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「失敗かどうかは自分で決めればいい、私が娘に学んだこと」#今年学んだこと

毎年12月になると開催される、娘が通うピアノ教室のクリスマス演奏パーティー。
今年で4回目の参加となる娘の演奏は、大失敗におわった。と、思った。

しかし演奏後の娘の表情は晴れやかで、私はその時初めて気がついた。娘の演奏は大失敗なんかじゃない、むしろ大成功だったのだということを。そんなことに気づいた話。

娘とピアノの始まり

「ピアノを弾けるようになりたい!」
娘がこども園の満3歳児クラス(年少の1つ下のクラス)に入園してすぐのことだった。

きっと園で毎日ピアノを弾いてくれる先生の姿をみて憧れたんだろうなと思うと、なんだかとても可愛らしくて、そのわくわくが冷めてしまわないうちに習わせてあげたいと思った。
私はすぐに家の近くのピアノ教室を探し始めた。

しかし私の家の近所の教室だと、どこもピアノは年少クラスからで3歳だとリトミックになると言われた。リトミックはピアノには触れないが音楽は楽しめる、それはそれで楽しそうだなと思い娘に説明してみたけれど、予想外に娘の意思は固く“絶対にピアノが弾きたい“ということだった。

3歳でもピアノを弾かせてもらえる教室がないかと、検索したリストの上から順に片っ端に問い合わせをしてみたものの残念ながら全滅。そのことを娘に伝え、3つの選択肢から選んでもらうことにした。

①とりあえずリトミックを習ってみて、年少になったらピアノを習う
②リトミックは習わずに、年少になったらピアノを習う
③他の習い事を探してみる

娘は迷わず②を選んだ。よし、じゃあ1年待とう。そして娘と約束をした。
「年少になったら絶対にピアノを習おうね」

年少になった娘

満を持して年少クラスに進級した娘。約束どおり、ようやくピアノを習い始めることができた。

満3歳児クラスの春休み中に4つの体験教室を試してみて、娘が1番好きだと言った先生の教室に決めていた。

体験教室で初めてグランドピアノを弾いた娘の表情は、今でも忘れることができない。宝物に触れるようにそっと鍵盤に触れ音がなった瞬間、嬉しくてたまらない気持ちが全身から溢れ出ていた。この世で1番キラキラしているもののはなあに?と聞かれる機会があったら、答えは間違いなく「あの瞬間のうちの娘」だと思う。(バカ親)

初めてのレッスン

楽しくてたまらないピアノ

毎週水曜日の14時30分。
娘が1番楽しみにする時間となった。

ドレミの場所を覚え、ト音記号やヘ音記号等の記号を知り、指にはそれぞれの番号があることを覚えた。毎週出される宿題を楽しくこなし、3Pやっておいてねと言われれば5Pやって翌週のレッスンに臨む娘。

ちょっとエンジンかかりすぎじゃないかなと心配になることもあるが、そこを上手に調節してくれる心強い先生の助けもあって、娘がどんどん成長していく姿がみえた。

習い始めてから3年半の間、家での練習も体調不良の時以外は欠かしたことがない。朝起きて歯磨きをして朝食を食べ、身支度を終えたら出発の時間までが練習の時間。私が何も言わなくても、朝のルーティーンとして娘の生活の一部となっているのだ。

初めはドだけを繰り返す楽譜だったのが、今では両手合わせて♯が6個もついている楽譜を弾きこなし、初めて参加したコンクールでも入賞するほどに娘はしっかりと実力をつけていた。

「弾いてみたい」から始まり「もっと弾けるようになりたい」と気持ちがふくらみ、その「もっと」の気持ちの強さと、弾けるようになるために一生懸命努力を続ける娘を私は心からリスペクトしている。

習い始めた時の楽譜
今練習している楽譜

クリスマス演奏会に向けて

クリスマス演奏会は発表会とは違い、とにかく楽しんで弾いて欲しいという先生の意向があり、好きな曲を連弾で弾く演奏会。

娘は先生とペアになり、「夢をかなえてドラえもん」を選曲した。ドラえもんの映画は過去作もすべてみているくらい、娘はドラえもんが大好き。大好きな曲が弾けることをとても喜んでいた。

4〜5ヶ月前から練習を始め、6Pもある楽譜を覚え、一生懸命練習してきた。主旋律の方を先生が弾き、娘は副旋律の方を弾く。リズムが難しく、なかなか思うように弾けず泣きながら練習していることもあった。それでも諦めずに、何度も何度も練習しては合わせ、微調整し、仕上げていった。

夢をかなえてドラえもん


クリスマス演奏会当日

そうして迎えたクリスマス演奏会当日。

向かっている車中で「どんな気持ち?」と聞くと即答で「楽しみな気持ち!」と返ってきた。
1回目のクリスマス演奏会の時は、緊張で泣いていたのに。それからたくさんの努力を重ねて自信をつけた娘の表情は、とてもかっこよくみえた。会場につきリハーサルを終え、出番を待つ。

娘の名前が呼ばれ、先生と共にお辞儀をして、演奏が始まった。

すると開始3秒、まさかの演奏がとまってしまった。娘と先生のタイミングがずれてしまい、お互いに合わせようとした結果とまってしまったようだった。そして初めから弾き直しとなり、再び演奏が始まった。

しかし練習の時のような息の合った演奏ではなく、お互いに“もうタイミングがズレるわけにはいかない“とペース探り合っているような感じがした。速くなったり遅くなったり、娘のミスタッチも何度かありさらにペースが乱れていた。2P目を過ぎたあたりからやっとペースが整い始め、そこからは練習通りに最後まで弾ききることができた。

あぁ、大失敗だ。
私はそう思った。娘になんて声をかけようかを考えていた。失敗してしまったことに落ち込み泣きながら席に帰ってくるかもしれない。あんなに頑張って練習していたのに上手くいかず、ピアノイヤイヤ期がついに訪れるかもしれない。
そんなことをぐるぐる考えていた。

しかし席に戻ってきた娘の表情は晴れやかで、私の心配は杞憂に終わった。強がっている様子もなく、行きの車中と同じく自信に満ち溢れた顔をしていたのだ。

「どうだった?」

「楽しかった!ちょっと間違えたけど、ほとんど上手に弾けたと思う!ドラえもんにしてよかった〜」
そう話す娘の笑顔はキラキラしていて、いつもの何十倍もキラキラしてみえた。

そうか…そうだよね。
娘はミスをしたけれど、そんなのたった数箇所だけであって、半分以上しっかり弾けていたんだ。それを“失敗“したなんて思った私は、なんて酷いことを思ってしまったんだろうと大反省した。そして娘をぎゅーっと抱きしめた。
ごめんね、娘ちゃん。

がんばったね

娘から学んだこと

娘はミスをしても気にしないタイプなわけではない。去年の発表会の時には、一箇所ミスしてしまっただけで大号泣して悔しがっていた。では何故今回のクリスマス演奏会では、笑顔でいられたのだろう。

それは、娘が目的や目標をしっかりと定めているからだと分かった。

クリスマス演奏会の目的は、上手に弾くことではなく楽しく弾くこと。それは練習の時から先生が何度も伝えてくれていて、雰囲気づくりもしてくれていた。

娘は好きな曲を選び、一生懸命練習に取り組み、しっかりと弾ききった。途中にミスがあったかどうかは関係なく、娘は楽しく弾くことができた。それは間違いなく大成功なのだ。

発表会の時は、練習の成果をだしきる演奏を。
コンクールの時は、ミスのない正しい演奏を。
クリスマス演奏会では、楽しめる演奏を。

娘はそれぞれの目標や目的をきっと肌感で理解していて、それに向けて努力していた。

それなのに、数箇所ミスしただけで“失敗“したと思うだなんて私はなんて勝手だったのだろう。

失敗かどうかは自分で決めることであって、決して他人が勝手に決めるものではない。本番でミスをしたかどうかよりも、目標達成に向けてどれだけ向き合えたかの方がよっぽど大切なのだと娘から学ばせてもらった。

そしてきっと、ほとんどのことは失敗なんかじゃないのだろうと思った。一生懸命練習したうえでミスをしたって、何も失わない。むしろそこで得るものはたくさんあって、全てが貴重な経験となるのだろう。

これから先、もしかしたら娘も10のうち9ができていても1の失敗を気にしてしまう時があるかもしれない。そんな時があれば、私は9できたことを全力で褒めてあげられる存在でいたいと思う。そして9できたとか1できなかったことよりも、娘自身がどうなりたいのか、何を目標にどう向き合ったのかを一緒に確認していける存在でありたいと思う。

「娘の人生にどんな時も寄り添える存在でいること」それが私の親としての目標であることを忘れずに、これからも娘のやりたいことを応援し、支えられるように全力で向き合っていきたいと思う。


#今年学んだこと

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