タイラー・ザ・クリエイター『IGOR』を全曲解説
こんにちは!TMP1年の熊本と申します。
私は今年から入ったメンバーなので、TMPのメンバーの "好き" が知れて嬉しいです。人が好きなものを語る姿っていいですね。読むと自分も嬉しくなる。
僕からはタイラー・ザ・クリエイター(Tyler, The Creator)のアルバム『IGOR』を紹介します。
アートワークのピンク色とタイラーの無気力な表情が目を引く『IGOR』はアメリカのヒップホップアルバム。2019年にリリースされた、タイラーの5作目のソロアルバムです。『IGOR』は「EEE-GORE」(イーゴア)と読みます。
まずは『IGOR』をざっくり紹介
・USビルボード200で初登場1位を獲得。2020年のグラミー賞で最優秀ラップアルバム賞を受賞し、タイラー初のグラミー賞受賞となった。
・『IGOR』はヒップホップアルバムだが、比較的メロディーとコーラスの比重が大きい。ガッツリ歌っている。
・全曲にわたってノイジーな「汚し」の質感を感じるサウンド。意図的に音質を低くしていたり、トランシーバー越しのような割れた音であったり、解像度の低い音が目立つ。
・ハーモニーとメロディを重視し、シンセサイザーを多用した重厚なサウンドで、ノイズの強い質感ながらもローファイな雰囲気が光る。
(近年のヒップホップにおいて、コードとメロディを重視するタイラーの作風は珍しい)
・Playboi Carti, Lil Uzi Vert, Solange, Kanye West など、客演として多数のミュージシャンが参加している。ちなみに、『IGOR』は曲名にfeat.〇〇という記載がないため、全曲誰の声か解説する動画がある。
・10曲目の「GONE, GONE/THANK YOU」では日本のアーティストである山下達郎の「Fragile」をアレンジしてタイラーが歌っている。
これを受けて山下達郎からの言及があった。(この話で僕は『IGOR』を知りました。)
・『IGOR』はコンセプトアルバム。アルバムを通して三角関係の物語が展開されます。タイラーと、タイラーが恋するバイセクシュアルの男性と、その男性の元カノの三角関係を描いたフィクションで、タイラーは男性から引き離されてしまう。その過程でタイラーは、彼への思いが激しくなったり、逆に彼への執着心を手放そうとする。
・題名の「IGOR」はゴシックで悪役の助手として登場する「イゴール」というキャラクターのこと(例えばフランケンシュタインの助手はイゴール)。イゴールはタイラーの暗く無関心な側面を象徴している。
タイラーが恋人に心のすべてを注ぎ込んだ後にイゴールが登場するが、彼の恋人の気持ちは元カノに向いたままである。イゴールの登場は、アルバム前半でタイラーが巻き込まれた強い恋愛感情をリセットする役割を果たしている。
本記事の目標
さて、この記事の目標は、皆さんにフルで『IGOR』を聴いていただくことです。
とは言っても今はタイパの時代。『IGOR』はフルで聴くと40分かかります。
しかしほとんどの人にとって、面白い確証のないアルバムを40分間聴くのはハードルが高い。
僕自身「40分も知らんアルバムを聴けるか!」という気持ちがめちゃくちゃある。そもそも歌詞、日本語じゃないし。
そこで!
本記事では『IGOR』について僕なりに「ここが面白い・感動する」というポイントをまとめました。
全曲分。(だって、聴いてほしいんだもん!)
また、Youtubeに投稿されている『IGOR』の和訳動画を可能な限り載せました。
『IGOR』の三角関係のストーリーも解説しました(日本語の情報がなさすぎるため)。書いているうちにストーリー解説の比重が大きくなってきました。
この記事を『IGOR』を聴く前の事前情報として、あるいは聴きながら読んでいただくことで、あわよくば皆さんに40分フルで『IGOR』を聴いていただければ…!というのが本記事のねらいです。
(ここまで皆さんが『IGOR』を1mmも知らないという前提で話していますが、「EARFQUAKE」だけ知ってる、みたいな人もフルで聴くことをお勧めします。全部聴いたことある人も、もう一度通しで聴いてみてください。)
ここまで「フルで聴く」を強調してきましたが、なぜフルで聴いてほしいかというと、タイラーが直接「飛ばさずにフルで聴いてほしい」と表明しているからです。
リリース直前にタイラーが発表した『IGOR』のステートメントを紹介します
。
タイラーは「運転や散歩といったリラックスできる活動を行いながら、アルバムに没頭してほしい」と述べています。
各自読んで、気分を上げること。(一応飛ばしても大丈夫です。)
読むと結構ワクワクしませんか。自分はこういった説明書きを読んでテンションを上げていくタイプです。
前置きが長くなりましたが、さっそく聴いていきましょう!
"IGOR'S THEME"
「IGOR'S THEME」は、長く、歪んだベースから始まります。
「街中を運転していたら、みんなこのアルバムから何か感じるだろう」という歌詞が出てきます。
これはステートメントの「(街中を運転するなど)リラックスする活動を行いながら、アルバムに集中してほしい」という訴えを表しています。
歌っているのはラッパーのリル・ウジ・ヴァート(Lil Uzi Vert)。彼はおでこに大きなダイヤモンドを埋めたことがあり、日本でも話題になりました。
一曲目にふさわしい、始まりの期待感をもたらすトラックです。
"EARFQUAKE"
「EARFQUAKE」は『IGOR』を代表する曲です。
ピッチを上げたタイラーのボーカルが印象的です。上で鳴ってるシンセがかっこいい。
付き合っていた彼女が離れていってしまい、動揺する心を地震になぞらえています。最後らへんで「君がどう感じてるか教えてくれ」と歌っているあたり、なぜ彼女に嫌われたのかよくわからないようです。リアルですね。
この曲では「Don't leave, it's my fault」(行かないでくれ、僕が悪かった)という歌詞が繰り返されます。ここで用いられているfault(過ち)には断層という意味もあり、この曲のテーマ「地震」とのダブルミーニングになっています。また、二人の関係に亀裂が入ったとも読めます。
後半でラップをしているのはプレイボイ・カルティ(Playboi Carti)。特徴は赤ちゃんみたいな声と、呂律が回っていないラップ(マンブル・ラップ)です。またOpiumというダークな世界観のレーベルを主催しています。
MVを見てほしいのですが、タイラーは金髪マッシュのカツラをつけています。IGORのMVでタイラーはこの格好をしていることが多いです。暴れるたびにマッシュが揺れて面白い。(タバコのポイ捨てはやめましょう!)
余談ですが、この曲は当初ジャスティン・ビーバーへの提供曲だったところボツとなり、歌手のリアーナにも受け取ってもらえなかったため、タイラー自らが歌うことになりました。
"I THINK"
「I THINK」はタイラーが恋に落ちる様子を描いています。
注目してほしいのはサビの「I think I've fallen in love~🎵 This time I think It's for real~🎵」の部分。コーラスを歌っているのはビヨンセの妹・ソランジュ(Solange)です。
古いレコードみたいなザラザラしたノイズが聞こえます(サンプリング元の影響か)。いい感じの質感です。ダンサブルなドラムも大好きです。2:08からの間奏もかっこいいのでぜひ聴いてほしい。
ここで「Man, I wish you would call me By your name 'cause I'm sorry」(君の名前で僕を呼んでほしい、謝りたいからさ)という歌詞に注目。
このフレーズで引用されているのは『Call Me By Your Name』という映画です。この映画は青年どうしの恋愛を描いているのですが、この引用は、タイラーが男性に恋したことを示唆します。今後、この男性はタイラーの恋人として登場します。
"EXACTLY WHAT YOU RUN FROM YOU END UP CHASING"
「君が逃げてたものを、君は結局追いかけることになる」という意味のこの曲は、いわゆるinterlude(間奏曲)です。いわば小休止のための短い曲。
ナレーションの声はコメディアンのジェロッド・カーマイケルです。
『IGOR』では彼のナレーションが挿入されることで、曲のテーマを暗示する構成になっています。
この「君が逃げてたものを、君は結局追いかけることになる」という言葉は先の展開を暗示しています。つまりタイラーが「A BOY IS A GUN*」で恋人に「俺から離れろ」と言って逃げ、「PUPPET」では再び彼を追いかけることを暗示しています。
一番最後のフレーズ「There's always an obstacle」(いつでも障害がある)に注目。ここでのobstacle(障害)とは、この後に出てくる恋人の元カノのことです。この元カノがタイラーにとって邪魔な存在になっていきます。タイラーと恋人、その元カノによる三角関係が始まることを示唆しています。
この曲はCD版では「BOYFRIEND」という曲に差し代わっています。
"RUNNING OUT OF TIME"
・「RUNNING OUT OF TIME」は、タイラーと恋人のつかの間の関係を描き、別れの危機が迫っていることを知らせています。
・最初らへんの「I been runnin' out of spells To make you love me.」(君を惚れさせるための呪文を使い果たしてしまった)というフレーズを見てほしいです。次の「NEW MAGIC WAND」(新しい魔法の杖)という曲名と「魔法」繋がりで結びついています。面白い言葉遊びですね。
リリックを見ると、タイラーが一方的に想いを寄せる関係になってきているようです。
・「So, take your mask off, I need her out of picture」(仮面を外せ、彼女を写真から消す必要がある)という歌詞があります。これはタイラーが恋人に向けて訴えていると思われます。
タイラーの恋人には、未だ関係の続く元カノがいます。タイラーの恋人は、自分がバイセクシュアルであることを世間から隠したいと思っていて、元カノとの関係を維持することで異性愛者の「仮面」を被っているとタイラーは主張しています。生きづらい世の中です。
自分のセクシュアリティを誤魔化さないで、元カノとの縁を切ってほしいというタイラーの訴えが読み取れます。
なんか、タイラーが気の毒じゃないですか。タイラーの方は「時間がない」と言いながら振り向いてもらおうと必死なのに、恋人は曖昧な態度をとり続け、元カノとの縁を切る気がない。
タイラーは元カノに嫉妬を覚えるようになります。
この嫉妬が、次の「NEW MAGIC WAND」に繋がります。
"NEW MAGIC WAND"
「NEW MAGIC WAND」は恋人の元カノに嫉妬したタイラーが、独占欲を燃やす曲です。
凶暴なビートの上でなんかすごいことを言っています。完璧に脅しです。
その一方で、1:41あたりからのコード進行がめっちゃかっこいい。
最初に「窓を開けるにはドアを閉めなくちゃいけない時もある」とナレーションが入ります。この諺は「変化するためには前進しなければならない」という意味です。
つまり、恋人との関係を修復するために、元カノを殺してしまいたいと。すごい、一気に物騒になってきました。
リリック全体から恋人に対する強い独占欲が伝わってきます。
「魔法の杖で写真から消してやる」と言っていますが、このMAGIC WAND(魔法の杖)は、拳銃のことらしいです(本人のポスト曰く)。怖すぎる。
一応(否定されていますが)、MAGIC WANDはフォトショップの消しゴムとも解釈できます。まさに「消しゴムマジックで消してやるのさ!」ですね(?)。
ちなみにですがこの話はフィクションです。ストーリーテリング(ストーリーのあるラップ)をタイラーがしているだけで、主人公はタイラー本人ではないと思います。
この曲はライブで盛り上がる曲の一つでもあります。グラミー賞授賞式でのタイラーのパフォーマンスは必見です。
"A BOY IS A GUN*"
「A BOY IS A GUN*」ではうってかわって恋人に「君は死ぬほど危険だ」と言い、距離を置こうとします。
一番好きな曲です。MVのゴージャスな雰囲気が最高にかっこいい。さながらラグジュアリーブランドのPVみたいです。
ブランドといえば、タイラーは自分のファッションブランドを持っており(GOLF WANG, GOLF le FLEUR)、今年(2024年) ルイヴィトンとコラボしました。近年のストリートカルチャーのラグジュアリーブランドへの進出は目を見張るものがあります。
この曲では恋人を銃になぞらえています。恋人も銃も自分の敵になりうる点で危険な存在です。
ここでは「Boy, you're sweet as sugar, diabetic to the first degree」
(ボーイ、君が砂糖みたいに甘いから一型糖尿病で死んじゃうよ)
という歌詞に注目。
the first degree murder(第一級殺人)とtype 1 diabetes(一型糖尿病)をかけています。第一級殺人とは、アメリカで最も重い殺人罪です。
最後は次のような歌詞で終わります。
「このままにしておくよ、俺たちを友達のままにしておくよ
皮肉なことに、もう君に会いたくないんだ
俺から離れろ」
さっきまで元カノを殺したくなるほど恋人に執着していたかと思えば、「離れろ」と態度がコロコロ変わる様子が、アルバムを通して伺えます。いい意味でも悪い意味でも人間臭さを感じます。
サウンドについては、ソウルフルな雰囲気とタイラーの声がマッチしていてかっこいいです。銃のSEも面白い。
最後の「a boy is a gun」の部分が不協和音なのも個人的に気になります。
そして繰り返される「You stared with a mere hello」(君の些細な挨拶から始まった)というソウルフルなコーラス。
これはPonderosa Twins Plus Oneというグループの「Bound」という曲からサンプリングされています。
カニエ・ウェスト(Ye)が「Bound 2」でこの曲をサンプリングしていることがこの曲の以前から知られており、タイラーとカニエの仲がいいことが分かります。
全然関係ない話ですが、彼ら、ジャクソン5の後追いっぽくないですか。5人組なところとか、声質とか。ジャクソン5に寄せてる感ある。
"PUPPET"
「PUPPET」は恋人に感情を振り回されている自分をPUPPET(操り人形)に例えた曲です。
アルバムを順番で聴いていくからこそ、この落ち着く感じが沁みます。
冒頭の「君と話したい、電話に出てほしい」という歌詞から、タイラーが恋人と近づきたいことがわかります。
「A BOY IS A GUN*」の中で「俺から離れろ」と言っていたのに、結局恋人を追いかけている展開は「EXACTLY WHAT YOU RUN FROM YOU END UP CHASING」(逃げていたものを結局追いかけることになる)のタイトルで暗示されていました。
1:42からのラップはカニエ・ウェストによるものです。カニエがリリックでタイラーに共感しています。
"WHAT'S GOOD"
「WHAT'S GOOD」は攻撃的なラップ曲です。
タイラー本人が自分の凄さについて語っています。タイラーが交通事故に遭って生還した話が言及されています。
前半と後半でビートスイッチ(曲のビートが変わる仕掛け)があるのがかっこいい。
後半で、「I see the light」(光が見える)と繰り返したあと、「ドラキュラ、ドラキュラ、ドラキュラ」とラップしています。「ドラキュラは光が苦手」という言葉遊びが見られます。
この「I see the light」が合図となって、次の曲からタイラーは恋人への執着心を手放していきます。
"GONE, GONE / THANK YOU"
「GONE,GONE / THANK YOU」はタイラーが「曲です。
6分近いこの曲ですが二部構成になっており、GONE,GONE パート、THANK YOU パートからなります。
タイラーのアルバムの10曲目は、必ず複数のパートで構成されているようです。
この曲のチューニングは通常のA=440Hzより低く、それによりローファイな雰囲気を帯びています。
GONE, GONEパートは、恋人が自分のもとを去っていってしまったことを歌っています。愛は終わった、乗り越えていかなければ、と自分に言い聞かせている感じが哀しい。
僕は中盤の「My love is gone」のコーラスとそれに続くラップがお気に入りです。
4:38からガラッと曲調が変わります。THANK YOU パートに入りました。
ここでは山下達郎の「Fragile」がサンプリングされています。しかもそのまま音源をコピペしているのではなく、弾き直し、歌い直しです。山下達郎へのリスペクトが伝わってきます。シティポップ好きの僕としてはとても嬉しい。
これを受けて山下達郎は以下のようにコメントしています
原曲の”There'll never be a long and lonely night again”「長くて寂しい夜は二度と来ない」の部分が”But I don't ever wanna fall in love again”「でももう二度と恋に落ちたくない」になっていることにも注目です。
"I DON'T LOVE YOU ANYMORE"
「I DON'T LOVE YOU ANYMORE」でタイラーは「もう君を愛したりしない」と自分に言い聞かせています。
がっつり高域がカットされたドラムが特徴です。
Geniusの解説文が非常に良いので引用します。
"ARE WE STILL FRIENDS?"
「ARE WE STILL FRIENDS?」はアルバムを締めくくる曲です。
別れを受け入れようとして、もう好きじゃないと自分に言い聞かせても、さよならが言えず、友達のままでいたいと訴えるタイラー。結局まだ未練があったというオチです。
この曲の最後、つまりこのアルバムの最後は、シンセサイザーの一音で終わります。「IGOR'S THEME」もシンセの一音で始まりました。ループ再生すると最初と最後が繋がっているように聞こえます。タイラーはまた同じような恋を繰り返すのでしょうか。今度こそは報われてほしい。
サンプリング元はソウルシンガーのアル・グリーンです。
おわりに
『IGOR』の全曲を解説しました。(ここまで来れて良かった…)
皆さんはフルで聴いていただけたでしょうか。
『IGOR』は日本語の情報が少なく、Geniusを読んでもストーリーの流れが掴みづらいのが気になったので、今回の執筆に当たって、多少長くなっても自分がまとめねばという思いで執筆しました。この記事が『IGOR』に興味がある人の助けになれば幸いです。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました!
最後にIGOR mikuを紹介してお別れです。