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不定期と化した日記(34日目)

僕はもとよりタスクを計画的に消化できないカスなんだけど、つい最近まで、そんな自分を認められなくて自己肯定感を自ら捨て続けていた。

そんな人は意外に多いような気がする。

けれど最近は、他人の人生の分岐点になるような重々しいタスクが増えすぎて、いよいよ「カスな自分」を「カスな自分」として受け入れざるを得ない状況になってしまった。

諦めである。大人だね。

ただ、諦めというのは時に前進するエンジンになるようだ。「カスな自分」だから、このタスクの両立は能力的に無理と判断して、人を頼ったり自然な自分でいられるようになった。

上手くいかないときも、ある程度割り切って考えられると、次上手くいくための余裕が生まれてくる。

もっともさすがにカスすぎる部分は、やはり伸びしろとして攻略しなければならないのだろうが...

何が言いたいのかって、人生で過去一追い込まれているということだ。
目の前から逃げたくて、久しぶりのnoteに逃げ込んだ。

世界はこんなに広いのに、生きようと思った瞬間狭くなる。発展した文明はあまりに多くの選択肢を用意しすぎて、自由を制御するしがらみが増刷され続けるようになった。

本当に孤独な人間が死んでしまう理由はよく分かる。
けど、人が本当に孤独であることは数少ない。

気持ちの面では、人はみんな孤独なのかな。
ただ、僕は高齢の両親が頑張って生み育ててくれた存在で、今必要としてくれる場所で勤めていて、うんと年下の子たちと触れ合ったり、大学で友人と関わったりする存在なんだ。

孤独を勘違いして死ぬことは、頑張って生き続けている人に限りない負債と罪を負わせることになる。

カスすぎて、今の僕はまともな職につけないと言われた。
でも、カスなのはカスなのだから、カスなりの下積みを重ねる以外に方法がない。

カスな自分を認めなければ、絶対にNOTカスにはなれないのである。

だからカスはカスらしく居眠りをして、次の大切な仕事に備えるのだ!
前進的撤退。

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