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ゴールデン街のボニーとクライド

この物語は、新宿ゴールデン街「月に吠える」店主のコエヌマカズユキが、この街で経験した出来事や、出会った人々について描いたものです。事実をもとにしていますが、あくまでフィクションと認識のうえお読みください。

『俺たちに明日はない』という映画がある。大恐慌時代のアメリカを舞台に、実在した男女・ボニーとクライドが、銀行強盗をしながら逃避行をする物語だ。ラストシーンで、二人が87発の銃弾を浴びて死ぬシーンはあまりにも有名である。ボニーとクライドは、アメリカの犯罪史に名を刻んだだけでなく、自由かつ破滅的に生きたシンボルとして、多くの人々に知られている存在なのだ。

新宿ゴールデン街にも、この二人の名前を冠して呼ばれた男女がいる。

「例えるなら、ゴールデン街のボニーとクライドね」

ゴールデン街のある店のママは、その男女についてこう話した。

「ゴールデン街はぼったくられるとか言われてるけど、あの二人に比べたら可愛いものよ。ビール一杯で何千円も何万円も請求するものだから、お客さんとしょっちゅう喧嘩になって、椅子やらソファーやらがお店から飛んでくるの。よく警察が来て大騒ぎになってたわよ」

多くの店のマスターやママ、あるいはお客さんが、その男女のことを知っていた。ゴールデン街では知らぬものがいない、ボニーとクライド。実は僕は、この二人と奇妙な因縁で繋がっている。

僕がゴールデン街に店を開いたのは2012年6月。内向的で人見知りな性格だが、それでもいろいろな人の話を聞くのが好きで、ゴールデン街を含めたあちこちのバーによく行っていた。それが高じて、自分でバーを経営してしまおうと思ったのだ。

場所はJR中央線沿いで考えており、中野の物件でほぼ決めかけていたときに、不動産屋から電話があった。

「ゴールデン街に興味ありますか?」

ゴールデン街は人気エリアで、30人近くが順番待ちをしていると聞いていたので、初めから候補に入れていなかったのだが、急きょ空きが出たという。もし借りられるなら願ってもないチャンスである。

「はい、あります!」

「じゃあ早速、これから内見に行きましょう」

物件は、ゴールデン街の入り口にほど近い、理想的な立地だった。居抜き物件だが、白い壁も木製のカウンターもピカピカで、ゴールデン街の古くて小汚いイメージとは程遠かった。

「前店はカラオケスナックで、40年くらい続いていたんですけど、経営者の夫婦が高齢で亡くなって、お店を閉めることになったらしいです。それを機に、大家さんがリフォームしたから、こんなにきれいなんですよ」

不動産屋の説明に、僕は納得した。そして条件を確認した後、その日のうちに申し込みをした。物書きなど大して儲かる職業ではないが、コツコツと貯めた約300万円が手元にあったので、全てつぎ込んで契約したのだった。

お店のオープン当日。たくさんの花が届き、開店前からお客さんが押し寄せる盛況ぶりだった。初日なので、繁盛しなければ困ってしまうが、それでも予想以上の出だしだった。後輩ライターにお店を手伝ってもらい、ぎこちないお酒づくりや接客で汗だくになりながら、何とかお店を回していった。

にぎわいが絶えない夜11時ころ、開け放したお店のドアの前で、厚化粧をしてワンピースに身を包んだ中年男、すなわちオカマが足を止めた。お客さんかと思って声をかけようとすると、彼の方から話しかけてきた。

「あんたがオーナー?」

「はい」

「よくこんな気持ち悪い店借りたね」

オカマは冷たい表情で言い放った。店内の客たちは会話を止め、闖入者の様子に注目していた。僕は彼の言うことが理解できず、戸惑うばかりだった。

「知らないの、この店のこと?」

「何がですか?」

「この店でね、人が死んだの。前は『M』っていうぼったくりバーで、マスターとママがやってたんだけど、今年の冬に、いつまでもドアが閉まったままだったから、周りの店の人が消防を呼んだのよ。変な臭いがする、ガスでも漏れてるんじゃないかって。そしたら、二人が腐乱死体で倒れていたの。本当にひどかったんだから。Mっていったらこの辺じゃ有名な店よ。あんた、何も知らないのね」

寝耳に水だった。オカマは一方的に話すと、唇の端をゆがめて笑い、立ち去った。

「人が死んだんだ……ここで」

「本当かな? 何で死んだんだろう?」

お客さんたちがポツポツと口にする。お祝いムードだった雰囲気は、自然と重苦しくなった。オカマのデリカシーのなさに、僕は苛立った。ここで人が死んだのが事実であったとしても、オープン初日のめでたい日に、お客さんがたくさんいる前で言うことないじゃないか。そう思いながらも、悪い空気を払しょくするために、努めて明るく振る舞った。

深夜0時で店を閉めるつもりだったが、お客さんが途絶えず、午前1時まで営業した。当時、僕は吉祥寺に住んでおり、終電はなくなっていた。仕方なく、椅子を並べて簡易ベッドをこしらえ、電気を消して横になった。ほとんどのお店が朝まで営業しているゴールデン街で、1時はまだまだ宵の口だ。辺りから酔っ払いたちのにぎやかな声が聞こえてくるなか、オカマの言葉が耳を離れなかった。

確かに僕が内見に行ったとき、お店には「M」という看板が付いていた。前のオーナーが亡くなったとは聞いていたものの、お店で変死していたとは、不動産屋から聞かされていなかった。知らなかった? いや、そんなはずはない。隠したのだろうか? ぶり返す腹立たしさを抱えたまま、目を閉じた。心霊現象は信じないので、怖さはなかったが、当然気分は良くない。その後もいろいろ考えていたが、開店初日の緊張と疲れで、あっという間に眠りに落ちた。

Mのことを知るチャンスはすぐに訪れた。開店3日目に、近くの店で働いているという若いバーデンダーが飲みに来てくれたのだ。好奇心旺盛で、いかにも話好きといった彼は、早速Mの話題を振ってきた。

「ここの前のお店のこと、聞いてます?」

「ええ、少しだけ。前のマスターとママがお店で亡くなったんですよね」

「そうです。どんな人が借りるんだろうって話題になってましたよ。俺も狙ってて、もし借りることができたらホラーバーをやろうと思ってたんです。あんな事件があった店の後に、ホラーバーができたら面白いじゃないですか」

冗談とも本気ともつかないことを言って、バーテンダーは笑う。僕もここぞとばかり質問した。

「マスターとママが死体で見つかったときは、どんな様子だったんですか?」

「2月の上旬でしたね。消防の人たちがMの扉を開けたときは、俺もゴールデン街にいて、現場は見てなかったんですけど、何かすげえザワザワしてたのを覚えてますもん」

きっと何度も話しているのだろう、バーテンダーは流ちょうに当日の様子を説明した。

「警察の発表は事故死だったので、事件性はないと思うのですが、本当のところ死因はよくわからないんです。でも不思議なのが、二人の死亡時期にはずれがあったらしいんです。先にママが死んで、その一週間後にマスターが死んでいたようで。面白くないですか?」

その通りであれば、確かに不思議だ。そもそも二人はなぜ死んだのか。マスターはママの遺体に付き添って一週間を過ごしたのだろうか。だとしたら、この空間で何を思い、最期を迎えたのか。

僕は急速に興味を持ち始めた。自分が開いた店で、そのような出来事があったとは、運命というにはかなり生々しいが、それでも不思議な巡り合わせのようなものを感じた。

「ところで、Mはそんなにひどいぼったくりだったんですか? ビール一本で何千円も何万円も請求されるって聞いたんですが」

「俺は行ったことがないんですが、ぼったくりが当たり前だったみたいですよ。最高で300万円盗られた人がいるって話を聞いたことがあります!」

バーテンダーの声が大きくなる。

「酔ったところをATMに連れて行かれて、300万円を引き出されたっていう人がいるんですよ。どうやら酒に変な薬を入れられて、眠らされて身ぐるみをはがされたんじゃないかって。ほかにも会社の社長が、従業員の給料を200万円ほどカバンに入れて飲んでいて、酔っぱらって起きたらなくなっていた、って話も聞いたことがあります」

「完全に犯罪じゃないですか。それは警察に行ってもダメなんですか?」

「証拠がないんです。酔っぱらって自分でお金を下ろしてなくした、給料用のお金をどこかで落とした、かもしれないから」

「なるほど……」

もし本当であれば、ぼったくりの域を超えている。ボニーとクライドと呼ばれてもおかしくないたちの悪さだ。最後に僕は、二人の外見について聞いてみた。

「店の前で何度か見かけた程度ですけど、マスターはひょろっと背が高くて、塩顔って言うんでしたっけ? しゅっとした男前でしたよ。陰気な感じでしたけどね。ボッタクリバーのくせに、いつもベストとネクタイをしていて、恰好だけは本格的でした。ママは背が低くて小太りで、気が強そうな、ザ・おばちゃんって感じでした。よく店の前で通行人を捕まえて、わーわーまくしたてながら引っ張り込もうとしてましたね。二人とも60代後半か70代くらいだと思います」

それから僕は、ゴールデン街で飲むたびに、Mの情報収集をするようになった。するとほどなく、Mに行ったことがあるという40代のサラリーマンと隣り合わせた。彼はビール一本でママから7500円を請求され、「やられた!」と思ったが、文句を言わず支払ったという。

「だって、考えてみてください。ケンカしたら絶対に勝てるようなおじいちゃんとおばあちゃんが、7500円払えって言ってくるんですよ。そうでもしなければ生活していけないんじゃないかと思うと、助けたくなっちゃって。もちろん、5万とか10万とか言われたら払わないですけど、7500円くらいなら喜んで払いますよって感じでした」 

サラリーマンはそう言って、柔和な笑顔を浮かべた。確かに老人にすごまれても、怖いというより滑稽で、哀れに思ってしまうこともあるのかもしれない。こうなるともはや寄付だろう。

僕らの会話が聞こえたのか、ママが話に入ってきた。

「うちの店に、すごく強面のお客さんがいるの。普通の会社員なんだけど、見た目は完全にヤクザなのよ。その人に、Mに行くとぼったくられるよって話をしたら、『じゃあ俺が行ってみる』って言いだしたの」

「それで、どうなったんですか?」

それがね、とママはおかしそうに笑う。

「ビールを一本だけ飲んで、お会計をしようとしたら、ママが5000円って言ってきたの。だから、『ビール一本で5000円だ? なめてんのか?』ってすごんだら、急に小さくなって、『500円でいいです』って言われたんだって」

その人間臭さに、僕らも笑った。ぼったくりバーといっても、経営しているのは老夫婦だ。裏社会の人々が(おそらく)関わっている本物のぼったくりバーと違い、客に抵抗されたらかなうわけがない。ときには引くこともあったのだろう。

さらに、少し離れた席に座っていた青年が、「Mの話してるんですか? 俺も行ったことありますよ」と話に入ってきた。彼とMの出会いは、何とも滑稽だったという。

「ママがね、ドアを半分開けて、そこからケツを出してていたんです」

「どういうことですか?」

「多分、誘ってるつもりなんですよ、客を。あ、ケツっていっても、さすがに生ケツじゃなかったですけどね。かなり怪しいと思いましたが、面白そうかなと入ってみたんです」

老齢のママが、体をエサに客寄せをしている。コントとしか思えない展開だ(それにしても勇気のある青年である)。青年は、あの店はぼったくりではないと断言した。

「1万円取られたんですけど、何杯飲んでも料金は同じって言われました。一杯飲んでも、100杯飲んでも1万円。だから、そのときは10杯くらい飲みましたね。少ししか飲まない人にとっては高いかもしれないけど、全然ぼったくりじゃなかったです」

そのシステムだったら、確かにぼったくりとは言えない。それにしても、ビール一本で7500円のこともあれば、飲み放題で1万円のこともある。値段設定はもともと、あってないようなものだったのだろう。

人によって請求される金額が違う。チェーン店ではありえないが、一昔前の飲み屋では珍しくない。2012年当時、ゴールデン街にも料金が曖昧なお店が残っており、人によって高く請求される場合とそうでない場合があった。

ただそこに、「ぼったくってやろう」という悪意があるかと言ったら、必ずしもそうではない。かつてゴールデン街の近くにあった焼き鳥屋は、メニューも料金表もなく、客は適当に料理や酒を注文する。金額は3000円、5000円、1万円のいずれかを請求されたそうだ。ある作家は、駆け出しのころは3000円だったが、ヒット作を出してから1万円になったという。懐具合に合わせた料金というわけで、これは悪意というより、“そういったシステム”と捉えるべきなのだろう。

一方で、何もわからない一見さんなど、ふんだくれそうな人には高い金額を提示する店もある。Mはこちらに該当し、普通に考えたら、ぼったくり以外の何物でもないと思われるのは当然だ。

けれど僕は、Mのようなやり口を、必ずしも悪質だとは思わない。かつてインド旅行に行ったとき、土産物やら洋服やらトゥクトゥクの料金やら、インド人は平気な顔をして、明らかに相場より高い金額をふっかけてきた。Mのやり方も、まさに同じではないか(客の金やキャッシュカードを盗むなどの犯罪行為までいくと別の話だが)。

インドで、僕は金額がおかしいと思ったら指摘し、納得できる価格になるまで交渉していった。ゴールデン街でも、ぼったくられそうになったら、そうすればいいだけの話だ。しかも、相手は犯罪組織でも何でもない、“ケンカをしたら絶対に勝てそうな”老夫婦なのだから。

店のやり方そのものに文句を言うなら、そもそも「日本一ディープな飲み屋街」と称されるゴールデン街に来なければ良いのである。Mを擁護するわけではまったくないが、僕はそう思っている。

Mがぼったくりバーと呼ばれるのは、時代も大きく影響している。バブル期、新宿ゴールデン街ももれなく盛況で、どこの店も大繁盛していた。毎晩チップが飛び交い、今では考えられないくらい儲かっていたと、当時を知るママから聞いたこともある。

だが地価の高騰によって地上げの対象となり、300軒ほどあった店舗は約半分に減り、一気に閑散とした街に変貌した。

バブル崩壊後、価格が暴落したゴールデン街の土地の権利を、所有者たちが手放すと、若い店主たちが続々と店を構えるようになった。新しい風が吹き込んだ街は、再び隆盛を取り戻した。

2000年以降、街には若者や観光目的の外国人が増え始める。彼ら彼女らの多くが選ぶのは、「店頭に料金システムが明示されている」「外から店内が見える」「ネットやSNSに情報が載っている」など、安心・安全・明朗会計の店である。そんなニーズをくみ取るかのように、ゴールデン街にも健全な店が増えていった。

Mは約40年も営業してきたと、不動産屋は話していた。というと、1970年ころにオープンしたわけである。当時の個人店では決して珍しくない、良くも悪くも適当な料金設定で店を始め、続けてきたため、現代の風潮から見たときに“ぼったくり”と言われるようになったのだろう。

この商法が悪質かどうかは別にして、Mにとってはごく当たり前に続けてきたやり方であり、生き残るための手段のひとつであったことは間違いないのだ。

とはいえ、ぼったくりバーが迷惑な存在であることもまた事実だ。客やゴールデン街関係者もそうだが、最も困っていたであろう人に話を聞いた。僕が物件を借りている大家(80代・男性)、すなわちMに店を貸していた人物だ。お年寄りだが声は大きく、喋り方もパワフルで、こちらが圧倒されそうなほどの活力がある。

もちろん大家も、Mのことをよく知っていた。

「とんでもなかったよ、あの二人は。ボッタクリなんて止めなさい、さもないと出てってもらうよ、って何回言っても、あのばあさんが『私たちのやり方に口を出すな!』って、聞く耳を持たないんだもん。法的にも無理やり追い出すことはできないしさ。死者を悪く言いたくないけど、最後の最後まで人に迷惑かけるなんて、あの人たちらしいよなぁ」

大家は苦笑しながら二人について話した。物件を貸した約40年前、二人は礼儀正しく、感じの良い美男美女という印象だった、と大家は振り返る。まさかこの二人がボニーとクライドと呼ばれるようになるとは、夢にも思っていなかったという。

二人がぼったくりをしていることは、物件を貸して1年ほどで気づいた。夜に見回りがてら、店の前を通りかかったとき、大声で口論するママと客の姿を目撃したのだ。すぐに仲裁に入り、事情を聞いたうえでママとマスターを注意すると、ママは豹変し、噛みつきそうな勢いで向かってきた。そのあまりの迫力に、引き下がるしかなかったという。

問題はそこからである。自分が所有する物件であっても、一方的に借主を追い出すことは法的にできない。ゴールデン街の組合や、警察に相談しても、何も変わらなかった。仕方なく、下手に出て、ぼったくりを止めるようにお願いしたがどこ吹く風。ほとほと困り果てていたという。

だが関係が悪化する前は、ゴールデン街で二人と顔を合わせたとき、気さくに会話もしていたと大家は話した。

「マスターは松田さん(仮名)っていって、前は帝国ホテルかどこかでコックをしていたんだって。大人しくてほとんどしゃべらない人だったね。競馬キチガイで、毎週のように競馬場に行ってるって話してたな。前は国分寺に家を持ってたらしいんだけど、あまりに負けすぎて、家を手放すことになったんだって。

ママはひろ子さん(仮名)。昔は新宿のクラブで働いていて、毎月トップだったそうだよ。初めて会ったときも美人だったけど、若いころはもっときれいだったんだろうね。晩年はそんなことなかったけど、ははは。ひろ子さんは面倒見も良くって、クラブでは仲のいい後輩をヘルプに付けて客に紹介したり、食事や旅行に連れて行ったりして、慕われていたみたいだよ」

大家によると、Mはあるときから、知恵遅れの中年女性を客引きとして使っていたのだそう。それも、女性にいくばくかのお金を渡したいという、ひろ子の思いがあったからかもしれない、と続けた。

二人のことを話しながら、何度も大家は顔をしかめたが、最も嫌悪感を露わにしたのが、店のなかについてだった。

「店にソファーがあってさ、二人は営業が終わったらそこで寝泊りしてたんだよ。だから店のなかには、洗濯したのかわからない着替えなんかが散らかっててね。ああ、汚かった! たまに覗くと、ゴキブリなんかウロウロしてたし、ゴミも山積みになってた。それも注意したんだけど、ちっとも聞いてもらえなかったよ」

話しながら、大家の表情が少しずつ緩んでいく。二人が亡くなったことで肩の荷が下り、ようやく笑い話にできるようになったからかもしれない。その後もMについていろいろ聞いたが、さすがの大家でも、松田とひろ子の出会いについては知らなかった。

僕が礼を言うと、もしこの話を本にするなら印税わけてくれよな、と彼は笑った。

ある夜、僕が店番をしていると、30歳くらいの女性が来店した。ショートカットで、美人だが少し陰のある女性だった。

「あの、ここ、Mじゃないんですか?」

ドアの前に立ち、おずおずと店内を見渡しながら、女性は言った。

「Mは閉店して、今は違うお店なんです」

「マスターとママはどうされたんですか?」

「すみません、ちょっとわからないです」

亡くなったと伝えるべきなのかわからず、僕は言葉を濁した。女性は少し迷った挙句、せっかくなので一杯だけ、と席に着き、グレープフルーツジュースを注文した。話題は自然とMのことになった。

「Mにはよく来ていたんですか?」

「はい。2~3年くらい来ていなかったんですけど、前は毎週通っていました。私、お酒が飲めないんですが、それでもマスターとママにはすごく良くしてもらっていました」

「前のお店は、ぼったくりバーだったって聞いてるんですけど、そうではないんですか?」

「そんなことないです、すごくいいバーでしたよ。私はいつも1000円か2000円くらいでした。マスターもママも優しくて、もうひとつの田舎みたいで、すごく居心地がよかった」

ただ、と女性は続ける。

「お店の中でよくケンカは起きてましたね。『ビール一杯で8000円? そんなのおかしいだろ』ってお客さんが言って、ママと怒鳴り合いになって、警察がよく来ていました」

ぼったくりバーとして悪評が高い一方、彼女のように良くしてもらっていた、という客もいる。一体、両者の違いは何なのだろう。僕は真相を伝える気になった。

「実は、マスターとママは亡くなったんです。それで、Mは閉まってしまったんです」

「えっ……」

彼女は絶句し、目を伏せ、数分間そうしていた。ようやく顔を上げるのを待って、僕は話しかけた。

「毎週通っていたのに、2~3年も来なかったのは、何かあったんですか?」

女性は少し迷った様子を見せ、口を開く。

「あるとき、高い料金を請求されたおじさんが、そんな金払えない、って怒りだしたんです。ママも怒って、怒鳴り合いになって。私はいつものことかと思って見ていました。そうしたらおじさんが私の腕をつかんで、『じゃあ払ってやるけど、その代わりこの子を連れていくぞ』って言いだして」

「ママはどうしたんですか?」

「勝手にしろ、って。おじさんは本当に私を連れて行こうとしたのですが、ママもマスターも助けてくれませんでした。外に出た後に逃げたので、無事だったのですが」

「信頼していた人たちに見殺しにされて、裏切られたと感じなかったんですか?」 

酷だと思いつつ、僕は質問を続ける。

「思いたくなかった、のかもしれません。あの人たちがそんなことするなんて、考えたくなかったんだと思います。だから、何年もお店に来てなかったんですよ。でも、このままだと一生行かないままだと思って、今日ここに来たんです。さっきお話しした件があってから、自分のなかで時間が止まっていた気がしていて。すごく寂しいですけど、Mがもう無いって知れてよかったです」

女性はこの日、初めての笑顔を見せた。それにしても二人は、優しくしていたという女性客を、なぜ簡単に見捨てたのだろうか。その後、後悔や申し訳なさは感じていたのか。もしくは、ちょっと懐いていた小娘ひとりなど、どうなってもいいという、サイコパス性が二人の本質だったのか。

彼女だけでなく、Mに通っていたという女性はほかにもいた。あるとき店にやって来た、30代後半のOLは、毎週のようにMで飲んでおり、ひろ子から「この店を継ぎなさい」と言われるほど気に入られていたという。“おしゃべり”“人の話を聞かない”と陰で呼ばれていることが瞬時に予測できるほど、ひたすらマシンガンのようにしゃべり続ける彼女の言葉のなかに、意外な事実があった。

「あの二人、夫婦じゃないよ。お店にも住んでいなくて、二人とも別々にアパートを借りてたって言ってた」

続々と新情報が飛び込んできて、頭の整理が追いつかない。もちろん、40年もお店をやっている間に、いろいろな環境の変化もあるだろうが、初めて聞いた事実だった。

一番の驚きだったのは、ひろ子が亡くなった後、松田から彼女に電話があったということだ。

「ママが死んじゃったよー、って電話があったの。すごく落ち込んだ様子で、しばらくお店を閉めようかな、って言ってた。そのとき私は仕事中だったから、そうなんだ、大変だねって返して、ゆっくり話ができなかったんだけど、それが最期の会話になっちゃった」

割とドライな性格なのか、女性は悲しむ様子を見せず、淡々と話し続ける。そしてコロッと話題を変え、「ねー今度、この店でバイトさせてよ。私、接客はなかなか得意だと思うからさ……」と身を乗り出した。僕が愛想笑いで乗り切ったのは言うまでもない。

取材は最終章に差し掛かった。ひろ子と親しく、二人の事情を誰よりも知っているであろう、老舗バーBのママに話を聞くことができたのだ。ママは恐らく70代だが、童顔で肌に張りがあり、白髪もなく、少女の面影を残していた。だがMと同じく、ゴールデン街で40年ほど店をしているそうで、人生の酸いも甘いも見続けてきた人特有の、達観した落ち着きがあった。

なぜ僕がBのママと知り合ったのか。実は、縁をつないでくれたのはMだった。あるときから、僕の店に新規の客が相次ぐようになった。どうやってうちを知ったのか聞くと、「Bに紹介されたから」と客たちは口を揃えた。

全く接点がないのに、なぜBは客を回してくれたのだろう。お礼とあいさつを兼ねてBに飲みに行ったところ、ママは「私、ひろ子さんととっても仲が良かったの。だから、次に入るお店も応援したいと思って」と理由を明かしてくれたのだった。

僕は瓶ビールを注文し、ママのグラスにも注いだ。話題は自然とMのことになった。ママはビールを一口飲み、遠い目で話し始めた。

「ひろ子さんは、かわいそうな死に方をしたの。あんなにかわいそうな人はほかにいないよ」

新宿のクラブで働いた後、ひろ子は阿佐ヶ谷のスナックに移った。松田はそこの常連客だったという。当時はひろ子が30代半ば、松田が20代後半である。ひろ子に入れ込んだ彼は、しつこくアプローチをかけ、とうとう関係を持つことになった。

それから二人は、松田のアパートで暮らすようになり、ひろ子がスナックで稼いだお金でMをオープンさせる。幸せな日々の始まりのように思えるが、Bのママは「それからがひどかったの、あの男はおかしいのよ」と語気を強めた。

嫉妬心がひどかった松田は、ひろ子が出かけようとすると、「ほかの男のところへ行くのか!」と激高した。そしてホースを持ち出し、ひろ子の洋服という洋服に水をかけ、外に出られなくした。事実上の軟禁である。

かと思えば、気に入らないことがあれば、ひろ子を家から追い出してしまう。そんなとき、ひろ子は道端で眠っていたという。

松田が大の競馬好きだという話も、本当だった。馬券の買い方も、一レースで10~20万円も使うような派手なもの。松田はアル中でもあり、毎日のように飲み歩いていた。Mで稼いだお金はほとんど彼に取り上げられ、消えていった。口を出そうものなら、暴力が待っていた。

いろいろな人に聞いた話からすると、客に高額な料金を提示する、渋る客には怒鳴り散らすなど、先頭に立ってぼったくり行為を行っていたのはひろ子であった。リーダー格はひろ子だと僕は考えていたが、意外にも、彼女を支配していたのは松田だったのだ。

それでも、松田は人当りが良かったため、周囲の人々は、二人の関係のいびつさには気づかなかったという。

「ひろ子さん、すごいキレイだったのよ。でもときどき松田に痛めつけられて、見るに見られない顔になってた。気丈だから、周囲には殴られたなんて絶対言わなかったけど。性格もすごくよかったんだけど、抱え込んでたものがあったからか、私と一緒に飲むと、グチが半端じゃなかった。松田には逆らえないし、お酒を飲んだときくらいしか発散できないんだもん」

Bのママは、ひろ子の家庭環境も知っていた。ひろ子は屋久島出身で、父は一流企業勤め、母は学校の先生、弟は警察官。自分ひとりが水商売の世界で働くことに、引け目を感じていたという。

「松田と別れて屋久島に帰ることも考えてたみたいだけど、水商売の件で、ご家族からあまり良く思われていなかったみたいなの。年も年だから、これからひとりで生きていくのも大変でしょ。だから結局、居場所は松田のところしかなかった。話を聞くだけで辛くて、何回一緒に泣いたかわからないよ」

松田とひろ子の奇妙な共同生活は、30年以上も続いた。その間、二人は結婚と離婚を4回も繰り返したという。彼の競馬や酒代をねん出するために、二人はときに盗みも働いた。店で泥酔した客の財布をひろ子が抜き、渡された松田は中身を抜く。そしてまたひろ子が、空の財布を客のもとに戻す、という手口だ。

お金を持っていそうな客が来ると、酒に薬を盛ることもあった。泥酔させて、金を盗んだり、ATMで下ろさせたりするのだ。こういった行為が、松田の指示なのか、ひろ子の発案なのかは、定かではない。Bのママも、聞かないようにしていたという。

二人はボニーとクライドのように協力し合い、生き抜いてきた。客と怒鳴り合いをし、警察沙汰にもなり、大家やゴールデン街関係者からの注意も聞かずに。たった二人で闘い、抗い続けてきた。

ここからは、Bのママをはじめ、いろいろな人に聞いた話を踏まえたうえで、二人がどのように最期を迎えたか、あくまで仮説だが記す。

ある夜、Mの営業中、客が誰もいなかったため、松田はほかの店へ飲みに行こうとした。何か気に食わないことがあったのだろう、ひろ子と言い争いになって突き飛ばし、そのまま飲みに行った。

しばらくすると、行きつけの店にいた松田のもとへ、客引きの女が「ママの様子がおかしい、救急車を呼んだ方がいいんじゃないか」と駆けつけてきた。だが彼は「呼ばないでいい」と拒否し、しばらく飲んでから戻ると、ひろ子は亡くなっていた。

直後、松田はBのママのところに相談に来たという。店で亡くなって、遺体がそのままであることは伏せ、病気で死んだと告げたそうだ。Bのママは、そのときのことを振り返る。

「ひろ子さんが亡くなったことは驚いたけど、それより松田さんのことが心配だったわ。彼は気が小さくて、一人で生きていけるような人じゃないの。ひろ子さんがいないと生きていけないのよ。がんばってやりなさいよって言ったら、ぼーっと考えこむようにしていて、そのまま帰っていった。それから、しばらく店が閉まったままだから、病院にでも行っているのかと思ったら、あんなことになってたのよね」

数日後、店から異臭がすると周囲が騒ぎ出した。ゴールデン街の関係者が見守るなか、消防と警察がドアをこじ開けたところ、二人の遺体が見つかった。もともと心臓が弱かったという松田は、ひろ子を失った(あるいは殺めた)悲しみや喪失や自責や後悔などにさいなまれながら、衰弱していき、亡くなったらしかった。それが、二人の死亡時刻の差となって表れたのだ。

もちろん、細かい疑問は山ほど残るし、真相は不明だが、現時点でわかるのはここまでだ。松田はひろ子に惚れて、失いたくない、独占したいという思いのあまり、暴力が常習化してしまったのだろうか。またひろ子も、別れたいと思っても、結局彼のもとにしか居場所がなく、とどまり続けるうちに、共依存のような関係性となってしまったのか。

もしくは、二人の根底には、周囲の誰にも理解されないけれど、互いを必要としている愛情があったのだろうか。答えはわからない。いずれにせよ、あまりにも切ない物語だった。

「月に吠える」が開店して、一年が過ぎた。お店は少しずつだがゴールデン街に定着し、“Mの跡地にできた店”というイメージからだいぶ脱却できつつあった。

ある夜、老人がドアの前に立った。人がよさそうな、上品で身なりの良い老人だった。

「マスターとママはいる?」

「Mのお客様ですか? Mは閉店したんです」

僕は答えた。

「どこかほかでお店やってるの?」

「すみませんが、わからないんです」

「そうなんですね、ありがとう」

二人が亡くなったことを伝えるべきか迷っているうちに、老人は笑顔で立ち去った。彼はMでどんな時間を過ごしたのだろう。どんな思い出があったのだろうか。事情を知っている常連客が、「今のおじいさん、ぼったくられに来たのかな?」と笑った。

気づくと、僕は老人を追って店を飛び出していた。Mのことを、松田とひろ子のことを、もっと知りたかった。すぐに見つかると思ったが、老人の姿は見当たらなかった。僕はしばらく、ゴールデン街の路地で立ち尽くしていた。(了)


【月に吠えるのTwitter】
http://twitter.com/puchi_bundanbar

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