人生を希望的に振り返って。

見出し1

もう久しくnoteに何も書いていない。半年ほどnoteに投稿をしていなかった。そもそもnoteでまともにフォローした文章を読むことを3月以降していなかった。(TwitterのTLで流れてきたリンクに飛ぶことはあっても、noteのフォローした作者様の新着記事を全部読む、ということをしなかった。)

縮小で、10/2に「哲損が最近note書いてくれなくて悲しい」とツイートが為されていた。この人は私がnoteで結構ふぁぼをしている人だ。だから久しぶりに書きたいと思った。(余談だが、あるnote記事で書いた「文体がヘン」と指摘を賜った相手も彼である。結局文体は変わらなかったね。俺。)

しかしそこから2か月経ってしまった。怠惰だからでもある。けど一番は「書くことがない」からである。思えば私のnoteの処女作の題名は、「書くことがない。」であった。(余談であるが、これは10月終わりに書こうとした下書きに対して大晦日に加筆修正をしているものである。見出し4以降は大晦日に書き下ろしている。し、それ以前も加筆修正している。)
あと、見出しって適当に区切って文章を書いている。読みやすさのために区切って見ただけなので、特に深い意味はない。箸休めとして章立てを利用してください。

見出し2

最初近況報告でも書こうかと思った。例えば夏休みにやった事とか。
しかし、何もなかった。
皆、夏休みにはサークルに精を出したり、旅行に行ったり、カラオケに行ったり、免許を取ったり、色々していた。
私は何をしていたかというと、8月中は後輩に混ざって夏休み限定で、夏休み入る前に半額で買ったマイクラをやって、9月前半は本当に何もせず、9月後半は上野ツアーをしたり、飲みをしたりした。
これって、まじで意味がない。

マイクラも俺が鯖に対して何かしたことは特に何もなかった。大体皆のやった事のフリーライダーで終わった。
そもそも夏休み限定鯖だったのでもう今は存在しない。
それに、最初の夏休み2週間ぐらいはそれこそ同時接続が10人とかいたが、途中で同時接続が2人とかになり、私も夏休み後半はあまりログインしなくなってしまった。

9月前半は本当に記憶がない。いや、あるのだが苦しすぎて思い出したくもない、が正しいのかもしれない。この間ずっと家に引き籠っていた。

9月後半は予定がたくさん詰まっていた。

渋谷に行って5年前ぐらいのTwitterのFFに会った。喧嘩別れをしたのでなぜ繋がっているかわからなかった。が、彼女は5年前のことは忘れているようで、逆に俺はずっと5年間その喧嘩を引きずっていたため、楽しかったような楽しくなかったようなエンカだった。

上野でFFとデート(笑)という名の博物館連れ回し弾丸個人教授ツアーをした後、浅草で大阪から来てくれたFFと埼玉から来てくれたFFとつくばから来てくれたFFと飲み会をした。

翌日にはFFと会って3人でかき氷を食べた。

その次の日は上野をツアーした。たくさんの人が参加してくれた。
解散後、なぜか酒を飲む流れになった。だからまた飲み会になった。

ある日の午前中は後輩FF達とつくばを散歩した後、別のFFと守谷を散歩した。

TOEICも受けた。

9月後半について、結構仰々しく書いた。
けどこれって夏休みじゃなくても土日に出来る話だし、なんなら平日にみんなフツーにやっていることであろう。
俺にとっては特別ではあったが、一般人にとっては特別ではなかろう。

見出し3

「一般人にとっては」、これはずっと俺に付きまとって回る問題である。

ここ最近ずっと思っているのだが、俺ってなにかが人より遅れている。
そういや、Twitter特有の恋愛叩き・非モテネタを24生とキャッキャッとしていた時、22生から、「お前はまだそんなことをしているのか。まぁ、それは流石にパフォーマンスでしょうねw」的なツイートを賜った。

まぁ、俺のツイートはパフォーマンスの部分が多いとはいえ、ツイートされるものは全くの突拍子もないものは作れない(作れるとして、考えていることか、考えていることの変形か、考えていることの真逆か、ぐらいしかない)。

つまり、1年生のようなことを素で行っている。
そもそもツイートの内容がしょうもない。下ネタとダジャレと定型文とRTしてへんてこりんな言及と生活の垂れ流ししかしていない。
しかも最近はRTの方が多くなってしまっている。

なんというか、大学生というか、22歳のノリのツイートが出来ないのである。(22歳がTwitterをやるのか?という疑問は置いておいて。)

夏休みにやった事とか、そもそも普段の生活からして、大学3年生の生活を送っていないのである。

そう考えると、私は常に他の人間から遅れている。
幼稚園の頃はへんてこりんなところがあったとはいえ、立派な幼稚園児であった。

ズレが生じたのは小学生であろうか。
まだわりかし人間と関わっていた気がする。しかし、友達の家に行くことはほとんどなく、友達との和に入っている感覚はなかった。
ちなみに現在小学校からの友達と会うことは0である。少なくともここ1年で1人だけだし、それを除くとここ10年ぐらい誰とも遊んでいない。

中高で完璧に差が生まれてしまったように感じる。
中高の遊びが帰り道の寄り道しかなかったからだろうか。
それとも、共学だったのに女性と親しい間柄になれなかったからだろうか。
ただ単純に勉強が出来なかったからだろうか。
クラスグルに唯一俺だけ入っていなかったからだろうか。
学校の繋がりではなく、Twitterの界隈にどっぷり浸かっていたからだろうか。
中高一貫校であったので、6年間絆を深める機会はあったが、結局あまり中高の人と関わりはない。

そして極めつけは浪人期。ここで完璧に停滞してしまった。
この頃の話は苦しいからあまりしたくないが、マジで家族とチューター以外の人間とお話しすることはなくなり、そのくせ勉強時間はろくに増えず(増やそうと思っても勉強できない体であり)、結局己の限界に気づいた、といった感じである。

そしてようやく大学に入ったが、このざまである。
このざま、というのはまぁ「書くことがない。」を読んでくれればわかる。

まぁあれを書いたのは1年生の秋Cであった。
だからあの頃とはいくつか違う点がある。

見出し4

まず、卒業単位の関係上、完全に文系の授業を取るのはやめた。
哲学とはなにか、わからない。俺は過去何を考えていたのだろうか。
hgkの名前すらTLで聞かなくなった。けどそもそもアドバイスできるような話を覚えていない。いや、そもそも哲学通論aとbで60点と59点の人間だった。
もう文化人類学がさぁ!!!みたいなことも言えなくなってしまった。あんなに楽しかったのに。あの頃一緒の授業を取っていた比文の先輩方とはもう関わりが薄い。(元々濃かったか?と言われたらそうでもないが。)
もう、はたから卒論おめでとうございます、とか、フィールドワークから帰ってきたんですね、みたいな感想を抱くことしかできない。

本を読まなくなった。筒井康隆以外。筒井康隆すら、夏休みに6冊ほど借りたが2回の延長と5日ほどの滞納の末、2冊ほど読めずに返却した。

そういやピアノをなおさら弾かなくなった。多分23生ぐらいまでは俺がピアノスペースをしてたのを知ってるだろうが、24生は俺がピアノを弾けるのを知らないだろう。

だからと言って理系単位は、といったら相変わらず落としまくっている。
1年生の時は累計6単位落とした。必修は5単位。この世の終わりかと思った。ここまでが「書くことがない。」で書いた時期の話だと思う。
2年生の時は累計12単位?落とした。多すぎて数えるのをやめてしまった。必修は11単位だと思う。もう感覚が壊れてしまった。うちの学類が頭おかしいのもあるが、それはそれとして落とし過ぎである。何というか、工シスの平均の人間が1単位ぐらい複素解析or線形代数総論のどれかを落として、それ以外の鬼門、みたいな単位4科目ぐらいをのどれかを一つ落とすので、2年生の平均より下の人間は多くても4単位ぐらい落とすぐらい、なのだが、俺はそれを全部落とした、みたいな感じになった。
ちなみに落とした単位は全て数学or物理である。工学システム学類の単位である。殺して下さい。
3年生までに必修を全て取り切らなくては(2年生で落とした必修を取り切らなくては)留年である。今のところ、全部取った、と言いたかったが、恐らく2単位落とした。1科目までなら仮進級でセーフらしいが研究室は選べないらしい。殺してくれ。

見出し5

大学院の先輩FF曰く、「3年生の授業を聞いて楽しいと思えたなら、工シス向いてるし、楽しいと思えなかったら今後苦しいかもね」と、ゴールドタイガーみたいなことを言われた。
結論から言うと、マシ、であるが楽しいとは思えなかった。パクチーみたい。
なんかで聞いたが、「パクチーは大好きな人と大嫌いな人に二分される。その中間の人はいない。」らしい。その後、初めて食べる機会があり、食べたら、「うん、普通に草だな。あってもなくてもよい。」だった。
これに近い。
話が逸れた。
授業は取って良かった、みたいな内容が多いし、なるほど。と思うことも多い。実験はとても楽しい(レポートを書くことからは目を背けて。)。けど単位は取れそうにないし、それなりに面白いけど眠気には勝てないし勝とうと思わないし、なにより授業の仕方がちょっとでも気に入らないとやる気にならない。
いや、昔、冗談交じりに、「比文に行きてぇ、芸専の支援の方も多分楽しいんだろうなぁ、けど多分真面目に学類変更するなら図情が一番やりたいこと近いんだろうなぁ」って言っていた。
けど今、消極的に「工シスで良かった」となっている。やりたいこと的に、である。
まぁ、これも常々言っているが、工シスのエネメカ側(ロケット飛ばしたり土木したりする専攻の方)には一切興味が湧かないどころかやりたくない、なので、知能機能側(ロボット動かしたり人工知能したりする専攻の方)の方で良かった、が正解な気がする。(研究室が決められない仮進級でもよいか!って諦めがつく理由の一つに、知能機能側の研究室なら大体どこに飛ばされてもやってもいいかなぁ~と思えることがある。)
結局やりたいことやりたいこと言っていたが、夢なんぞない。失せた。小学校ぐらいからずっと思い描いていた未来はないことを知った。
やりたくないことならたくさんある。
だから、もうなるように生きても良い気がしてきた。やりたくないところでなければ、適当に研究室に入れてもらい、適当に就職し、適当に稼いで、適当に老後を過ごす、で良い気がしてきた。もう俺が世界を動かすとかそういうのは無理な気がする。そこそこ上質な歯車ぐらいで良い。(ここで上質とか言っちゃう時点でまだプライドがあるんだろうなぁ。)
取り敢えず院には行きたい。けど昔は博士取りたいとか、研究職付きたいとか言っていた、がそこにこだわりも感じなくなってきた。
最近本当に限界が見え始めている。

見出し6

けどこれって今更かよ、って言う問題である。
俺は今まで本気で諦めていなかったんだと思う。
中学受験に失敗し(厳密には夏休みに本当に頑張って9月から学校別のクラスに行ったら、自分と授業のレベルの差に歴然として戦意喪失したところが挫折ポイントであるが。)、第二志望の良く知らない中学校で「俺は6年後成功するんだ」と一念発起した気になっていた。
が、そこで色々あって中2ぐらいまでで諦めを感じ、惰性で高3で受験をして失敗。
そこで諦めていなかったから浪人をなんとなくしてみて(というより高3の時点でそう言う未来が見えてたから滑り止めを受けなかったんだと思う)、そこで頑張ることの限界を知って諦め。親に「二浪する?」って聞かれたけど「しない。」って即答した。まぁ、二浪したところで受かるビジョンがなかったし、なによりもうそういう情熱が冷めた。
んで諦めたかと思ったら、第一志望の大学ではない大学で一念発起するか、ってなって3か月もたたないうちにテストを落とし中学校の時の二の舞を感じ死。
そして現在に至ると。
……なんでもっと早く諦めなかったのだろうか。
もう俺には無理だということがわかっているだろう?
そもそも「第二志望の良く知らない中学校」だの「第一志望の大学ではない大学」とか酷い書き方をした。第一志望に比べたらそりゃ下かもしれんが、第一志望さえ見なければとても良い中高・大学のはず、実際良い中高・大学である。
そしてあまつさえそのどちらでも落ちこぼれている。

多分普通の人って高校とか大学とかで身の丈というものを知るはずなのである。
それがようやくわかるって言うのは本当に、周回遅れ、という感じである。

見出し7

このままだとこのnoteの題名とそぐわない終わり方をしてしまう。
何とか軌道修正しなくては。

まぁ、一般人より周回遅れでいろんなことに気づき始めた、というが、これは良いことなのではないか。
なぜならば「気づく」ことができて、そして「周回」遅れということは一応道を踏み外さず同じ道を辿っていて、そして「遅れ」は取り戻すことができる。

何というか、俺は周回遅れを別のルートを通って別の道で良い勝ち方をする、みたいなことは無理だと思った。俺はなんだかんだ「一般人」である。
普通の人間である。
残念ながら私は気づいたうえで、「出来る限り周回遅れをしながらでもこの道しかないんだ……」としか思えないので、大学を辞めて就職、みたいなことにはならず、ずるずる、ずるずる、と、のらりくらり院に行って、そのあとどうにかなる(自動詞)のであろう。

見出し8

実は11月以前までは確かに本当に何もない、なんならマイナスのつまらない人生だった、とこのnoteで書こうとした。が、下書き状態で寝かせていたら、SOHO祭前後から12月まで、確かにマイナスもあったがプラスも増えて、なんというか、意味のある期間だったように思える。
なんというか、周回遅れではあるが、自分にとっても、一般人的な意味でも確かに歩み始めている側面があったように思える。(そこに至るまでの半年間ぐらいは苦しかったが。)
まぁ、どうでもよい。大事なのは、「確かに歩み始めている」という感覚が存在していることだ。
ここ半年は死にたくて仕方なかった。何にも手がつかなかった。去年の6月ぐらいの苦しさがあった。
思考というのはつくづく感情に左右されるものである。
このnoteの良い結論に至ったのも、(本来ならおいていかれて絶望、みたいな結論になるはずだった)気分が良いからなのか。
これが一時的な気分なのかはおいておいて、取り敢えず、この今年最後、という(あと2時間で2025年らしい)時間において心の内にある気付きを忘れずにいるために書き記しておく。
まぁ、結論としては、「まぁ、周回遅れに気づけていいじゃないか。まぁ、気づいたならばこれからのんびりと、けどちょっとだけ頑張ってやっていこうぜ。お前は別に特別でもなんでもないんだから気負わずに。ちょっとずつ、ちょっとずつ。2~5年遅れてるけど相対的に見れば、人生にとっては誤差なんだから。」と、絶望、みたいなとき(10月ぐらい?)に書いたnoteの下書きを今ふと書き直してて思った。という話でした。

……これで来年になったら「周回遅れ?じゃあ意味がないじゃん。」「一般人との絶対的な差に絶望してるのだが?」みたいな気分になってしまったらどうしよう()