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「ホーム」を、「みんな」でつくる。 ― 大学スポーツの価値を考える ―

ホームゲーム、大学スポーツの価値とは

「大学スポーツの可能性を広げ、スポーツで交流と興奮、文化を創る」ことを目標に活動している「TSUKUBA LIVE!」
夏に開催された「Splash!」に続き、10月1日にも「NEXT 50」というテーマのもとサッカーのホームゲームを開催したTSUKUA LIVE!は、大学スポーツ、そしてホームゲームの魅力を発信し続けています。
そして少しずつ、ですが確実に、筑波大の周りに住む地域の人々だけでなく、広く日本の人々にも、TSUKUBA LIVE!の存在や活動が認知されはじめています。

そんなTSUKUBA LIVE!を運営し、先頭に立って活動の方向性を決めているのは、TSUKUBA LIVE!クリエイターズと呼ばれる筑波大生です。
クリエイターズは、それぞれの役割を分担して、ポスターやチケットのデザインを1から考えて自分たちで作成したり、ホームゲーム当日の演出を考えたり、人々にホームゲームのことを知ってもらえるような企画や告知を打ち出したりするなど、運営に関わるほとんどのことを互いに協力しながら進めています。

そしてTSUKUBA LIVE!クリエイターズは、定期的に全体で集まるミーティングを行っています。このミーティングはクリエイターズにとって、お互いの意見を共有し、これからの進むべき方向を模索する時間であると同時に、活動の根底にあるTSUKUBA LIVE!が大事にしたいこと、忘れてはいけない思いなどを改めて見直し、皆で再確認するという大切な時間になっています。

今回の記事では、TSUKUBA LIVE!が考える「ホームゲーム、そして大学スポーツの価値」について、そのミーティングの中でクリエイターズが考えたこと、話し合いを通してTSUKUBA LIVE!全体が共有した内容をもとに、皆さんにお届けしたいと思います。


■「普通の大学生」が、町を一つに

TSUKUBA LIVE!クリエイターズが、ホームゲーム、そして大学スポーツの価値について考えるにあたって着目したのは、「プレーする選手が大学生である」という、いわば当たり前の事実です。
大学スポーツなので、選手が学生であることは当たり前のことですが、クリエイターズの皆さんは、その自明の事実を深掘りすることで、大学スポーツに秘められた価値を見出します。

前提として、大学スポーツに励んでいるほとんどの選手たちは、普段は授業を受け、アルバイトをし、その大学がある地域の人々と共に、何気ない日々の生活を送っています。

そんな彼らは、地域で暮らしている大人から見れば「普通の学生」であり、時には迷惑をかけられ、手のかかることもあるけれど、その若さとエネルギーで町に活気を与えてくれる、地域にとっては欠かせない存在です。
また、子供たちや中高生から見れば、自分たちが成長した時の姿を想像させてくれる、頼りがいのあるお兄さん、お姉さんであると同時に、大人にはない親しみやすさを感じさせてくれる存在でもあるでしょう。

そのように、いわば大人にとっては我が子のような、子供たちにとっては兄・姉のような存在として、つまり同じ「ホーム(家・地域)」で暮らす「家族」の一員として、地域の人々にとっても身近で馴染みのある存在となっているのが、大学スポーツのアスリートなのです。

そして、試合で実際にプレーする選手が、普段は同じ「ホーム」で「ともに」生活している”普通の大学生”であるという事実が、「プレーする側の選手」/「応援する側の観客」との間の垣根や心的な距離を取り払います。
そうなることで、ホームゲームはただの「スポーツ観戦」の場ではなくなり、選手・観客含めた全員が、「この町(ホーム)で、みんなで生きている」という、人と人との繋がりを強く感じられる、みんなで一つになれる空間としての、「ホームゲーム」が生まれます。

■ホームゲームは、みんなが「主役」

そして、観客と選手の間にある垣根がなく、みんなが一つになり、一心同体となってその場の空気やあらゆる感情を共有できる「ホームゲーム」という空間は、プレーする選手にとってはもちろんのこと、応援する観客にとっても、もはや「他人事」ではありません。自分の家、つまり「ホーム」で起きる出来事はすべて「自分事」であり、その気持ちを一人一人が持つことで、全員が、「ホームゲーム」を「主体的」に、思う存分楽しむことができるのです。

そしてそうであるからこそ、観客として訪れる地域の人々も、ホームゲームの日だけは、普段の、時間に追われる生活や忙しい仕事のことを一度置いて、自分の「ホーム」で、その空間を共に作り上げる「家族」と、肩を組み、抱き合い、大声で歌い、歓声を上げ、喜び、悔しがり、目の前で繰り広げられるプレーの一瞬一瞬に没頭し、熱狂することができます。

会場に集まった一人一人が「主役」であり、全員が「主体的な存在」となって作り出されるのが、「ホームゲーム」という空間なのです。

■”今、ここ”を、「みんな」で生きる

会場に集まった一人一人が主役となり、その一瞬一瞬をみんなで楽しめる「ホームゲーム」という空間は、人々に、日々の生活の忙しさ、あわただしさのために忘れがちな感覚、つまり、「”今、ここ”を生きる」こと、「過去」や「未来」ではない、”今、ここ”の、「その”瞬間”に生きること」の大切さも、思い出させてくれます。

私たちは、程度の差はあるものの、過去を振り返って悩み、まだ経験していない未来への漠然とした不安や心配を感じながら、生活しています。
「あの時こうしておけばよかった」とか、「明日はこれをしなきゃ」とか、私たちの気持ちや意識は、常に過去と未来を行ったり来たり、あわただしく動き、その都度後悔や不安を感じてしまうものです。

そしてそうであるならば、過去の失敗、未来への不安に囚われて生活している私たちは、まさに「心”ここ”にあらず」で、”今、ここ”に意識が向いていない、「自分」を見失っている状態だと言えます。

ですが、私たち人間の生は、まさに”今、ここ”にしかありません。その”今、ここ”の一瞬一瞬の積み重ねこそが人生であり、私たち一人一人を形作っています。

時間を巻き戻せず、早送りもできない、常に”今”しかない私たちの生にとって、「今、この瞬間」を充実させ、日々の一瞬一瞬に楽しさや幸せを感じることが、忘れがちですが、とても大切なことなのかもしれません。

そして同時に忘れてはならないのは、私たちは一人で生きているのではなく、「他者と共に生きている」ということです。「人間」である、ということは、まさしく「人の間で」生きているということであり、他者がいるからこそ、私たちは日々生活することができています。
そうであるならば、他者とは、自分が生きていくために必要不可欠な存在であると同時に、だからこそ、愛情や思いやりを持って接するべき存在です。

以上のような、明確で、けれど忘れがちな事実を、人々は「ホームゲーム」を通じて思い出すことができるのではないでしょうか。

普段の忙しい毎日の中で、「今」を生きることができず、けれど自分のことで精いっぱいで、普段は人と人との繋がりすら感じられない私たちが、そういった日々から抜け出して、「ホームゲーム」に集まる。

すると目の前では、普段は自分たちと何一つ変わらない生活を送っている”普通の大学生”が、町のため、「ホーム」のために必死にプレーしている。
そのひたむきな姿に、気づけば熱中し、アツくなる。ふらふらと過去と未来を行き来していた心が、「自分」が、”今、ここ”の一瞬一瞬に没頭し、「”今”を生きている」ということを、強く実感できる。

そしてふと周りを見ると、自分と同じように、大きな声で歓声を送り、喜び、悔しがっている人に、囲まれていることに気が付く。
普段の生活では、ただ通り過ぎるだけ、すれ違うだけだった地域の人々とのあたたかなつながり、愛おしさ、「自分は一人じゃない、みんなで生きているんだ」という感情を、思い出すことができる。
そしてその「思い」を、選手と観客がひとつになって共有できたとき、そこに「ホーム」が、自分はここにいていいんだと思える「居場所」が、生まれる。

この点こそが、ホームゲーム、そして大学スポーツが持つ、スペシャルでかけがえのない価値であると、考えています。

■NEXT 50

以上のような、人々の人生におけるかけがえのない経験を提供することは、簡単なことではありません。ですが、SNSの発達やコロナ渦などを経て、人と人とのつながりを感じにくくなっている”今”だからこそ、TSUKUBA LIVE!は大学スポーツ、そしてホームゲームの可能性を信じ、挑戦し続けています。

慌ただしく過ぎ去る日々と、将来の不透明さにうつむいてしまいがちな”今”だからこそ、自分の生は”今、ここ”にしかないと感じられる瞬間を、自分は一人じゃないと感じられる場所を、そして、人とのあたたかい繋がりを感じ、一人一人の心が少しでも安らぐ居場所、「ホーム」を、「みんな」で作りたいと、TSUKUBA LIVE!は考えています。


次のホームゲームのテーマも、「NEXT 50」。50年後、日本中の大学がホームゲームを開催し、それぞれの地域で暮らす人々にとってのかけがえのない交流と興奮の場、みんなにとっての大切な「ホーム」が生まれている、そんな未来のために。


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