【小説】胃もたれするキス
※この話はフィクションです。
昨日飲みすぎた二日酔いがひどく関節周りの細胞が死んでいる感覚がある。洗面台にいきタバコを吸った後、干からびたパンのようにひび割れた舌に痰を吐き出してうろおわせた後、排水溝に吐き捨てた。
強い酒をたらふく飲んだ次の日の気分は最悪だ。眉の辺りの筋肉は硬くなっているのに体は死んでいて脳では記憶がぐるぐると回る。死後硬直のような体に無理やり電極をぶっ刺して動かしている感覚だ。行き場のない電気が脳に戻りバチバチと脳を焼いていく。脳がドロドロに溶けても顔の筋肉はこわばっている。いっそ体液を全部吐き出されたら楽になるのに、そんなことも考えた。
いやぁ、この漫画かっこいいなぁ。憧れるなぁ。ここのコマ割りがいいよねぇ。佐々井は酒を飲むと決まって好きな漫画を見せてくる。誰かの空マネのように同じ言葉を繰り返し、俺と二人で飲んでいるのに、俺に向かって話してはいない。小学生の会話に似ている。あいつらは自分の経験を話してないし、親の言葉を見よう見まねで話すから演技がかっていて不気味だ。酒で頭も回ってないから、独り言のようにモノマネを見せられたところで不快にも思わないが、次の日の朝は決まってそいつをぶん殴りたくなる。でも、殴りもしないし、結局自暴自棄になって、自分の子供の時に覚えた「おまんこ」って言葉を叫び続けて、親にレゴブロックの上で正座させられ殴られたことを思い出し、涙が出そうになった。
他人の空真似で動いているやつは家畜だから、豚や牛の言葉は頭に入ってこない。自分の経験を話すやつはちゃんと目を見て話してくるし、目の奥まで見ようとしてくる。
10代の頃行った風俗にそんな女が一人いた。大抵のやつは俺の目を見ないし、俺もそんな奴の目を見ない。他人と繋がりたいなら、自分の服を脱ぐとか自分の心を曝け出すとか、そんな演劇じみたことはしなくていい。ただ目を見て話して目の奥をひたすら見つめようとする。相手が目を逸らせばそれで終わりだし、目を見つめてきたら胃の辺りにずっしりとした感覚が乗っかってくる。その風俗嬢は最初まるで僕の目を見なかったが、僕はその女の目を見たい気分だった。誰でもよかったけど、あのずっしりとした感覚をSEXしながら味わいたかたった。おまんこを舐めて、女は俺のも舐めて、二人の性器は唾液でベタベタになった。段々目が合っていく。帰る時にはお互い目を見て話していた。営業だろうが接客だろうが、そんなことはどうでもいい。俺が胃もたれするあの感覚があれば別にその時はそれで満足だった。
佐々井と話した次の日は、あいつの妙に演技じみた話し方を思い出してイライラする。あいつにはリアリティがない。ずっと死ぬまで舞台から降りることはないだろう。
俺はそう思いながら一日過ごしていた。他人と目を合わせる気分にもならなかった。まだ読んでいない小説を読み漁ると、嘘っぱちですらリアルがあって、ますます佐々井をぶん殴りたくなった。
気づけば外は大雨が降っているし車のライトが窓についた雫で乱反射して眩しく目の奥が痛くなった。夕飯はマクドナルドを食べた。こんな気分の時はとびっきりジャンキーなものを暴力的に胃に押し込めたくなる。ジャンキーな食べ物を食べる時は遠慮しなくていい。食べ物扱いしないでぐちゃぐちゃにして流し込むだけだ。お金でおまんこする時と同じだ。胃もたれをして床に嘔吐した後、タバコで口直しをした。
朝吸った時とは違う、酸っぱくベタベタで喉がひりつく味がした。でも、不思議と不快な気はしなかった。
寝る前に妻から電話がかかってきた。妙にテンションが高い。
「昨日ドラマ見たんだけどさ。あれすっごく面白かったよね。おっかしい。私帰ったらもう一回見ようかしら。今日のご飯何食べた?」
「マクドナルド」
「あははは。美味しいよね。私はいつもサムライマック食べるの。あのジャンキーなのとコーラが最高なのよね。」
「週末にデートしようか」
「あはははは。久しぶりだし行こうか。私何着て行こう。髪も切りたいから美容院も予約しなくちゃ。」
妻は夜に電話をかけてくる。今、僕も妻もお互いの目を見ようとしてない。メタ的なコミュニケーションが全くしない上滑りの会話を、決まった時間にかかるチャイムのようにする日がある。
そんな電話の夜は全く眠れない。
イライラするし、舞台から降りてこない妻が転んでしまわはないか不安になって、起き上がった後窓の外をずっと眺めてしまう。
こいつでさえ、舞台の上から降りてこないのか?そんな怒りに似た感情が次第に悲壮感に変わってくる。どうして演技を続けようとするのか?さっさと客席に降りてぶっ倒れて寝てしまえば楽になってくれるのかな?そんか感覚に変わってくる。電話中にもかかわらずタバコに火をつけた。あの横隔膜が下がるずっしりとした感覚が恋しくなった。
「珍しいじゃん、電話でタバコ吸うなんて」
エリサは急に声色を変えた。いや、、、
俺の言い訳など無視して話を続ける。
「あのね、今日職場で蜘蛛が出たんだけど、あなた10年くらい前に蜘蛛飼ってたじゃん。ジャムの小瓶に入れて『ティファニー』って名付けてさ。あんな大きい蜘蛛を小さな瓶に入れてかわいそうだったけど、毎日他の蜘蛛を弱らせて餌を与えてて。だから私ちっとも怖くなかった。女の後輩があんまりにも喚いてうるさいもんだから、私も神経が逆立っちゃって、ほら女の叫び声って子供の鳴き声よりうるさいじゃん。人に媚びた声でさ。それ聞いてると我慢できなくて、死んでるかもわからないのに何回も何回も箒で蜘蛛を引っ叩いてさ。結局、ティファニーって蜘蛛もあの瓶の中で足を丸めて死んじゃったよね。でも、その蜘蛛は足をガバって開いて地面にへばりついてるの。なんか死んでるくせに足も丸めなくて地面にべったりへばりついて。観てたらゲロ撒き散らしながら渋谷で死んでる上司を思い出して気分が悪くなってきたの。結局、その上司がぺちゃんこになった蜘蛛を拾い上げてさ、ゴミ箱に投げ捨てた。自分がその蜘蛛ってわかってないんだわ。だから、あれに触れるし捨てることもできる。あたしそう思うの。」
「あれはアダルトビデオにでてた女優の名前だよ」
エリサは黙って聞いていた。外の雨音と風がマイクに当たる音だけが聞こえてくる。
「エリサ、そっちは晴れてるの?」
「うん、ちょっと肌寒い」
「今週末は東京駅に行けばいい?」
「うん、早く会いたい」
それだけ話して電話を切った。タンスの上で埃を被った眠剤をビールで流し込もうとする。口の中で炭酸でシュワシュワと溶けていく錠剤を転がしながら、根元まで火がついたタバコを最後にひと吸いした。煙は気管支を焼いてゲホゲホと咳き込み、口に入ったものが全てシンクに流れていく。気づけば胃もたれが治っていたけど、飯は食べたくなかった。
ただ排水溝のネットをつたう液体を眺めていた。紫色に変わった泡がネットにまとわりつき色を変えていた。それから妙に目が離せなくなって、ゆっくり乾いていくのを眺めていた。
朝7時のアラームで目が覚めた。今日はエリサに会いにいく日だ。蛇口を捻りシンクにへばりついた紫色の塊を流す。青色のネットが顔を覗かせるが所々紫色に着色されていた。
今日はエリサの目を見て話せそう。なんとなくそんな気がしてタバコを全部排水溝に押し込めてビールをかけてやった。
外に出ると雨も止み、冷えた風に頬を撫でられた。お腹が空いていた。エリサとあったら、蕎麦でも食べて、薄い酒を飲もう。そのあとホテルに行ってお互いベタベタになるまでセックスをしよう。
“今から迎えいくね。胃もたれするくらいのキスしよう”
そうLINEを送って駅に向かった。