「東京の空の下 ~当節猫又余話~」第三章 前編
四月十一日 土曜日
次の朝、起きるとミケはいつの間にか俺の部屋の床で寝ていた。
朝食の後、母さんが、
「孝司、古新聞縛ってちょうだい」
と言った。
「分かった」
こういう時は素直に従うに限る。
下手に逆らって言い争ってもどうせ負けるのだ。
仮に勝ってもおかずの量を減らされたり、部屋を掃除されたりという仕返しをされるから割に合わない。
それくらいならさっさと済ませてしまった方がいい。
俺は積み上げてある古新聞をまとめ始めた。
新聞紙を重ねていると数日前の新聞が出てきた。
その一面を見た瞬間、驚いて新聞を取り落とした。
大型動物に噛み殺された人の記事だったのだが、そこに載っている写真に写っていたのはミケが化けていた男だったのだ。
俺は新聞を掴むと、階段を駆け上がって自分の部屋に飛び込んだ。
「ミケ!」
『何よ』
「これ! お前が化けてた男じゃないか!」
俺はミケに新聞を突き付けた。
『だから?』
「お前が殺したのか?」
『そうよ』
ミケが平然と答える。
「お前は人を殺して回ってるのか!」
『違うわよ。そいつがあやを殺したからよ』
「あやって小早川のことか?」
『そうよ』
「小早川は交通事故で死んだんだろ」
『そいつがわざと車で轢いたのよ』
ミケはあやが出掛けている時は帰りが待ち遠しくていつも家の前で待っていた。
一刻でも早くあやに会いたかったからだ。
あやがいつものように角を曲がって出てきたのを見て、待ち兼ねていたミケが駆け寄っていた時、それまで止まっていた車が突然猛スピードで走り出してあやを撥ね、そのまま走り去った。
撥ね飛ばされたあやは塀に叩き付けられた後、道路に倒れて動かなくなった。
ミケが見ている間に車に乗り込んだ者はいなかった。
つまり車に乗っていた者は、あやの姿を見てからエンジンを掛けて車を出したのだ。
ミケはあやに駆け寄り、傷を治そうと必死で血が出ているところを舐めた。
けれどミケがどれだけ傷を舐めてもあやは目を覚まさなかった。
大きな車に乗せられたあやに随いて行こうとしたが乗せてもらえなかったので家の前で帰ってくるのを待っていた。
何日も何日もあやの帰りをひたすら待ち続けていた。
そしてある日、あやの親が小さな箱を持って帰ってきた。
それがあやだという事が何故だか分かった。
人間が入れる大きさではない。
だが、そこに入っているのはあやだ。
あやは死んだのだ。
いくら待ってもあやには二度と会えない。
ようやくそれを理解した。
あの車が撥ねたせいだ。
最初からあやを殺すつもりだったのだ。
あやの入っている小さな箱を見ていたくなくて外を彷徨い歩いている時、あやの血の臭いが付いた車を見付けた。
傷一つ付いていなかったから人間はあやを轢いた車だという事に気付かなかったようだがミケには分かった。
車に乗せられて運ばれていくまで傷を治そうと必死で舐めていた血と同じ臭いだったから間違いない。
あやに駆け寄る時、車とすれ違ったからミケは運転手の顔を見ていた。
ミケが車の前で待っていると運転していた男がやってきた。
『あいつはわざとあやを轢いた。あやにはもう二度と会えない。声も聞けない。あいつのせいで……それで気が付いたら噛み殺してた』
俺は新聞を隅から隅まで読んだ。
関連記事にも目を通す。
この男が小早川を殺したとはどこにも書いてない。
だが小早川の死は轢き逃げで、犯人は捕まってないから書いてないのは当然だ。
「それじゃあ、俺達を喰い殺したりはしないんだな」
『私は人間なんか食べないし、あんた達はあやの死とは関係ないでしょ』
「ああ」
そう言えば誰も喰われたとは言ってなかったし、記事にも噛み殺されたと書いてある。
小早川の仇を討つために殺しただけで喰ってはいない。
つまり人間を餌にしているわけではないのだ。
『なら何もしないわよ』
「それならいいが……」
いや、良くはないのだが。
「もう人を噛み殺したりするなよ」
俺の言葉にミケは何も答えなかった。
まぁ、いい。
小早川を殺した犯人はもう死んだんだし、これ以上はやらないだろう。
そう思いたい。
そう思うことにしよう。
俺や俺の家族は小早川とは縁もゆかりもないからミケに恨まれる筋合いはない。
だからきっと大丈夫だろう。
……多分。
きっと……。
少なくとも喰われる心配はしなくていいだろう。
怒らせたら噛み殺されるかもしれないが……。
俺は階下に降りると新聞をまとめて縛った。
九時少し前に家を出て待ち合わせ場所に行く途中で秀、高樹と合流した。
「あ、こーちゃん、秀ちゃん、高樹君」
不意に角から雪桜が出てきた。
「雪桜、どうしたんだ?」
「買い物だよ」
雪桜がスーパーの方を指した。
綾との待ち合わせ場所と同じ方向だ。
俺達は綾のいる場所に向かって一緒に歩き出した。
曲がり角に近付くと歌が聴こえてきた。
「一個目のドングリ、木から落ちてきてコンとなってころん。
子リスやってきて持ってった。
二個目のドングリ、木から落ちてきてコンとなってころん。
リスもやってきて持ってった。
三個目のドングリ、木から落ちてきてコンとなってころん。
小鳥やってきて持ってった。
四個目のドングリ、どこ行った。
五個目のドングリ、逃げてった……」
俺達が角を曲がるとそこには綾がいた。
歌っていたのは綾だ。
「その数え歌……」
雪桜が目を見開く。
「それ、祖母ちゃんの歌だ……」
祖母ちゃんが作ったから基本的にはうちの家族しか知らない。
秀と雪桜は知ってるが。
「あ、これもあったんだ。綾さんが孝司のおばあさんだって信じる理由」
だから、そう言うことはもっと早く言え!
「あんた、ホントに俺の祖母ちゃんなのか?」
「そうよ」
綾が肯定した。
「祖母ちゃん……」
俺は思わず呟いていた。
「お前、ホントに狐の孫だったのか」
高樹は少し安心したように言った。
化生の子孫だったのが自分だけではなかったからだろう。
もう認めるしかない。
綾は本当に祖母ちゃんなのだ……。
「そう言えば祖母ちゃんは今どこに住んでんだ?」
「この近くの神社」
「罰が当たるんじゃないのか?」
「今のところ平気みたいよ」
祖母ちゃんは涼しい顔で言った。
まぁ、罰が当たるとしたら祖母ちゃんだし……。
スーパーの近くで雪桜と別れ、俺達は神社に向かった。
「雪桜が見た神社ってここだよな」
住宅街の小さな神社はどこも普段人が来ることは滅多にないが、その中でも一際廃れているのがここである。
「仮にも神様が祀ってあるのになんでこんなに寂れてるんだろうな」
小さい神社とはいえ神様に拝めば御利益がありそうなものだが……。
「祀ってないわよ」
祖母ちゃんがあっさり否定した。
「え?」
「元々神様がいたわけじゃないから」
祖母ちゃんはそう言って神社が出来た時の経緯を話してくれた。
昔、近くの村に住んでいる人が仕掛けた罠に鳥が掛かっていた。
それを見た江戸から鰯の干物を売りに来た行商人が罠に掛かった鳥を捕り、代わりに売り物の干物の一部を残していった。
その行商人が去った後、仕掛けた罠を見に来た者が鰯の干物を発見し、
「鳥の罠に鰯の干物があった!」
と近所に触れ回ったため、きっと神様がやったに違いないと考えた地主が神社を建てた。
その後、以前干物を置いた行商人が再びそこを通り掛かり、近くの村の人に新しく神社が出来たわけを訊ねた。
話を聞いた男が、それは自分が鳥を捕って代わりに干物を置いていったのだと話した。
怪異でもなんでもないと判明したため神社は廃れてしまった。
「え……じゃあ、神様はいないのか?」
「人が来ないから化生が住み着く事はあるけど神様はいないわね」
「なら、ここで儀式の跡を探しても無駄なのか……」
俺はうんざりした。
やはり新宿(と中野と渋谷)中の神社行脚をしなければならないのだ。
明治神宮も三キロ圏内なんだぞ……。
あまりの途方のなさに俺が肩を落とした時、
「君達、ちょっと退いてくれる?」
不意に後ろから声を掛けられた。
俺達が振り返ると二十代半ばくらいの女性が立っていた。
白いブラウスに紺のタイトスカートをはいている。
俺達が道を空けると女性が神社に入っていった。
祖母ちゃんから今聞いた話を知らない人は神社だから神様がいるのだろうと考えてお詣りに来ちゃうんだな……。
そんな事を考えながら眺めていると、女性は鞄の中から白い小さな壺を取り出した。
女性の足下に小さな白木の組木がある。
女性が呪文を唱えながら壺の中身――水のような透明な液体――を掛けた。
白木の組木は一瞬青白い炎を上げたかと思うと崩れた。
女性が蓋を閉めて壺を鞄の中に戻す。
「あの……今の、何してたんですか?」
まさかこれが祖母ちゃんの言っていた儀式とやらでは……。
「言っても信じないわよ」
「化生を呼び寄せる儀式、とか」
「知ってるの!?」
女性が驚いたような声を上げた。
「といっても今のは儀式じゃなくて儀式跡の浄化だけど」
「なんで浄化したんですか?」
浄化したなら儀式をしたのはこの女性ではないだろう。
用が済んだから浄化したという可能性もあるが。
「浄化しないと化生が集まってくるでしょ」
「そうですけど、なんでお姉さんがするんですか?」
と言っても他に出来そうな人間に心当たりはないから助かったのだが。
「不肖の弟の尻拭いよ。まったく、こんな事しでかして……」
女性が苛立たしげな表情を浮かべた。
「ホントに不肖の弟だな」
「はた迷惑だよね」
高樹と秀が同調する。
「ちょっと待て。その弟ってのに心当たりがあるぞ」
俺がそう言うと全員の視線が集まった。
「それ、妖奇征討軍って名乗ってるあの二人組じゃないか?」
「妖奇征討軍!? あの子達、まだそんな戯言言ってるの!?」
女性は呆れたように首を振った。
「こんなこと二度としないように、こっぴどく叱ってやらなきゃ」
そう言うと女性は帰っていった。
妖奇征討軍とトラブったときのために、連絡先を聞いておけば良かった、と思ったのは女性が姿を消してしまってからだった。
神社からの帰り、四人で早めの昼飯を食べていこうという話になりファーストフード店に入った。
四人で話をしている時、秀がコーヒーのお代わりを買ってくる、と言って席を立った。
「孝司、望、秀の誕生日プレゼント、何にするの?」
秀が席を離れると、祖母ちゃんが声を潜めて訊ねてきた。
「俺、そんなもんやらねーよ」
「薄情ねぇ」
祖母ちゃんが顔を顰める。
「秀だってよこさねえし、お互い様だろ」
「内藤の誕生日が近いのか?」
「ああ」
「秀に何あげればいいと思う? 何か欲しいもの言ってなかった?」
「渡さないから知らない。秀に聞いておいてやろうか?」
俺は祖母ちゃんに言った。
「そんなことしたらバレちゃうじゃない」
「大丈夫だ。雪桜への誕生日プレゼントの相談のついでに聞く」
雪桜の誕生日も四月だ。
雪桜の両親の結婚式の当日、四月なのに大雪が降り、満開の桜に雪が積もった。
しかも夜にはすっかり晴れて、雪が積もった桜の木の上に月が見えて雪月花が揃った。
雪桜の両親は「結婚式の日にこんな奇跡が!」と喜んだらしい。
交通機関のダイヤが大幅に乱れて出席予定者の多くが来られず、披露宴が行われたホールは閑散としていたらしいが。
そして翌年の四月に雪桜が生まれたので、結婚式の日の雪と桜にちなんで雪桜と名付けられた。
もちろん、雪桜が産まれた日には雪は降ってない。
いくらなんでも東京で四月に雪が降ることは滅多にない。
「東には誕生日プレゼントするのか? もしかして、お前……」
「雪桜からは貰ってるからだよ。お前も渡しといた方がいいぞ。雪桜は絶対お前の誕生日にもプレゼント用意するから」
「そうなのか」
高樹が考え込んだ。
俺は、祖母ちゃんに、
「それより金持ってるのかよ」
と訊ねた。
「持ってるわよ。ここの支払いだって自分でしてるでしょ」
「金はどうやって工面してんだ?」
「狐なんだから葉っぱだろ」
「なわけないでしょ」
祖母ちゃんが突っ込んだ。
レジに葉っぱが入っていたら騒ぎになるはずだがそれは聞いてない。
「まさか賽銭泥……」
「働いてるのよ! あんた達が学校へ行ってる間に」
十代の少女が昼間に働けるのか聞いてみたら仕事の時は成人の見た目をしているらしい。
そんな話をしているうちに秀が戻ってきた。
深夜、またもや目を覚ましてしまった。
もちろん、女の子の幽霊はミケの側にいた。
ミケは丸くなって寝ている。
俺は布団をかぶって目を瞑った。
般若心経でも習った方がいいのだろうか。
あの女の子は何で俺の前に出てくるんだ?
自慢じゃないがモテたことはないから、俺が弄んで捨てた女の子、なんて可能性は太陽が西から昇るよりあり得ない。
実は密かに俺を想っていながら気持ちを伝えられないまま死んでしまった女の子、と言うのもないだろう。
…………ん?
死んだ女の子?
まさか……。
しかし一番可能性が高い。
確かめる方法は?
……ある。
よし、月曜に確かめてみよう。
四月十二日 日曜日
俺達は秀の家で宿題をすることになった。
宿題の難易度が高すぎて高樹と俺にはお手上げだったので秀と雪桜に教わる事になったのだ。
雪桜と高樹と俺はほとんど同時に秀の家に着いた。
俺は秀の家の鍵を開けた。
幼稚園の時から遊びに来てるし、よく泊まってるから半分自分の家のようなものだ。
雪桜と俺は秀の家の鍵を持っているし、雪桜と秀も俺の家の鍵を持っている。
もちろん、秀と俺は雪桜の家の鍵を持っている。
俺は勝手にドアを開けて入っていった。
雪桜と高樹が続く。
廊下を通って階段を上がり、秀の部屋のドアを開けた途端、秀と祖母ちゃんがキスしているのが目に飛び込んできた。
俺が慌ててドアを閉める。
「帰ろう」
俺は動転して言った。
「そ、そうだな」
高樹も動揺した様子で頷いた。
「え? どうして?」
雪桜は小柄だし俺達の後ろにいたせいか中の様子が見えなかったらしく不思議そうな顔で訊ねてきた。
その時、ドアが開いた。
「ゴメンね。まだ来ないと思ってたから。さぁ、入って」
秀は照れくさそうに言った。
高樹と俺は顔を見合わせた。
「こーちゃん、高樹君、早く入ってよ」
俺と高樹は秀と雪桜に挟まれる形で身動きが取れなくなった。
結局、高樹と俺は中に入り、雪桜が後に続いた。
宿題は捗らなかった。
「ほら、こーちゃん、そこ。今言ったばかりでしょ」
「すまん」
俺は雪桜に謝って、間違えたところを消した。
友達がキスしているところを見てしまうのと、家族がキスしているところを見てしまうのと、どちらがより衝撃を受けるだろうか。
両方だった俺のショックは間違いなく二倍だが。
しかし高樹の狼狽ぶりは友達のキスを見てしまったと言うことでは説明が付かない。
もしかして高樹は……。
「こーちゃん、そこ、全然違うよ」
「あ、わり」
そんな感じでやっていたので昼過ぎまで掛かってしまった。
高樹も似たようなものだった。
何度も間違いを指摘され、その度に直していた。
昼間でやっても終わらなかったので秀の家で昼食をご馳走になることになってしまい、高樹は盛んに恐縮していた。
雪桜と俺は慣れていたので大して気にしなかった。
雪桜の家に行くことはあまりないが、秀や雪桜が俺の家で食べていくことは珍しくない。
秀も雪桜も両親が共働きなので、子供の頃はよくうちに預けられて夕食を食べていった。
俺の両親が出掛けるときは、俺も秀や雪桜の家に預けられた。だからお互い様なのだ。
ようやく英語の宿題が終わり俺達は秀の家を辞去した。
祖母ちゃんだけ秀の家に残った。
秀の家を出たところで俺は高樹を呼び止めた。
「悪い、雪桜は先に帰っててくれ」
俺がそう言うと、
「うん、それじゃあ」
雪桜は手を振ると帰っていった。
「何か用か?」
「間違ってたら悪いんだが……お前、もしかして祖母ちゃんのこと……」
高樹は黙り込んだ。
勘違いだったのかと心配になってきた時、
「……そんなにバレバレだったか?」
ようやく高樹が口を開いた。
「いや、さっき分かった。雪桜は多分気付いてないと思う」
「そうか」
「元気出せよ。祖母ちゃんは化生なんだぜ」
あまり励ましになってないような気もするが……。
「サンキュ。オレのことは気にしないでくれ。オレも化生より人間の方がいいしな」
高樹はそう言うと、
「それじゃ」
と言って帰っていった。
好きな人――〝人〟ではないが――のキスシーンを見てしまったんだから高樹は辛いだろうな。
こんな形で失恋するとは思ってもいなかっただろうし。
まぁ、高樹と知り合った時は、既に秀と祖母ちゃんは付き合ってたから最初から横恋慕だったのだが……。
俺が帰ろうと踵を返した時、祖母ちゃんと目があった。
いつの間にか祖母ちゃんが家の外に出てきていたのだ。
「祖母ちゃん、今の……」
「聞くまでもなく気付いてたわよ」
まぁ、人生経験は俺達より長いわけだしな……。
〝人〟ではないが。
「そうか。それでどうするんだ?」
「どうもしないわよ。どうしようもないでしょ」
「それもそうだな。じゃ」
俺はそう言って家に向かった。
四月十三日 月曜日
翌日、俺は誰かに見られているのを感じていた。
俺は人ならざるものが見える以外、至って普通の男子生徒だ。
俺に想いを寄せている女子生徒が柱の陰から見付めているとか?
とても有り得そうになかった。
俺もそこまで自惚れてはいない。
だとしたら誰だ?
秀に訊ねてみると、
「ああ、そうか。視線だったんだ」
なんか違和感あるなって思ってたんだ、という答えが返ってきた。
D組に行って高樹に聞いてみると、
「木曜くらいから見られてるような気がしてたんだ。お前らと別れたら感じなくなったから気のせいかと思ってたんだが」
と答えた。
「え? 視線? 全然気付かなかった」
雪桜は知らないというように首を振った。
俺はひとまず視線の主を無視することにして拓真を捕まえると教室の隅に連れて行った。
「大森君、どうかした?」
「お前、小早川の写真持ってないか?」
「え? ど、どうして?」
この慌てっぷりは持ってるんだな……。
「見せてくれ」
「どうして?」
「ミケの前の飼い主を見てみたいんだよ」
拓真が俺の口実に納得したのかどうか分からなかったが写真は見せてくれた。
やっぱり……。
あのお化けは小早川だった。
てっきり隠し撮りかと思ったら小早川の自撮りだった。
小早川がミケと一緒に撮ったものを猫の写真がほしいと言う名目で貰ったそうだ。
拓真の場合、完全に口実とは言い切れないのが……。
小早川も拓真が重度の猫オタと言う事を知らなければ特別親しいわけでもない男子に写真を渡したりはしなかっただろう。
「サンキュ」
俺はそう言うと拓真を放してやった。
しかし、なんで小早川の幽霊が俺の部屋に出るんだ?
小早川は何か気に入らないことでもあるのか?
〝ミケ〟と言う名前が気に入らないとか?
けれど、ミケに本当の名前を聞いても「あや以外の人間からは呼ばれたくない」と言って教えてくれないのだから仕方ない。
拓真なら小早川からミケの本名を聞いているかもしれないと思ったが敢えて訊ねなかった。
ミケは小早川以外の人間からはその名前では呼ばれたくないと言っている。
化猫なのだ。
嫌がっている事を無理にやったりしたら噛み殺されかねない。
それとも俺が捨てようとしているから出てくるのか?
正体が分かったことで少し恐怖が薄れた。
人は知らないものを恐れるというのは本当らしい。
まだ怖いことは怖いのだが。
化生には言葉が通じるが、幽霊にも言葉が通じるのだろうか?
試すにはいい機会だ。
怖いけど……。
話し掛けて取り憑かれたりしたらシャレにならないが、いつまでも幽霊に出てこられても困る。
次の休み時間、俺は秀に話し掛けた。
「なぁ、今なんか欲しいものあるか?」
「もしかして誕生日プレゼント?」
「俺がやらないってのは知ってるだろ」
「綾さん? プレゼントなんかいいのに」
「くれるって言うんだから貰っとけよ」
「でも、綾さんには誕生日がないんだよ。お返しが出来ないのに貰うのも……」
秀が困ったように言った。
確かに化生の誕生日というのは聞いたことがない。
うちに住んでた頃は祖母ちゃんの誕生日を祝ってたが、大森ミネは名乗れないと言って武蔵野綾と称しているくらいだから祖母ちゃんの誕生日というわけにもいかないだろう。
しかし今は祖母ちゃんの誕生日より大事なことがある。
雪桜の誕生日も近いのだ。
俺達は毎年雪桜へのプレゼントに頭を悩ませている。
女の子が喜ぶようなものなど見当も付かない。
雪桜は気持ちだけでいいと言うが、貰っている以上返さないわけにはいかない。
「雪桜の誕生日プレゼントは? 何か考えたか?」
「なんにも思い付かないよ」
俺の問いに秀が困ったように答えた。
秀と二人で考え込んだものの何も思い付かないまま放課後になってしまった。
中央公園で祖母ちゃんと合流して帰る途中、神社の中から争うような声が聞こえてきた。
俺達が覗いてみると、十歳くらいの淡紅色の着物を着た女の子が、体長二メートルはあるような化物と戦っていた。
化物の顔はくしゃくしゃで髪はぼうぼう、その髪の間から二本の角が覗いていて肌の色は赤い。
「なぁに? どうかしたの?」
雪桜が不思議そうな顔で訊ねた。
俺は簡単に目の前の状況を説明した。
「どっちの味方をするかは一目瞭然だよな」
高樹が言った。
「一応聞いとくけど、あの二人は?」
俺は祖母ちゃんに訊ねた。
「女の子の方は刀の化身、デカブツは牛鬼」
「ぎゅうき?」
「いわゆる鬼よ」
「鬼って事は人を喰うんだよな?」
「当然でしょ」
「よし! いくぞ!」
高樹と俺は同時に鬼に飛び掛かった。
しかし、あっさり弾き飛ばされてしまった。
祖母ちゃんは秀と雪桜を庇うように二人の前に立った。
「こんなことならナイフ持ってくるんだった」
高樹が臍を噛んだような表情で言った。
とはいえ、そんなものを持っているのを警察に見付かったら補導されてしまう。
というか、高校二年という年を考えると補導で済むかどうか……。
俺は鞄の中からナイフの代わりにボールペンを出して鬼に突き刺した。
が、ボールペンは簡単に折れてしまった。
俺は再び鬼に吹っ飛ばされた。
背中から地面に叩き付けられて一瞬息が止まった。
「こーちゃん!」
雪桜が叫んだ。
刀の女の子は爪が鋭いらしく、四人の中で唯一鬼を傷付けていたが、何しろリーチが足りず腕を切りつけるのが精一杯、胴体にまでは手が届かない。
「おい! 刀の化身!」
高樹が女の子に声を掛けた。
「名前は?」
「骨喰繊月丸」
「ほねばみ、せんげつまる? 変わった名前だな。まぁいいや。繊月丸、刀の姿になれるか?」
「なれる」
そう言うと女の子の姿が消えて地面に日本刀が突き立った。
高樹は刀を手に取ると振りかぶって鬼に突っ込んでいった。
刀を振り下ろす。
鬼が避ける。
返す刀で横に薙ぎ払う。
鬼は後ろに飛んで避けた。
大振りすぎて鬼にあっさり見切られてしまったようだ。
鬼が腕をふるった。
高樹が胸を殴られて跳ね飛ばされる。
数メートル吹っ飛ばされて地面に叩き付けられた。
刀が手から離れて転がる。
高樹が咳き込む。
高樹と刀の間に鬼がいる。
俺は刀に飛び付いて掴むと鬼に斬り掛かっていった。
鬼が腕を振り回す。
俺は簡単に弾き飛ばされてしまった。
だが繊月丸が高樹の側に転がっていった。
高樹が刀を掴んで再度鬼に斬り掛かっていく。
俺は邪魔にならないように後ろに避けた。
鬼が高樹を蹴り上げた。
またも高樹が吹っ飛ばされる。
繊月丸が手から離れたが、今度は高樹のすぐそばに落ちた。
三度刀を手に取ると高樹は鬼に突っ込んでいく。
高樹と鬼の攻防に、俺は手が出せずにいた。
秀は鞄の中からスマホを出すと高樹を遠巻きにして撮り始めた。
そうだった……。
動画を撮っている振りでもしてなければ日本刀を振り回している言い訳が出来ない。
まだ日が沈むまでには時間があるから人に見られる可能性がある。
いつ神主さんが社務所から出てくるかと思うと冷や冷やする。
鬼が左腕を横に払う。
高城が振った繊月丸の刃が当たり、腕がすっぱりと切断されて落ちた。
鬼は咆哮を上げると煙になって消えてしまった。
高樹はしばらく刀を構えていた。
「もう出てこないわよ」
祖母ちゃんがそう言うと高樹は刀を下ろした。
「繊月丸、人間の姿になってくれ」
俺が声を掛ける。
日本刀が女の子の姿になった。
刀の化身だけあって凛として整った顔立ちをしている。
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