宝塚月組「桜嵐記/Dream Chaser」感想 -出陣式には2つの意味がある
桜嵐記
ヅカオタにしては微々たる回数ではありますが、観劇を重ねられたことに喜びを感じるお芝居でした。
「まものう春かなあ」とは、月城かなと演じる正儀のセリフですが、私はこのセリフが大好きだった。寂しい吉野に、爛漫の春が近づく。そして、正行と弁内侍の恋路に春が近づく。
気の早いホトトギスはこれから生命が息づく春を感じて、このまま幸せな幕切れを期待してしまう。
そうはいかないのが、ウエクミ先生の作品たるやところだと思う。
「ウエクミ先生」というだけで絶賛するような客になれない私はひねくれやだが、ウエクミ先生も大概ひねくれやだと思っている。(そういうところが、球城さんと破れ鍋に綴じ蓋かなとも)
正行と弁内侍が桜舞う中結ばれる場面から、一気に戦へ転換するシーンにしてもそうだ。小さな温かい希望から、避けようもない現実へ。ひねくれやはそういうことする。だけど私もひねくれやだから、この転換がたまらなく好きだ。
ただ正直、長すぎるスローモーションは私は涙よりおかしみを感じてしまって合わなかった。
また私は華々しく死ぬ者より、続いていく人生をどうにか生きる者に惹かれてしまうタチで、そして中の人の関係もあり、どうしても正儀に肩入れして見てしまうのであった。
正儀が1番大変なのは、この後、正行が死んだ後だ。でもそこは描かれない。それでも正儀の人生は続いていく。残された者は生きていかねばならない。
かっこ良くないのが良いのだ。私はそこにどうしても魅力を感じてしまう。
そして、いよいよ幕が降りる。西日さす中から桜散る出陣式へ。私の瞳にもそれが見えるようだった。
出陣式は、2つのとらえ方があると思う。
1つは過去に起きたそっくりそのままの再現。
もう1つは、そして私はこちらのとらえ方が好きなのだけど、「弁内侍の瞳に映った出陣式」だ。
最初は前者だと思った。だけどある回、いつもは今にも泣きそうな弁内侍が、少し微笑んだのだ。その時私は「弁内侍の瞳に映った出陣式」を見た。
出陣式は、弁内侍が最後に正行の姿を見た瞬間だ。その時は辛くて、ただただ苦しさでいっぱいだったかもしれない。だけどその時を40年大切に瞳に留めていた弁内侍にとって、それは最高に美しく、幸せな光景だったのかもしれない。
Dream Chaser
正直めちゃくちゃ刺さるタイプのショーではなかったのだけど、生で見る醍醐味を感じるタイプのショーでした。私がまだまだ全組において下級生勉強中も相まって、「良き!」な子探しも楽しい。
退団迫る中さくらちゃんの魅力をどんどん発見してしまい、美園さくらウォッチングに忙しかった。
プロローグのさくらちゃんはハケ際まで天才的にかわいいし、一部透けたスカートで踊るさくらちゃんはとても美しかった。でもそれ以上に、美園さくらはとても面白いのだ。興味深い方なのだ。
それはお芝居のみならずショーでもすごく発揮されていて、声を発さなくても「美園さくら」の個性を放っているところがとても面白い。そしてだから、かわいいのだ。造形でなく(造形もだけど)、そういう美が好きでたまんないのだ。
そしてそれと同じように楽しんでいるのが、月城かなとな訳で。
ダンス素人ゆえ「べらぼうに上手い人」くらいしか分からないけど、まあ多分、れいこさんはそうではない。だけどめちゃくちゃ顔でも踊るんだよね、あの方。「月城かなと」が踊ってるの。
そういうとこ、好きだな。と改めて気付いたり。
最後はただ恥ずかしいことを述べただけになりましたが、色んな角度からこの公演を楽しみました。
完走、おめでとう。