知りて寝黙するなかれ
ご無沙汰しております。
この1か月ほど、引っ越しやら仕事の整理やらでばたばたと忙しく過ごしておりました。
そんな間に日本国内でも新型コロナウィルスの感染症が蔓延し、有名人では志村けんさんがこの新型コロナウィルスに感染して肺炎で亡くなってしまい、大きな衝撃が走りました。
日本政府は学校の休業要請に始まり、外出自粛要請や飲食店の休業要請、東京や大阪等の7都府県を対象とした緊急事態宣言と、日に日に状況は厳しくなっているように思われます。
その中で、日本政府の対応って本当に何なのでしょうか?弱者切り捨ての「やってる感」だけアピールのように見えてしまいます。
さて今回取り上げるのは、部下に諫言を促す太宗のお話です。
原文
貞観三年、太宗謂侍臣曰、中書門下機要之司。擢才而居、委任実重。詔勅如有不穏便、皆須執論。比来惟覚阿旨順情。唯唯苟過、遂無一言諌諍者。豈是道理。若惟署詔勅行文書而已、人誰不堪。何煩簡択以相委付。自今詔勅疑有不穏便、必須執言。無得妄有畏懼、知而寝黙。(政体編)
大意
貞観3年、太宗は側近にこう話した。
「中書省、門下省は政策遂行の中心である。だからお前たちのような才能のある人間を抜擢してその地位に据えている。お前たちの責任は実に重いものである。もし私の下す勅命が適切なものでないのであれば、遠慮なく意見を申し述べよ。最近は私におもねり、ただ従うだけになっているのではないか。指示したことを淡々と受け入れるばかりで、一言も諫言してくれる者がいない。たんに私の下した詔勅に署名し、配下に文書を流すだけならば誰でもできる。わざわざ人材を選りすぐってその地位につける必要もない。今後、私の詔勅の内容が適切でない場合は、遠慮なく意見を申し述べよ。私に叱責されることを恐れて、知っていながら口を閉ざすというようなことのないように。」
考察
前回の「貞観政要その4 諫言を受け入れる」でも取り上げましたが、太宗は、臣下からの諫言を積極的に受け入れました。「単に詔勅として下された命令文書をそのまま下に流すだけだったら才能を見て抜擢するような必要もない。そんなことは誰にでもできる。」というのは本当にその通りだと思います。特に中国は、科挙のような形で昔から能力のある人を抜擢する仕組みを作ってきました。そのような能力のある人間が権力におもねるようになり、政治体制が緩んでくると国家の存続が危うくなってしまうと考えたのだと思います。
改めて今の日本の状況について考えてみるとどうでしょうか。安倍内閣は自分にとって都合の良い人物を検察のトップに据えられるように法改正手続きを進めています。自分に批判的な自民党議員に対しては、選挙の際に対立候補を立て、その候補者に1億5千万円もの選挙資金を投入し、落選させました。どうやら「自分にとって都合の良い」人たちで周りを固めていきたいようです。
その結果が「森友問題」「加計学園問題」「桜を見る会問題」等の様々な問題を起こしながら政権を維持できている現状なのではないでしょうか。
身近なところで考えると
どうしても政治の問題ばかりになりがちなのですが、部下からの諫言を受け入れる太宗の姿勢は見習うところが多いと思います。
自分自身もそうですが、「諫言」とは耳の痛いものです。どうしても自分のいいように進みたい、進めたいものですが、その向いている方向が間違っているのであれば正さなければなりません。「諫言」を受けることにより、自分の進もうとしている方向が正しいものかどうかを確認できるため、謙虚に耳を傾けるべきものだと思います。
部下の立場に立って考えるならば、いくら上司の指示命令であっても間違っているものはそのまま進めてはならないということになります。「諫言」というと難しく聞こえるかもしれないので、「確認する」という風に考えると良いかと思います。
組織が良い方向に進むためには、互いに確認しながら進むということが大事なのだと思います。