ここにもAI
先日、予備に持っている古いiPhoneのバッテリーを交換してもらった。場所は、ショッピングセンターの一角に出店しているスタンドで、新しいバッテリーは純正品ではなく互換品とのこと、これがダメになったら、もう処分するつもりだから、それで十分だった。
無事に交換が済んで受け取る時の、店員さんによる動作確認の説明と手さばきには見惚れてしまった。どうやってもあんな風にいじれないと思った。単に扱っている頻度と慣れの違いではないように思える。若い世代は圧倒的に脳の造りが違っているんじゃないかと痛感するのは、こういう時だ。
そんな風だもの、これまでオンラインで対面セッションをやろうなんてことは、考えても実行に移さないできたが、今やらないと、もう、やる機会は無くなるだろうという気がするので、遅まきながら取り組んでみようかと考えている。(パパパパッとじゃなくて、ポチ、ポチしか進まない)
どこから手をつけようかと、「オンラインで占いをやる方法」なんてのをざ〜っとネットで見ていたら、やさしく説明しているサイトがいくつもあった。その中の一つには、リクエストを受注、そしてビデオ通話、お金をいただく仕組みを整えるだけだから手順は簡単、と、あった。そうか、そうなのか、、、。ついでに話の中身は、AIチャットで聞いて、それをしゃべれば良い、誰でも占い師になれる、と説明しており、とても驚いた。
本当に驚いた。
今の時代らしいと言えばそうなんだろうが、、、 本当にそれでいいの? そして、お客さんはそれで満足すると言えるの? 本当に?
古い人間から言わせてもらうと、それは、人間的なものが欠けている話じゃないのかということなのだ。
もっと言うと“エーテル“的なもの、つまり、生命に通じるものが欠けているんじゃないのかということなのだ。
それで話が済むようだったら、そもそもそんなに深いレベルの話ではないのかも、いや、分からない。
昔は、こっちの坊ちゃんとあっちのお嬢さんを取り持つ仲人さんが地域にいたものだけど、それがマッチングアプリにとって代わられたように、占いや人生相談を引き受ける人もいなくなっちゃうのだろうか、なんて考えてしまう。
もしも、心から話を聞いてくれる人が身近にいたら、それは幸運だろうけれども、他人だから話せることもあるという役を引き受けるのが占い師だとしたら、それはそれで存在意義があるんじゃないかな、とりあえず、今しばらくは、多分。