今日が最後の日だとしたら
「あのときああしていれば」と後悔することなく生きたい。そう心から願っています。ちょっと重いかもしれませんが、「明日死んでも後悔しない生き方をしたい」という思いはずっと持ち続けています。命が儚いものであることを、痛烈に感じていた時期があるから。
例えば、私が本を読みたい、あるいはメールの返信をしたいと思っているときに、娘が「ママ、一緒にゴロゴロしよう」と言ってくることがあります。そんなとき、一瞬「あとでね」と言いたくなる気持ちもあるのですが、「もし私に何かあったら?」「今日が娘との最後の日だったら?」と考えると、迷わず娘と一緒に過ごすことを選びます。些細な時間かもしれないけれど、娘の笑顔やぬくもりを感じながら過ごすひとときは、何にも代えがたいものです。
また、朝の忙しい時間帯、娘が起きる前に夫が仕事へ出かけます。ゆっくり自分だけの時間を過ごしたいと思うこともありますが、夫を玄関まで見送り、「行ってらっしゃーい」と笑顔で声をかける。お互い、元気な笑顔で送り出せるのは、たり前ではないことだと気づいたからです。
毎朝、両親から「気をつけてね」「今日もいい日になりますように」というLINEが届く。返信をつい忘れてしまうこともありますが、私は「ありがとう」「今日も頑張るね」というメッセージとともに、娘の写真を送るように心がけています。両親にとっても、孫の成長を感じられる一瞬がとても貴重なものだと思うから。
私たちが今日も健康で、一緒に笑い合える日々は、当たり前ではなく奇跡に近いのかもしれません。命は儚く、いつ何が起きるかわからないものだからこそ、家族や大切な人との時間を少しでも後悔のないように過ごしていきたいと感じています。
「もし今日が最後の日だったら?」そんな思いが頭をよぎるたびに、私は改めて、家族と過ごす一瞬一瞬の大切さを感じます。家族が安心して毎日を送れるように、何気ない日常に小さな喜びや温もりを織り込んでいく。それが、私が選んだ「後悔しない生き方」です。