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涙と感受性

僕は泣くことができない。

というのは言いすぎかもしれないけれど、たぶん泣き方を知らないのだと思う。
びっくりするほどに泣けないのだ。

「あの映画めっちゃ泣ける」という人がいる。
「何となく悲しくて涙が出た」という人もいる。
あるいは「友達の結婚が嬉しくて泣いた」という人もいる。

穿った見方かも知れないけれど、送別されたときや祝われたときに「泣く」というのは、一種の感情表現というか、「こんなに私のことを想ってくれてありがとう」というコミュニケーションにもなっていると思うし、その涙を見ればプレゼントを用意した方も少なからず、「喜んでくれてよかった」と思うはずだ。

ただ僕にはそれができない。

だから、僕には人の心が通っていないのでは、と思うことがある。
感受性という目に見えないステータスが恐ろしいほどに乏しいんじゃないか。そんな僕に良い文章が書けるのだろうかと思うこともある。
たくさんある。

最後に泣いたのはいつだっけ

実際にここ6~7年間、涙を流したことはない。
最後に泣いたのは台湾への留学を終えるころ、ずっと乗っていた自転車を手放すのが嫌だったときだろうか。
(台湾を離れるのが辛いとか日本に戻りたくないとか、そういうことではなかったように思っている)

その前は5年前ほど空いて高校時代、部活のひとつ上の先輩たちが最後の大会で負けて引退が決まったときだ。
僕は試合にも出ていなかったうえに、先輩たちのことは大嫌いだったし、いまも一部を除いては二度と顔も見たくないほどに嫌いだ。

そのくせ、自分が負けて引退するときには泣くどころか悲しいとすら思わなかった。
伝統ある野球部で、それこそ死ぬほど練習したにも拘わらず、「明日から受験勉強だなー」というくらいにしか思わなかった。

思い返せば、ここ10数年間で泣いたのはその2回きりだ。
その2回もいま思えば意味不明な理由だと思う。
その間に悲しいことも悔しいこともたくさんあったはずなのに。

「楽しいときには笑えばいいし、悲しいときには泣けばいいんだよ」
そんなありふれた台詞にも全く共感できない。
悲しくても涙なんて出ることはなくて、みぞおちの奥あたりに溶けない何かが溜まっていくだけなのだから。

感動的な作品を見れば泣けるかもよ

昔この話をしてみたところ、映画とか小説とかドラマとか、とにかく感動的な物語を色々見てみたら、と言われた。

ただ実践してみたものの、やはり泣けない。
そもそも僕は何か手を動かしていないと落ち着かないので、じっと何かを見ているのが苦手だったりもする。

暗い部屋で映画を見て、無理やり泣こうとしたこともあった。
確か、「遠くの空に消えた」という神木隆之介が出演している映画だ。

あんまり覚えていないけど、いい話だった。
それでも全然泣けなかった。

映画やドラマを見ていると、確かに感情が揺さぶられる場面というのはある。
ただ、そういうときに僕が思うことといえば、「なるほど、そんな魅せ方をするんだ」というようなことだったりする

気取るわけではないけれど、どうしても一歩引いた作り手側の視点で考えてしまうのだ。

思えば、何かプレゼントや素敵な言葉をもらった時にも、嬉しいとか感激に思う一方で、「センスが良くてすごいなあ」とか、「なんでこの言葉がこんなに響くんだろう」という考えが先に出てきてしまうところがある

それは高校の部活で泣くことも喜ぶことも苛立つことも許されなかったことが身に染みているのかもしれないし、中学で小説書きの真似事をしていたことが尾を引いているのかもしれない。
もともと感情の変化が少ないのかもしれない。

けれど理由はともあれ、「泣けない」ということの根を辿っていくと、素直な感情が湧いてこないこと、感情が言葉にも表情にも出てこないことに繋がっているように思える

それが僕には、魚が陸で生きられないことや、ペンギンが空を飛べないことと同じように、こと僕の好きな何かを書いたり作ったりする世界においては、不自由で不完全なもののように思えてしまうのである。

自分の感情を素直に自覚して、それをなるべく透明度高く表現することが、何かを作り出すうえで重要な気がしているからだ。

「空が飛べなくても、海を泳げばいいじゃない」という優しい人がいるかもしれない。
でも残念ながら、僕には海を泳ぐ趣味はない。

「泣けない」という不自由を抱えて

こんなトーンで書いていると、ひどく落ち込んで自分の欠点を書き連ねているように思われるかもしれないが、別にそういうわけではない。

自分の性格とはもう何年も付き合っているし、ひどく落ち込んだ気持ちだけで書けるほどの強靭な感受性は持ち合わせていない。
だからいわゆる「病みツイート」みたいなものとは違う。少なくとも自分ではそう思っている。

けれど、時にはそういった発信をしてみるのも悪くはないかと思った。

嬉しいときには「嬉しいです!」と大げさに言ってみる。
悲しいときには周囲に心配されるくらいに悲しんでみる。

人を褒めるときには嘘くさいほどに褒めてみてもいいかもしれない。

嬉しいことや悲しいことに一歩引いたいつもの立ち位置から、半歩くらい踏み出してみる。そしていつもの感情の起伏よりも一回り大きな抑揚をつけてみることで、自分の感情が分かりやすくなるような気がする。

最終的に涙は出ないかもしれないけれど、自分の感情を自分のものとして素直に感じることができるかもしれない。
まずはそこから始めてみたいと思う。

あとはなんだろう。表情筋を鍛えることかな。
珍しく大笑いしたりすると、すぐに顔が痛くなるし。

つきこ

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