就職氷河期時代の東京ランチ生活
はや三十年近くも前になってしまうが、東京で短い間OL生活をしていた。
三か月で辞めた新卒で入った会社、外資系のコールセンターを経て、その後、ワーホリから帰ってきた後、通信系会社で派遣で働いていた。
実際どうやって業務をしていたか、仕事の内容など、同僚や上司たちなどとどう過ごしていたかなどは、ぼんやりとしか思い出せないのだが、今でも懐かしく思い出すのは、昼休みに食べたランチの数々だった。
都内の4か所の職場で働いたが、その中でも思い出深いのは、池袋と新橋で働いていた時だった。
池袋の職場はサンシャインシティの中にあったため、飲食店は星の数ほどあり、さらに他の商業施設も山ほどあったから、かつてない充実した昼休み生活を送ることができた。
低収入ではあったが、弁当の持参をすることなどなく、社食もない職場だったから、ランチは外食の一択だった。
一日当たりの予算は1000円の上限を設けたが、高級系の中華レストランに入ってしまったりすると、ランチセットは1000円以上になってしまうので、そういう場合は、次の日は松屋でワンコインで納めるなどして、やりくりをしていた。
この頃は、700円から900円ぐらいでも、結構いい感じのランチセットが提供されていたので、日替わりで、パスタ、中華、天丼、そばなどローテーションして、外食ランチをエンジョイしていた。
新橋の職場も、周囲に無数の飲食店があって、恵まれた環境だった。
池袋に比べると、値段は若干高めで、どちらかというと、アフターファイブの飲み屋さんの方が多かったが、ランチ営業している店もいっぱいあった。
新橋でも、日替わりでいろいろなお店を試していた。
池袋の時は、コールセンター勤務だったということもあって、休憩時間が全員一緒ではなかったので、おひとり様でいつも食べに行っていた。
しかし、新橋はいわゆる普通の事務方の部署だったので、お昼休みは全員一緒で、お弁当を持参した人以外は、部署の人と一緒に食べに行っていた。
普通だったら、私の場合、ものすごく気を遣うシチュエーションだし、昼休みぐらい一人でのんびりさせてくれ、と思う所なのだが、この職場は例外的に、みんなおもしろくて、良い方ばかりだったので、一緒にご飯を食べに行っても、全く苦にならなかった。
そのおかげで、刀削麺だとか、本場の麻婆豆腐、渋いお蕎麦屋さんなど、自分一人では絶対開拓できなかったであろう、お店に行くことができたし、この新橋の職場に勤められたことは、本当にラッキーなことだったな、と思っている。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?