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麗蘭



1991年。
RCとスライダーズの休業が無ければ
絶対に生まれなかった奇跡のユニット。

チャボは東芝EMIで蘭丸はEpicソニー。
それでも2つのレコード会社は業界の垣根を越え
麗蘭というユニットは奇跡的に誕生した。

当初ブルースのカバーとかを演るもんだと
思ってた蘭丸はチャボが持って来た新曲30曲に
驚愕したという。

チャボの下書きに
スライダーズではあまり使用されない
セブンスやディミニッシュのコードで
蘭丸が色彩を加えていく。

チャボも蘭丸に対してコードだけでなく
どんな曲にも対応するフレーズも含め
"コイツこんな技も持ってるのか"
と驚愕したという。

まだ音源すら発表されてないツアーには
会社を辞めてまで参戦する人々が続出した。

そしてEpicからそのツアーを収めたビデオ
"Welcome Home !!"が発売された。





このビデオには
数えきれない程の
夜を救ってもらった。

スライダーズでは見せた事ないような
蘭丸の笑顔が印象的だった。

そしてチャボがこんなに
暴走する人だとは思わなかった。
(そこがまたカッコいいんだけど。)

[今夜R&Bを…]という曲では
歴代のソウルマンやブルースマンの名前が
連呼され最後にこう叫ぶ。

"ストリート・スライダーズ"
"RCサクセション"

そしてこう続く。

"今夜 歌ってよ
おれの部屋で歌ってみせて"

チャボは清志郎へ
蘭丸はハリーへの気持ちを
チャボが代弁して歌ったのかも知れない。




楽器はエレキ2本に
ウッドベースとパーカッション。

楽曲はチャボが創り出す歌詞も含めて
ここではないどこかを描く無国籍な音楽だった。

当時の広告には
"真夜中の阿片"と記載されていた。
まさにそんな感じだった。

そして同年晩秋。
待望のデビューアルバムがEMIから発表された。





スタジオ盤はライブとは
打って変わって蘭丸のアイデアで
打ち込みが採用された。

打ち込みと聞くと身構えてしまうが
蘭丸がスライダーズの[ROUTE S.S.]で披露した
[届かぬラブレター]や[蜜の味]のような
違和感の無い打ち込みだった。

それが無国籍感に更に調和し
最高のアルバムになった。

中でも浮遊感のある
この曲が大好きだった。




バンドブーム終了間際の頃で
個人的に少しバンドサウンドに疲れ
憂歌団などのアコースティック系の
ブルースを聴き始めた頃だった。

そして1995年2月10日(金)。
有給で会社を休んで金沢まで飛んだ。




ホテルの式場には大きな丸テーブルが
何台も置かれ見知らぬ客同士が同席する
なんとも不思議な雰囲気だった。

ちなみにこの時のドラムは
亡くなってしまったが憂歌団の
島田さんが叩いていた。

このLIVEではビデオに収録されてない
前途の"ユメ・ユメ"も演奏されたのが嬉しかった。

そして[ミュージック]では
チャボも客も大暴走した。

チャボの煽りに客はテーブルを乗り越え
椅子をなぎ倒しステージ前に押し寄せた。

おい。ここホテルだぞ?
ライブハウスと違うんだぞ?
などと思う間もなく

一緒に行った取引先の先輩まで
[行かんのか?!]と言い残して
突っ込んで行った。

ホテルの従業員が制止したが
誰の耳にも入らなかった。

そんな輪に加わらなかった人達は
自分も含め椅子に乗りステージを眺めていた。
(もちろん靴は脱いで。)

恐らく出禁レベルのLIVEだった。


帰りに先輩と焼き鳥屋で飲み
店を出て先輩の運転で家を目指していると
検問に遭遇した。ヤバい。2人とも飲んでる。

警察官に息を吐けと言われた先輩は
さっきまで食べていたニンニクの口臭が残る
息をおもいっきり警官の顔を目掛けて放った。

助手席に居る自分ですら
警官に同情するレベルの放息に
警官は顔を歪ませながら
行って良しの号令が出た。

先輩は逃げる事なく真正面から
権力に立ち向かい検問を突破した。
(そんな格好いいもんじゃないか。)

[あっぶなかったなぁ]
先輩は豪快に笑いながら運転を続けた。

東京じゃ見られない
石川の天然プラネタリウムの空の下
カーステからは[ユメ・ユメ]が流れていた。















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