#02 INTERVIEW 写真家/森本洋輔
森本洋輔が見つけた1000人の“未完成”な女神たち
あなたには、何か、信念を持って続けてることはあるだろうか。
成功するか失敗するかわからない、それで生計を立てられる確信もない、”何か”。
多くの人にとって、仕事とは別に利益にならないなにかを継続し続けるということはなかなか難しい。続けられるとしたら、おそらくそこに強い『思い』や『信念』がある人だろう。
今回のご紹介は写真家の森本洋輔さん。
彼は仕事で写真を撮ること以外に、もう1つ、20代前半の頃から続けていることがある。この記事は、その話を聞いてきたことのまとめである。
インタビュー当日。
8月某日、今日はインタビューの日。待ち合わせの場所で待っていると、森本さんが笑顔でこちらへやってきた。白いTシャツと黒いバックのいつものスタイル。ひさびさにお会いした彼は、全く変わっていなかった。実のところ私は、久々に会うということですこし緊張していたのが、その表情を見た瞬間にはもうそれが吹き飛んでいた。森本さんは、人をどこかホッとさせる人柄の人だ。
森本さんとは3年ほど前に仕事で知り合った。物腰低く、どんな依頼も快く受けてくれる、気のいい人だ。今回のインタビューについても言えることだが、以前も急な案件の依頼で電話をした時も『大丈夫ですよ。僕、だいたい暇なんで(笑)』と冗談まじりに受けてくれた。そんな気のいい森本さん。
写真集 『Yoyogi Park, Shibuya-ku, Tokyo』のこと。
森本さんは『Yoyogi Park, Shibuya-ku, Tokyo』というポートレートの写真の作品を撮り続けている。
時たま個展のDMを頂いていたので、このインタビューの前から、何となくその存在は知っていたが、“プライベートではそんな写真を撮っている”。ただ、それくらいの印象だった。
今も時間を見つければこの撮影をしに出かけるという。
聞くとなんと、今年で14年目。撮影した女性は計1000人以上にも及ぶ。それらは、全て街角で声をかけて撮影した女性の写真だ。
この撮影は、一日、街中を歩き続け何も撮れないこともあるという。三日、一週間、一ヶ月、誰にも撮らせてもらえないこともある。それでも彼は撮り続ける。それを聞いて愕然とした。ぽかんとしていると、森本さんは笑って『僕は、続けることしか出来ないですから』そう言った。
ああ、この感じは、それほど大した事ではないと思ってる…いやいや、それってけっこうすごいことだし誰もが出来ることじゃない。才能と言ってもいい。そういう奢らないところは、本当に森本さんらしい。でもだからこそ、こういう写真が撮れるんだろう、とも思う。
そして彼は、来年出版予定という、作品集を見せてくれた。
ありがとうございます、と礼を言って、それをぱらぱらとめくる。
開いてみると、明るい、青いトーンで、森本さんらしい写真たち。きれいで切なくて、ああ、やっぱり好きだ。(もちろん、わたしは森本さんの写真のファンです)そう思いつつ、話を聞いて、またページをめくる。そうやって話したり本をめくったりを繰り返して、インタビューを進めていくうち、だんだんと森本さんの“心”のようなものが、見えてきたような気がした。
それは失恋から始まった、ポートレート撮影。
“人生で一番、辛かった経験”というのは誰にしも何かしらあるものだが、その経験をどうするかは人それぞれだ。克服が困難でトラウマになってしまう人もいるし、克服に成功して自身の成長へつなげてしまう人もいる。
森本さんは、後者のタイプだ。
東京の写真学校に通い始めてしばらくしてのことだった。高校時代から付き合っていた、初めての恋人との別れが訪れた。最初の頃は、その彼女を想い面影を求めて撮影していたという。
当時の撮影のことを思い出して、彼はこう語った。
「最初の頃はただひたすら、別れた彼女を想って撮影していました。知らない人に写真を撮られるときに見せる女性の表情は、付き合っていた彼女が別れるときに見せた表情に似てるように思えて、それに重ねていたんだと思います」
撮影という名の一期一会の別れを続けることでその傷を癒やしていたのだ。
そして、それがだんだんと変化していく。
「私でいいんですか?」と、女神は問う。
森本さんが撮影で声をかけていると「私でいいんですか?」といわれることが度々あったという。彼女らは森本さんが写真を撮る理由より、自分が選ばれたことを不思議に思うという。
また、彼女らにはほかにも共通点がある。綺麗な顔立ちなのはもちろんだけど、まず、若めの女性が多い。それも、よく見ると10代後半から、20代前半の女性たちのようだ。
何故このような年齢の人が多いのですか、と聞いてみると、意外な答えがそこにあった。
「もともとは、元恋人の面影を追って始めた撮影だったので、その当時の年齢に近しい女性が多いんです。でもそれは最初のきっかけでした。何年か撮り続けるうち、その世代の女性達の表情がとても魅力的だなと思い始めました。それは不思議と、その年齢から少し逸れてしまうだけで全く違ってくるんです。若すぎると悩みがないし、完全に大人になってしまうと、社会に適応した合理的な人間になってしまう。
魅力を感じたのは、おそらく彼女らに対する憧れのような気持ちからきていたのです。きっと僕にもそういう時があったから。」
きっとそれらは完全に熟する前のもの。きっと青過ぎても良くないし、熟し過ぎても良くない。未完成で未熟、その美しさは一瞬なのだ。
子供と、大人と、『絶望』。その狭間にいる彼女たち。
ここで、哲学者キルケゴールが書いた『死に至る病』の話を思い出した。
「人間は精神である。だが、精神とはなにか。精神とは自己である」という一説がある。
ここで言う絶望とは、死にたいけれども死ぬこともできずに生きていく状態のこと、肉体の死をも越えた苦悩が「絶望」である。
「自己」とは今生きている自分自身のことであり、本当の自分であろうとする自分から目をそらしている場合が「絶望」の始まりである。
誰でも「絶望」に陥る。なぜなら人間は一生、自分自身とつきあっていく存在であるからだ。他人ではなく自分に対しての関係がうまくいかずに、自暴自棄になったり、投げやりになったときなどに「絶望」が生じてしまう。この絶望こそが、人間にとってもっとも恐るべき「死に至る病」であるという考えである。
このキルケゴールが言った『絶望』というものを、一番強く感じるのがこの10代後半から、20代前半の時期なのではないのだろうか、と思う。『なぜわたしは生きるのか?生きる意味って?』そういうことを考えた頃はいつだったろうか。 例えば、今、きっと我々のほとんどが、この考えに陥ったとしても、この問いは不毛だと判断し、心不乱に勉強や仕事に励む。ほどほどのところで考えることを止めてしまう。なぜだろう。おそらくその理由の一つは、そうした問いが孕む不吉な予感にあるのではないか。つまり、そうした問いにかかずらっていると、いずれよくないところに足を踏み入れてしまいかねない、そう我々が感じ取るからではないか。
心の底に抱えた「絶望」にフタをして、目の前の仕事に勤しむ合理主義な大人たち。そんな大人の一歩手前の彼女たち。不器用にまっすぐ生きようとしているのにも関わらず、彼女らはなす術もなく「絶望」を目の前に呆然立ち尽くす。一切の盾や鎧をもたずにもがき苦しむ彼らを、おそらく彼は直感的に被写体として選んでいるのだ。
そういう無防備な純粋さを持つ彼女たちの美しさを見て、“本当に美しい人は自分の美しさに気づいていない人なのかもしれない” と、そう思ったという。
写真賞受賞時、ヒロミックスさんのこんなコメントがある。
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『選出した森本洋輔君、選んだ決め手は「叙情的」。わりとありがちなポートレイトですが、よく見ると女の子達が少し泣きそうな顔をしている。それは女の子達の感情なのか、写真を撮る人の感情なのかはわからない。
誰もが孤独を感じてる時代に、彼女達の静かな感動を感じるし、撮影側が感動してるかもしれない。写真の長所として「瞬時に場面を切り取れること」それはその一瞬で、昨日にも明日にも同じ場面はやってこない。すなわち「生命の輝き」を表現出来る。』(2014年 写真新世紀グランプリ審査会後HIROMIX さんコメント 抜粋)
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きっと森本さんは、撮影することで自分を慰めていた。だがそれを撮り続けるうち、継続するうち、彼の中でそれは徐々に変化したのだ。その行為自体が、作品へ変化した。
“継続は力なり”。こんなありきたりの慣用句でまとめてしまうと、少々かっこ悪く聞こえてしまうが、彼こそが正にそれを成し得た人なんだと思う。
未完成の女神たち
森本さんは、神聖で崇高な存在として、被写体である彼女たちを見ている。まるで“女神”のように。それは撮られた写真からも見てとれる。純粋で、まだ未完成で、美しい。まだまだ、彼は街角に佇む女神たちを追い続ける。そして、作品を紡いでいくのだ。
そしてインタビューの最後に、彼はこう言った。
『あと6年は続けていきたい。(ちょうど20年になるから)それでもし満足したら、この作品はいったん終わるかもしれない。でも、その後も違う形で作品を続けていくんだと思う。もし結婚していたら妻を撮影しているしれないし、もし子供ができていたら、子供を。いまの作品につながるように、僕は生きる限り、写真を撮り続けていくと思います。そういう写真家になりたいんです。』
連日猛暑が続くなか、この日も暑い日だった。終わる頃には日が暮れていて、夕方になっていた。
帰り道、雲の途切れ目から差し込むきらきらした夕日の陽の光が、彼の背中から溢れていた。明日も明後日も、彼は時間の限り撮り続けるんだろう。
再会を約束して、私たちは別れた。
森本洋輔 PROFILE
日本写真芸術専門学校卒業/第37回写真新世紀優秀賞(HIROMIX 選)
出身 :香川県小豆島/生まれ:1982年 /人生で影響を受けた人:高橋恭司さん、若木信吾さん/好きな映画監督:Aki Kaurismäkiさん
HP:https://yosukemorimoto.com
INSTAGRAM:https://www.instagram.com/morimotoyosuke
/https://www.instagram.com/yoyogiparkshibuyakutokyo/
もっと話したりませんが、本日はここまで。
WEIBO(中国版のSNS)でも紹介されました〜!アジアにひろがれ〜。森本さん。↓
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