奇跡について想うこと
はじめまして、月のうさぎと申します。
昨日、友人と奇跡について話をしていたのですが、私が感じていることと友人が感じていることが違うことに気づきました。
私は、なにが正しくて何が間違っているということは好きではありません。ただ、世の中には法律などの決められたことがあるのは事実です。そんな感じで、私が想っている世界なんだなと感じて読んでいただけると嬉しいです。
ところで、奇跡とは何だと思いますか?『奇跡』をGoogleで検索してみました。「常識では起こることとは考えられないような、不思議な出来事。特に、神などが示す思いがけない力の働き。また、それが起こった場所」と記載されていました。
私は、奇跡は日常にたくさんあると感じています。
なぜなら、看護師をしていてたくさんの奇跡を見てきました。そして、結構身近にあると思います。
友人と感じていたことが違うなと感じていたのは、友人は自分の直感が当たっていたり、不思議なことは偶然やたまたまと感じていたみたいです。で、どちらかというと『奇跡』とは、セッティングやプロセスがないと起きないものだと思っていたみたいです。崇高なものと、感じていたのかなと思います。
私は、こうして生きていることも奇跡だなって思います。看護の仕事をしていると、理論ではどうにもならないことがたくさんあります。命は本当に素晴らしいです。そして、魂もその一部だと思います。
たとえば、ターミナル期の患者様がもういつ亡くなってもおかしくないと思っていましたが、意識もない中、ものすごい心電図の波形を打ちながら何週間も頑張られ、大好きなお孫さんがお見舞いにいらっしゃると息を引き取られるということがよくあります。そんな時はスタッフ間では「お孫さんを待っていらっしゃったんだね」と話をしています。
私は、魂が望んだことなんだろうなと思っております。こんなことも、奇跡かなとは思いますが、結構普通にあることです。日常は、何事もなく無事に生きていられることも『奇跡』だと思います。
なにか、崇高なものだったり、創造主的なものが、助けてくれているのかもしれません。もしくは、あなたの魂があなた自身が人生を全うできるように仕向けてくれているのかもしれません。
私は、そう思っていることで毎日が尊いものと感じれます。リーディングがすごく当たっていたり、しっくりする内容だった時も「奇跡」の一部を感じていますし、自分という存在に感謝です。
なにが正解かはありませんが、ちょっとの感じ方で日常が変わってきますよ。心と魂を癒すことを、少しでもお手伝いできるといいなと思います。