結局僕はガンダムのジムでしかないという話
思えば社会人になってから5年以上、休みの日に「何もせずに休む」ということをしたことがなかった。
僕は常に何か目的に向かって身体や頭を動かしていないと落ち着かない人間で、休みの日も動画を作ったり、イラストを描いたり、小説を書いてみたりしてきた。
逆に遅くまで寝ていたり、目的もなくスマホを眺めていたり、黙ってテレビを見たりすることにストレスを感じてしまう。
友達と長い時間を過ごすこともよほど刺激的な出来事でもない限り、それが自分の「やりたいこと」を阻害する障害のように感じてしまうのだ。
そんなふうに言うと、大概は「すごいね」というような反応をされる。
休みの日までそんなに頑張って偉いね、と。
(もちろんお世辞だろうけれど)
でも、きっとそうじゃなくて、むしろ逆なんだと思う。
僕は「すごくない」から、何か頑張っていないと不安に押しつぶされてしまいそうになるのだ。
僕が死んでも世界は回り続ける
僕はこれから生きる未来を想像して、とんでもなく絶望することがある。
子供のころ無限に広がっているように思えた未来への選択肢は、大学に入り、就職活動を経て社会に出てから、驚くほどに減ってしまった。
僕は俳優でもなければ、起業家でもないし、素晴らしい文才もなければ、人々が涙する壮絶な過去の経験もない。
ただひたすらに凡庸で、突き抜けた専門技術もなく、少し勉強はできるけれど上には上がいて、それでいて全てを投げ捨ててもいいほど好きなものも持ち合わせていない。
僕は普通に生きてきた。そして、これからも普通に生きていく。
そこそこうまく働いて、いい感じの人間関係を築きながら、まあまあお金を貰って生きていく。
世の中には僕のように普通に生きられる人を羨む人だっているのかもしれない。
でも、僕はふとこんなふうに思って不安に駆られるときがある。
「僕が僕である意味って何だろう」
「僕以外の人間が、僕とすり替わっても誰も困らないんじゃないだろうか」
「僕が死んでも、世界は何事もなかったように回り続けるんじゃないだろうか」
いや、確かに誰かが死んでも、それが有名人であれ、世界は回り続ける。
言いたいのはそうじゃなくて、仮に僕が死んでも誰も困らないのだとしたら、僕がいま生きている価値は限りなくゼロに近いんじゃないか、ということだ。
緩やかな平穏なんかじゃなく、いま僕が生きていることの価値がほしい。
僕以外の誰かじゃなくて、僕だけが提供できる価値が。
そう思いながら、日々何かを作りだそうと足掻いている。
でも結局、僕はガンダムで言うところのジムだ
あれこれ言ったけれど、結局今のところ僕は何を作りだせたわけでもない。
友達の結婚式に動画を作って喜んでもらったり、noteに作品を投稿して何人かの人に見てもらったりはしているけれど、それで何かが変わるほどの価値はまだ出せていない。
それは決してネガティブなことではないけれど、改めて分かったことは、僕には放っておいても世界を変えられるような才能があるわけではないということだ。
昔読んだ本に、「僕たちはガンダムのジムである」という本がある。
ガンダムを知らない人のために少しだけ話しておくと、機動戦士ガンダムは宇宙世紀0079年の人類が宇宙移民を初めて半世紀が過ぎた未来の、地球に住む人々と宇宙に住む人々の戦争を描いた作品である。
ガンダムはその戦争の後半に地球連邦軍(地球側)に投入された超高性能モビルスーツ(戦闘ロボット)で、一年間続いた戦争を圧倒的な戦力で終結させた、地球連邦軍の秘密兵器だ。
一方でジムというのは、ガンダムの下位互換の量産兵器で、アニメの作中でも散々にやられている凡庸兵器である。
まさにガンダムの引き立て役とも言える、「その他大勢」の量産型モビルスーツだ。
この本から僕が読み取ったことを超簡単に要約してみる。
・世の中の大半の人間は、ガンダム(天才)ではなくジム(凡庸)だ。
・ガンダムでもないくせに、ジムが最前線で敵と戦うと一瞬で死ぬ。
・ジムにはジムなりの戦い方がある。ガンダムでないことを悲観せず、ジムとして最善を尽くすべきだ。
まさにいま僕の直面している問題を言い当てているように思える。
この言いかえに当てはめるとするならば、僕はガンダムではなく、間違いなくジムだということだろう。
戦況を変えるほどの圧倒的な力を持たず、一握りの天才の裏でその他大勢としての役割を期待され、敵の最新鋭兵器の前に抵抗すべくもなく破壊される。
それがジム=僕なのだ。
ジムであることを認めなければならない
先にも書いた通り、これはきっとネガティブな話ではない。
「ナンバーワンにならなくてもいい、もともと特別なオンリーワン」と中年アイドルが歌ったところで、世界全体で見たらナンバーワンでなければオンリーワンにはなり得ない。
仮に日本の長たる安倍さんがナンバーワンであるとするならば、それ以外の国民は全員ナンバーワンではないし、ナンバーワンの安倍さんが本当にオンリーワンというわけでもない。
大半の人はナンバーワンでもオンリーワンでもない。
だからガンダムでないことは決して悪いことではないし、ジムだからと言って悲観すべきことでもないと思っている。
しかし、自分がジムであると認めるのはなかなか難しいことだと思う。
心のどこかで「自分は他の奴とは違う。ガンダムなんだ」と思い続けてきたのに、「自分はジムなんだな」と認めるのは、理屈ではない感情の部分で受け入れられないこともある。
現実に僕も、自分がまだ何かできるような気がするし、きっとこれからも足掻き続けていくだろう。
自分はガンダムだという幻想を振り払えずに、恥ずかしいことをたくさん発信していくのだろう。
ただひとつ言えるのは、自分がジムだと認めることで、楽になる部分もあるということだ。
大それたことを考えずに、
・自分が楽しむための動画を作ろう。
・とりあえずスキと思ってもらえるnoteを書けばいいや。
・自分の気持ちの整理のために絵を描こう。
そんなふうに思えたら、毎日がだいぶ楽になる。
きっと世界は変えられないし、自分が死んでも世界は回り続けるけれど、自分の周りくらいは少し何か変えられるかもしれない。
きっとすぐには認められないし受け入れられないと思うけれど、ジム(=凡庸)の中で出せる最大限の価値を発揮できたらいい。
誰にでも思いつきそうな話で、誰にでも書けそうな表現で、自分で伝えられる範囲の人に伝えて、少しずつ何かを変えていけたらと思う。
先は遠いし、受け入れられない部分もあるけれど、そんなふうに思っている。
つきこ