妊娠もしていないのに、母になるのが怖かった。
結婚してから2年を少し過ぎた。
入籍してから同居を始めたので、
最初の1年は2人の時間を。結婚式や新婚旅行を終えて、
今年はそろそろ妊活かな?春あたりから、などと話していた。
しかし今年、ウイルスが猛威を振るい世の中の混乱が恐ろしくなった。
秋ごろから?やっぱりもう少し待つか?
などとやってるうちに、2020年も残り1ヶ月半ほどだ
友人には子供がいる子も多いし、
望んでもなかなかできない子もいる。
不妊治療をするならそろそろ真剣に取り組まなければならないこと。
それは身体的にも、精神的にも、金銭面でも、削られるということ。
無事子供を授かっても、
多忙な夫を待ちながら泣き止まない子供と一緒に泣き続けた友人がいること。
自分に当てはめて考えると
正直めちゃくちゃ不安で、ビビっていた。
産後は体型が崩れる、なんてのも良く聞く話だ。
もしかしたら、もう女として見られないのではないか。
そんなことも考えた。
旦那は変わらずに愛してくれるだろう。
そう確信できることが幸せなことも理解している。
何も、夫以外にもモテたいだとか、
そういうことではなくて
自分でもバカバカしい自覚はあるので、口に出すのも恥ずかしいが
「推しに遭遇した時ちょっとでも綺麗だと思われたい」
とか、そんな程度だ。わたしの考えることなんて。
ただ、そんなことのために身体的リミットを無視する理由にはならない。
わかっている、つもりだ。
○○さんの奥さん
から
○○ちゃんのお母さん
になる、と考えることが、こんなにも恐ろしいなんて。
今はまだどこか、
自由に好きなものを買ったり、出かけたり、着飾ったり、
少女と女を自由に行き来出来ているような感覚がある。
(31歳で少女ではないだろうか??)
(でも「女子」と「女性」との間の感覚だ)
これが「母」になる
わたしに耐えられるだろうか??
口に出すほどじゃあない。
でも漠然と、不安が、喉の奥から滲み出てきている、たまに。
そんな折に、ある曲を改めて聴いて、
感情も理性も、全て零れそうになった。
椎名林檎
「ありきたりな女」
(日出処/2014)
幼い頃から耳を澄ませば、ほんとうに小さな音も聴こえて来た。遠い雲が雨を手放す間に、木々の笑う声。時を言う時はそう音楽になり、欲しいものなどなかった。
どれほど強く望もうとも、どれほど深く祈ろうとも、もう聴こえない。
あなたの命を聴き取るため、代わりに失ったわたしのあの素晴らしき世界。
GOODBYE。
椎名林檎はずっと大好き。
この曲も勿論リリース時から知っているし、
歌詞を読んだり、口ずさんだり、
しっかりと「既に知っている曲」だった。
それでも、わたしが人生を経験するごとに
同じ曲なのに全然聴こえ方が変わってくる
自分でも名前をつけられない、
ほぼ無自覚だけど、何か、もやもやとただよう感情を
的確に表してくれる。
いつだって。
この動画のコメント欄を、ずっとずっと読んでしまった。
勝手に気持ちが重なって、とても他人の話とは思えなくて、
零れそうな涙のせいでずっと視界は歪んだままだった。
かつての少女時代と、それがもう二度と戻らないこと。
母になった瞬間失われた世界を嘆くことに罪悪感を感じてしまいそう
それをここまで明確に、鮮やかに縁取ってしまう。
ほんとうにすごい。
妊娠に恐れ慄いている今現在でもこれだ。
出産、子育てを経験してから再度この曲を聴いた時
わたしはもっと深くこの曲を理解できるのだろうか。