【エッセイ】主人公になれない
小説や漫画に出てくる魅力的な登場人物の多くは、真っ直ぐで不器用だったりしませんか。
自分の考えや価値観を持っていて、周囲に迎合せず、困難や悩みはあれど、それに打ち勝つ強い意志を持っていて。
時に自分の信条に反することがあれば声を大にして主張し、立ち向かう。
その性質は敵を作り、彼、もしくは彼女を孤独にさせたりもする。
でもそれもストーリーの起承転結を形成するためには必要で。
そして結果的には自分の意思を貫いて困難を越えた先にハッピーエンドを迎える…事が多いように思う。
私はそんな主人公になれない。
三人兄弟の末っ子として生まれた私にまず備わった能力は「観察すること」だった。
真面目で不器用で優しい兄。
天真爛漫で思った事が顔と言葉に出る姉。
そんな2人をみて育った私は早い段階で要領良く生きる方法を心得た。
自分がどうしたいかはさておき、大人たちが私に何を求めているのかを考えて行動する。
だってその方が後々の自分が評価され、生きやすいから。
結果、私は「育てやすい子」「良い子」と言う評価を受けた。
それは思春期になっても変わらず、対象が親だけでなく先生や友人に対しても同じで、
彼らがどんな役割を私に求めているのかを感じ取って行動した。
だから人間関係で揉める事は殆ど無かったし"上手く"やれていた。
冒頭で書いた様な、真っ直ぐに生きる物語の主人公のような人が何かで躓く姿を見るたびに「もっと上手くやれるのになあ」なんて思った。
ある程度の年齢になるまで。
殆どの人か私を人畜無害な人間として扱い、時には評価もしてくれたけれど、
大人になって、なぜか私のパーソナリティについてものすごく執着してくる人が2人いた。
20代の時に付き合っていた彼氏と、前職の上司。
彼らは私に、事細かに
「お前はどうしたいのか」を聞く。
本当に些細な事まで、聞く。
質問攻め。
最初は面白いな、と思った。
私は彼らのように人にここまで執着した事がないから。
そして次に、私の事を心底考えてくれてるんだ、と誤認した。
今までそんな風に言って私を責める人は居なかったから。
それから、相手に合わせてカードを選ぶ自分は不完全で、幼稚で、なんて面白くない人間なんだと思った。
ここに行きたいとか、これが食べたい、こんな服が着たい、こういう商品を作りたい、こんな風に仕事がしたい。
私にだって自分のやりたい事は有るけれど、そのどれもが、他の誰かの希望を差し置いてまでどうしても叶えたい事ではなかった。
私の希望は簡単に形を変える。
どんな環境下でも生きていけるように、状況に応じて姿形を変える事が悪い事だと思った事は一度も無かったのに。
徹底的に詰められて、揶揄され、病んだ。
自分がわからなくなって、
今まで良しと思った事が瓦解していった。
上手く立ち回れなくなり、彼らと物理的な距離を置いて、何とか息をして、生活して、時間が経って、今に至る。
もうクヨクヨ悩む事も無いけれど、彼らのことはたまに思い出し、苦笑いしてしまう。
先日、小学校からの幼馴染に久し振りに会った。当時はお互い忙しくて会っていなかったので、そんな事があったんだよと、その頃のことを笑い話として話した。
「でもそれがお前らしさなんだけどなぁ」
たった一言だけそう言った。
彼は私の意向を汲み取って、笑い話のままに回答してくれた。
あの頃の私に言ってあげたいなぁ。
泣きそうになったけど、無理矢理笑った。
私は主人公にはなれない。
自分の意思を貫く強さを持ち合わせていない。
すぐに人の顔色を伺う。合わせる。八方美人だ。
でも、それも、私だ。
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