ゆりちゃんのこと #呑みながら書きました
つきこです。
以前も参加したお祭り「#呑みながら書きました」に参加することにしました。
前回参加したときはまだ気兼ねなく居酒屋に行ける社会情勢だったけれど、いまは落ち着いてきたとはいえ、さすがに手放しに外で飲めるほどの安心感はないのが現状。
髪を切りに行くついでに寄ったマックスバリュで見かけたサントリーのジンが美味しそうで、普段ウイスキーばかり飲んでいるのに試しに買ってみたから、今日はこいつをお供にnoteを書いていきたい。
なお前回は記事を書いたものの、寝落ちして期限内に公開することができなかった。
今回は夕食を食べながら飲んで、記事を書き始める前に寝落ちしたので、期限を過ぎることはなさそうだ。
* * *
こうしてテーマを決めて書くとき、何を描くか少し迷う。
酔って自分のことをダラダラと書くのは格好がつかないので、前回みたいに人のことを書こうと、そう思うと不意に、ゆりちゃんのことが書きたくなった。
ゆりちゃんは僕の小中学校の同級生だ。
ゆりちゃんと言っても、東京都知事のことではない。
中学のころ、僕は彼女を「ゆり」と呼んでいたけれど、あれから13年も経ってしまった今、僕の記憶の中の彼女はまだ中学生のころのままで、28歳の僕が当時の彼女を「ゆり」と呼ぶのは少し馴れ馴れしい気がするから、今日は「ゆりちゃん」と呼ぶことにしたい。
ゆりちゃんは背の小さな女の子で、女子の中では活発で友達が多いけれど、男子とはあまり関わろうとしていなくて、高嶺の花のような印象だった。
僕も小学校のころは一言も話したことがなくて、文字通り陰キャラだった僕は彼女と話したいと思ったことすらもなかった。
小学校のころからバスケをしていたけれど、彼女の実力のほどを僕は知らない。
思えば、僕は彼女のことをそこまで詳しく知っているわけではなかった。
それでも、中学3年生のあの頃、僕はどうしようもなく彼女のことが好きだった。
通っていた塾で同じクラスになって、それから話すようになった。
きっかけは覚えていないけれど、メールアドレスを交換して、何でもないメールをするようになった。
「お腹すいた」
そんな目的のない、どうでもいいメールが送られてくることがあまりに幸せで、僕はいまだにその瞬間を覚えている。
彼女はクローバーと太陽の絵文字をよく使って、僕はそれを真似するようになった。
いわゆるガラケー時代の思い出として「新着メール問い合わせ」を連打することがよく語られるけれど、僕も漏れずにその思い出を共有していて、その相手はいつでもゆりちゃんだった。
そのくせ、塾で会っても僕らはほとんど会話をすることはなかった。
僕は100%の気恥ずかしさだったが、彼女がどう思っていたのかは分からない。メールで話す相手だと認識されていたのか、どうだったのか。
それは今も分からない。
「ゆりって呼んで。私も〇〇って呼ぶから」
当時、彼女を名字で呼んでいた僕に、ゆりちゃんはこんなふうに言った。
僕はそのメールをそっと、受信箱の保存済みボックスに入れて夜な夜な読み返していた。
(当時の携帯電話はすぐに受信箱がいっぱいになってしまうので、保存しなくていいメールを逐一消していく必要があった)
恐らく、数えきれないほどのやり取りをして、その始まりはいつもゆりちゃんから送られてくるどうでもいいメールからだった。
* * *
あるとき、彼女から決定的なメールが送られてきた。
「私のクラスで君のこと好きだっていう子がいるんだけど。君は好きな子とか気になっている子いないの?」
気になっている子、というニュアンスがいまの学生に理解されるのかどうかは分からない。
僕は「いるよ」と返した。
だれ?
たしか、ひらがなで彼女は返してきたと思う。
いま思えば、あまりに衝動的で、直情的な返答だったと思う。
少なくとも、誰が僕のことを好きだと言っているのかくらい聞いても良かったのかもしれない。
それでも当時の僕にはそれ以外の言葉が思いつかずに、こういった。
「君のことが好き」
たぶん、そのときが「新着メール問い合わせ」を人生で一番押した日だったと思う。
ややあって返信はいつも通り返ってきた。
「〇〇のことはかっこいいし、好きだよ。
でも、他にもっと好きな人がいるんだ。ごめんね」
多分バスケ部のあいつのことだろうな、と僕はなんとなく思った。
双子の兄で、勉強もできればバスケも上手い男の顔が僕には浮かんだ。
真偽は分からないが、そもそもそんなふうに明らかに誰かに頼まれて僕に探りを入れてきている相手に対して、「君が好き」なんて言っても、万一にも「私も好き!付き合おう」なんてことになるはずがなかった。
そして愚かにも僕は、その送られてきたメールを保存して、メールの前半部分だけを何回も読み返すことをその後数年間の生きる糧にした。
* * *
その後、僕とゆりちゃんの間のメールのやり取りは激減した。
中学3年で受験を控えていたこともあるし、何よりフラれた相手にメールを送るのもどうかという気がして、お互いにやり取りは減ってしまった。
中学を卒業し、僕とゆりちゃんは別々の高校に通うことになった。
卒業してから僕らはほとんどやり取りをしなくなったが、一度だけ彼女と会ったことがある。
家の近くで僕が近所の人と話し込んでいるときに偶然自転車に乗った彼女が通った。
声をかけてきたのはゆりちゃんからだった。
何を話したのかは分からないが、長い髪をさらに伸ばして、それがとても綺麗だったのを覚えている。
彼女の家は僕の家からも歩いて2分ほどのところにあって、それから彼女にまた偶然会えないかと僕は意図的に彼女の家の前を通るようになった。
大学に入って地元を出ても、帰省したときに彼女の家の前を通ることは、いまも無意識に続けてしまっている。
たとえゆりちゃんがタイミングよく家から出てきても、それが彼女だとはもう分からないにも拘らず。
* * *
ぼくとゆりちゃんの話はこれでお終いだ。
他の人から見れば、ただ告白してフラれただけのことに聞こえるかもしれない。
それでも、あれから13年経った今ですら、彼女は僕にとって忘れられないし、なぜ忘れられないのか誰かに問われても、明確に説明ができないほどに僕は理屈でなく彼女のことが好きだった。
その後、彼女は地元の警察署の事務員になったらしい。
極めて気持ちの悪い話と自覚はしているが、いま彼女が元気にしているか知りたくて、Googleに彼女の名前を入力したところ、警察署の公式サイトに彼女の名前と写真が載っていた。
きっと、同じ警察署の誰かと結婚でもしたのだろう。
そいつは筋肉質な優男で、出世もしない代わりに彼女を泣かせるようなこともなく、そして彼女と二人、緩い幸せを感じながら、今後も一生不自由なく暮らしていくのだろう。
僕は根拠もなくそんなふうに思っているし、そうであってほしいと思っている。
かく言う僕も、ゆりちゃんとの思い出は心の底にしまったまま、結婚してまあそこそこ幸せに暮らしている。
彼女が中学のころ好きだった(と僕が予想した)同級生の男は、最近車で人を撥ねて捕まって新聞に載ったらしい。
もう一度彼女に会いたいとまで贅沢は言わない。
それでも、人生でもう一度だけでいいから、中学のことを思い出したとき、誰かとメールをしたとき、誰かに好きだと言われたとき、お腹がすいたときだっていい。
僕のことを思い出してくれないだろうか。
そして願わくば、僕は一生彼女のことを覚えていたいと思う。
つきこ
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