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生きる価値がないと悩むのは、生きるには価値がないとだめだと錯覚してるからでは?
そもそも生きることに意味とか価値は最初はないと思ってる。あると思ってるから、ないと気がついて慌てるが、最初はないんじゃないと思う。生きてるうちに価値というか意味が発生してるだけで元々はないので途中であったりしてもそれが無価値になるなんてことはけっこうあるんじゃないかと思う。
私は生きることに意味はあって価値があると思いたくて、若い時は悩んでたけど、病気になったりして、失うものとかなんにもなくなったりした時に気づいた。そもそもは意味とか価値とはなくて、そういうのはあとからついてくるものなんだと。
人は流れの中でたまたま生まれてきて、死んでいくだけなので自分で意味や価値を持たせないと何もない状態になるのでは?だから、価値がないと悩んでる暇があったら、価値や意味を活動やつながりから作っていく必要がある。作る価値がないと言えばそれまでだけど、価値は作ることができるし、作っていかないと元々は何もないのが前提なので、「自分には価値がない」と悩むことなると思う。
価値がないとわかったら、悩むんじゃなくて、価値産むような活動をしなくては意味や価値は見いだせない。ないということはなんもできてないということなので。
でも価値がないからと言ってもいちいち死ななくてもいいと思う。価値がなくても生きられるからだ。価値のない人生、意味のない人生なんてありふれてる。なんで自分だけが特別に価値があったり、意味があると思ってた?大抵意味はない。あるとすれば大抵勘違いか思い上がりか何かなのではないかと思う。価値がないから死ぬとか悲劇の主役みたいなことなのかな。よくわからん。
価値は作れるけど、別になくても生きていけるので価値はあったらあったほうがいいけどなくてもなんとかなる。そもそも生きる価値って誰が決めたんだ?そんなの錯覚じゃないのか。