【散文】「やらかす大人」と自分が重なることが増えた
今年になって、嫌な気持ちになることが多い気がします。
別に嫌がらせをされたり不幸なことが続いているわけでもありません。
ただ、子供の頃ほど無弱に大人を尊敬できなくなってきました。
最近「身近な大人が実は、、、」「高校の先生が陰で、、、」といった話を多く聞きます。
別にそのことでその人の評価が下がるわけではありません。
ただ、「やらかす大人」のほとんどが40代頃にこぞって「やらかす」ので、自分もいつかそうなってしまうのではないかと想像してしまいます。
ふと頭をよぎった邪な考えが「やらかす大人」と同じで、自分の汚さを感じて不快感を感じます。
映像作品や小説を読むたびにモヤモヤした気持ちを感じることが増えました。
特に、「機動戦士Zガンダム」「機動戦士ガンダムZZ」をみるときの気分の悪さは別格です。
登場人物が全員現実にいる人間っぽすぎるので自分と重なる部分が多く嫌悪感と共に不安感が襲ってきます。
やはり、小さい頃に出会った大人は「大人」というだけで尊敬していました。
しかし、この年齢になると見えてくることもあるし、感受性も変化していくし、裏返ってグロテスクなものを見た気分になります。
大学になって出会った大人は、幾分か対等に見えてくるのでそこまで幻滅することもありません。
地元は好きですが、帰るとあの感覚が蘇り孤独感を感じてしまいますね。
実感がある分、昔のように無弱に目を背けてもいられないのです。
そういえば最近引っ越ししました。
5年間住んだ家を変えたわけですが、環境だけで言ったら超快適です。
ですが、まあ、落ち着かなさはあります。
「帰る場所があるから安心」というマインドから、「誰かの帰る場所を作ろう」と考えることが増えました。
真っ当に「大人」になれているんですかね?
感傷的になることが多いからか、80's city popをよく聞くようにもなりました。
ずっと部屋に爆音で流しています。
「人間-自分-は本質的に悪である」という考えが染み付いてきたので、変に自分を過信せずに予防線を張るようになったのはいいことだと思います。
飲み会に女性がいるときは - いくら自分が持てない側の人でんだとしても - オールはしないように迎えを頼むようにしています、
禁煙をことごとく失敗してきた成果かもしれませんw
今日は「ですます調」でなんとなく書き殴ってみました。
バイバイ