際大学時代から「結婚したら同居」を言ってくるような人なので、何度も実家へは連れて行かれ、ご飯をごちそうになったり、大学の卒業式には写真を撮ってくれたり、何なら自分の親より先に卒業祝いの花束をくれるようなご両親です。現実的に同居も可能なのではと思ってはいました。
そして何より大きかったのは自分の両親とは一回り世代が上だと言うこと。旦那さんの年齢は1つしか変わりませんが、両親の世代が違うのです。
実家では父方の祖父と、大学4年間を母方の祖父母とを過ごした私は、感覚がその祖父母と近い感じがしていたこと、また実の父と同様に旦那さんも一人っ子。
そうなってくると、私が唯一の嫁、初めての「女子」いう立場ということもあり、ずいぶんよくしてくれました。ちょうど義父が定年を迎え、義母も足を悪くし始めたときでしたので、子育てに協力してもらおうと思うと、急いだ方が良いだろうというのもありましたし、旦那さんは早くに結婚を望んでいたこともあり、なんだかんだスムーズに話が進んだと思います。
心配事は、家事をしっかりこなしてきている義母なので、仕事をする嫁という私の立場はつらいかもしれないと言うこと。
だから、私は彼には早い段階から「あなたのお母さんみたいにはなれません」としっかり伝えてありました。その部分は理解してもらっていたので、結婚前から一度二人で暮らすこと(だって2人で暮らすことすら無理なら同居はそもそも無理、結婚も無理)、その後入籍し、子供ができたら同居をするということをお願いして結婚をすることにしました。
結果、結婚後しばらくは2人で暮らし、子供ができたタイミングで彼の実家へ完全同居という形をとりました。
通勤は1時間以上になりましたが、9ヶ月までフルタイムで働き、産休をとってしばらくして、1人目は緊急帝王切開という予定日より10日も早い出産となりました。
その1ヶ月後、担当現場の挙式、ほとんど後輩に引き継いではいたものの、ちょっと会場も広く通常とは異なる大変な現場だったので、可能なら私も挙式だけは行けるように段取りをしていていました。
出産後思いのほか体も動いたので、チャイルドシートに子供を乗せて、義父に車で送ってもらい、現場で子供と二人待機してもらって、挙式にだけは参加したのは懐かしい思い出です。
こういう仕事の仕方をやりがちな私にとって、安心した状態で子供を預けられることは必須。
それでも現場に出ることを諦めきれなかった私の選択は今でも良かったと思っています。
20年以上、土日の現場がある仕事をしていますが、穴を開けたことがありません。
私が就職した頃、「親の死に目に会えない可能性もある仕事、そうなったとしても笑っていなくてはいけない」というようなことを言われたことがあります。そのくらいのプレッシャーとあわせて仕事をしてきました。
実際今でもウエディングを続けている以上、覚悟はしています。だってそれは、お客様には「関係ない」のです。一番幸せな一日をお手伝いが私の義務だから、たとえ自分がつらくとも、がんばると決めています。
もちろん回避できるであろう事は何が何でも調整してきました。
ただ、これは本当に子供たちも、家族も協力してくれたおかげだったと思います。熱を出すのは現場の翌週、インフルエンザや溶連菌もちゃんとずらしてくれる(笑)なんならおなかにいるときから「お願いだから今日はおとなしくしててね」と伝えながら現場に出ればおなかが張ることもなく、一日過ごし、帰ってからはお義母さんがご飯を用意してくれているという
「神生活」を7年(義母が足の手術をするまで上げ膳据え膳でした)というふざけた嫁をしていたわけです。
その間、旦那さんが転職して、土日に家にいてくれるようになったり、仕事のスタイルが変わったりといろいろ有りましたが、
この今の時代には珍しい「同居」というのが自分のライフスタイルに思いのほかマッチしていたのは良かったなと思います。
「同居」をしていると「すごいね」とよく言われます。
すごいかどうかはわかりませんが、義母も「嫁」の立場で大変だったこともあってとても優しくしてくれます。
(その話は何度も聞いてますが、それは同情しちゃうし面白い話です)
そして義父も旦那さんもすごく自由。自由すぎてお義母さん本当にかわいそう(笑)なので、基本お母さんにも「自由」でいてもらって良いと思っています。その希望はできるだけかなえる代わりに、私にも「自由に仕事をする、現場にいく」環境を作ってきました。
ただ、そこにはどうしても子供たちがついて回ります。大人は説得すれば良いですが、子供はそうはいきません。
実際私が小さい頃、説明もなくは両親はとても働いていました。もちろんなんとなく理由もわかっていますし、大変だったのも知っています。
ですが、「子供」という立場だといろいろ思う事はありました。
言えなかったことも沢山あります。そんな自分が小さい頃、逃げ場になってくれた「祖父」や大学時代お世話になった「祖父母」にはとても感謝しています。
そしてそれは今の自分にとって、とても大きな財産でした。
自分の子供たちがそれを必要とするかはわかりませんが、私が「仕事をする」という選択をする以上、ないよりは与えて上げられるのであれば用意して上げたかったので、結果同居をして15年以上、間違ってはなかったと思います。
もちろん、同居が絶対良いなんてことはありません。
世の中には「同居の愚痴」があふれていますから(笑)
私にもありますし、きっと義両親にもあると思います。言わないだけ。
どう考えても相性があります。そして同居の目的も。
私はとても相性の良い人たちと「家族」になれたので、良かったなと思っています。すごくラッキーだと思います。
だって、実家にいたときに起きた事よりずっとずっと面白いことがありましたから。
家族の話をし始めると、意味がわからない、そして面白いこともあるので、また機会があればnoteできればと思います。