クイズの世界の観測範囲
大学でクイズを始めてから10年が経ってしまった。一応途切れることなくクイズは続けており、そこそこの量のクイズに触れて、そこそこの実力は保ち続けていると自分では思っている。
クイズというものに明確に触れたのは高校2年生の夏休みに訪れたROUND1で今は無きAnswer×Answerをプレイしたことだった。当時の自分には衝撃的で、セミプロのランクになるぐらいまではプレイしていた。
1度だけ店舗大会に出たことがある。それまで問題を回収するということすら頭になかった自分にとって、その時の負け方はある種「理不尽な負け」とでも言えるものだった。詳しい問題などは1つも覚えていないが、その時の感情だけはなんとなく思い返すことができる。
「問題を覚えてやるクイズゲームの何が楽しいんだろう?」
思い返してみれば、高校生の時の自分には「元々知っている事を使う場」がクイズゲームだったのだろう。その時はいわゆる「競技クイズ」の存在も、クイズゲームのコミュニティみたいなものの存在も、何一つ観測できなかったのだから。
大学でクイズを始めてから今まで、長文難問のクイズに取り組んだことは皆無だ。問題集を眺めることはあっても、大会、ひいては企画すら参加することはなかった。
長文難問の世界で共有されてきたノウハウや共通認識みたいなものを視界に収めることが出来ていない。
ただ、これに関しては「観測できない」のではなくて「観測してない」類のものだ。今の自分にある人脈なら長文難問の世界に立ち入ろうとするだけなら100%可能だ。単純にビビってるだけである。知らない知識が広がり続ける世界を直視することに対して。それが悪いことかといえば断じてそうではないのであるが。
どうしても自分が観測していない範囲については憶測で喋らざるを得ないのは確かだ。先程は「長文難問」と一括りで話をしていたが、その括り方も曖昧なものなのだろうと思っている。少なくとも「PERSON OF THE YEAR」に出てくる問題とコンモリの企画に出てくる問題は毛色が違うような気がする。当然共通範囲はあるのだろうが、それをはっきりと見分けるための経験値みたいなものは明らかに足りていないのは分かっている。
オンライン大会のペーパーで音声出題を実施したとき、「ろくに考えずにやったんちゃうか」みたいな感想を見たこともある。裏で色々な話し合いをした上で実施したこともあって「うっさいバカ!知らんくせに!」と思ったこともある。
実際わちゃわちゃしたことは確かなので、参加者から見るとそう見えても仕方なかったとは思うが。裏側なんて観測してもらっては困るのだから。
ただ、推測で知ったふうに話されるとシンプルに腹が立つというのはその時に感じたことだ。経験として強く残っている。
そういえば社会人になってからabcの大会の運営に携わったことがない。裏でどういった運営が行われているかは知り合いから伝え聞く形で想像するしかない。
今の高校生以下のプレイヤーで名前を把握できている人はわずかだ。何なら今年の若獅子杯の優勝者も「始めて見る名前だな」と思ったのが正直なところだ。
なかなか観測範囲を広げることは難しいものだ、社会人になってからは特にそう感じることが多い。
最近のクイズ論を眺めているなかで、ぼんやりと考えていた「色んな人とクイズをしたい」というのは「クイズの世界の観測範囲を広げたい」というところから来ているのかな、と最近自分の中で納得がいった。
せっかくクイズのお話をするなら、色々な視点を見て自分の意見を決めたいし、自分の中のクイズ観を形作るのならば、極力色々なところを見て回ってから自分で選んでいきたい。
クイズで勝ちたいのと同じぐらい、クイズの世界を知りたい。せっかく人生を費やすことに決めた趣味の世界を少ししか知らないなんてもったいないような気がして。