殺死李蓮花-第1巻 運命の始まり-第2章 剣の鋭き煌めき、宿命の双影

剣先が喉元までわずか寸ほどの距離に迫り、冷気が肌を刺すようだった。しかし、李蓮花はまったく動じることなく、ただ静かに目を上げた。その眉間には、風霜を経た者特有の落ち着きと穏やかさが宿っており、まるで剣の矛先に晒されているのが自分ではないかのようだった。
「俺が君を騙しているかどうかは、そのうち分かるさ。」彼は静かにため息をつきながら、どこか疲れたような口調で続けた。「もし俺が嘘をついたとして、それに何の意味がある?」
李相夷の手は強く柄を握りしめたせいで白くなり、剣がわずかに震えていた。激しく上下する胸、止めどなく湧き上がる感情——怒り、驚愕、そして哀しみが絡み合い、彼を押しつぶしそうになっていた。
信じられない。いや、信じたくない。目の前の男が語る言葉の一つひとつが、もしかすると真実かもしれないなどと。
しかし、その瞳の奥に一瞬宿った痛みと迷いは、李相夷の心の奥底にある動揺を浮き彫りにしていた。
「お前は俺じゃない!」彼は歯の隙間から搾り出すように言い放った。声は冷えきっており、まるで凍てつく霜のようだった。「俺は李蓮花になどならない、絶対に!」
「自らこんなふうに落ちぶれることを選んだのなら、今ここで殺してやる。」
剣先がわずかに押し下げられ、冷気が毒蛇のように李蓮花の首筋を這い上がる。しかし、李蓮花は微動だにせず、身じろぎすらしなかった。ただ静かに李相夷を見つめるその眼差しは、穏やかで温かく、彼の心に鋭く突き刺さった。
「俺にとっては、むしろ楽になれるかもしれないな……」李蓮花は小さく息を吐き、わずかに苦笑した。
その眼差しはどこか慈しみに満ち、哀れみさえも帯びていた。それは包み込むようであり、ある種の諦念すら感じさせた。李相夷はその瞳を見つめながら、心の中で燃え盛る怒りが、次第に苦渋に変わっていくのを感じた。剣は空中で止まり、指先がわずかに震え、しかし、それ以上動かすことはできなかった。
二人の間に長い沈黙が流れ、剣の冷気と見えない圧力が空気を張り詰めさせる。
李蓮花の瞳は鏡のように、李相夷の感情を余すことなく映し出していた。その眼差しには、深い哀しみとやるせなさ、そして温かな優しさが滲んでいた。その表情を見た瞬間、李相夷の胸の奥が締めつけられ、言いようのない苦しみが込み上げた。
その時だった——
李蓮花の唇から、低く抑えたうめき声が漏れた。ほんの一瞬、しかしそれは静寂を引き裂くには十分だった。眉間が強く寄せられ、顔色が一瞬でさらに蒼白に変わる。彼は胸を押さえ、体が小さく震えた。次の瞬間、暗紫色の毒が蜘蛛の巣のように首筋へと広がっていった。
李蓮花の体が限界を迎えたかのように、口から鮮血が勢いよく吐き出された。白い砂浜に赤が飛び散る。そのまま彼の体は力を失い、砂の上に崩れ落ち、苦しげに身を縮めるように丸まった。
「李蓮花!」
李相夷の瞳が大きく見開かれ、声が思わず上ずった。
海風が吹き抜ける中、砂浜に横たわる人影は微動だにしなかった。
その顔色は紙のように青白く、痛みに耐えるように微かに痙攣し、今にも息が止まりそうだった。
李相夷は愕然とし、握っていた剣がわずかに震えた。
呆然としたまま、しばしその場に立ち尽くしたが、次の瞬間、急いで膝をつき、剣を鞘に収めた。そして躊躇いがちに手を伸ばし、李蓮花の肩にそっと触れる。
目の前の男は、あまりにも脆く、あまりにも儚い。
昨夜まであれほど憎々しげに「未来の自分」を否定していた李相夷は、今、どうするべきかもわからず、ただ困惑した表情を浮かべるばかりだった。
あの自信に満ちた、傲慢で誇り高い李相夷が——
今、初めて、狼狽し、戸惑っていた。

深い海の向こうから、赤く染まった太陽がゆっくりと昇ってくる。
その光は静かな砂浜を照らし、白く乾いた砂粒に温かな金色の輝きを纏わせた。
その黄金と紅の光は、まるでこの荒涼とした世界に、微かばかりの生命を吹き込んだかのようだった。
李蓮花の指先が、わずかに動く。
眠りの中から意識がゆっくりと浮上し、瞼が重く持ち上がると、燃えるような朝焼けが目に映った。
鮮やかな朝陽が、彼の青白い顔にかすかな温もりを添え、身体の奥深くに眠る内力さえ、ほんの少しだけ戻ったように錯覚させた。
彼はじっと朝陽を見つめ、微かに唇を弧にする。
「また朝日を拝めるとはな……」
淡く笑いながら、自嘲気味に呟いた。「この命も、捨てたもんじゃないってことか。」
李蓮花はしばらく朝焼けに見入った後、ようやく上体を起こし、昨夜まで自分を殺そうとした若者の様子を確かめることにした。
——太陽が昇りきるというのに、妙に静かすぎる。
彼の視線の先、李相夷は静かに砂浜に横たわっていた。
潮風がその髪をなびかせ、湿った塩の香りが漂う。
昇る朝陽の光を浴び、彼の鋭く強張っていた眉目は、少しだけ穏やかに見えた。
いつものような鋭さはなく、代わりに滲むのは、柔らかく、どこか夢の中にいるかのような静けさ。
李蓮花は、一瞬だけ動きを止めた。
何とも言えぬ感情が、心の奥から浮かび上がる。
かつて——彼は李相夷を憎んだ。
あの自信家で傲慢な男を。四顧門の兄弟たちを死に追いやったことを。
仲間を失い、すべてを壊されたあの日、彼は憎しみに焼かれていた。
だが、時という波は、その灼熱の感情を少しずつ削り取り、今や、もはやあの頃の激情は残っていなかった。
代わりに残されたのは、己に向けた憐憫と、過去を手放すための諦念。
そして、ほんの僅かだが——言葉にできない感情が、そこにあった。
昨夜の会話は、一枚の鏡のようだった。
李相夷の姿に、かつての自分を見た。
若く、無邪気で、誇り高く、そして無知な自分を。
時の流れの中で色褪せた記憶が、今になって鮮明に蘇る。
彼はただ、過去の自分が同じ過ちを繰り返さぬよう願った。
そのために、すべてを話したのだ。
この若い自分が、少しでも違う道を歩めるように——
少しでも、無駄な苦しみを味わわずに済むように。
李蓮花はそっと微笑むと、砂浜に横たわる李相夷の傍へ歩み寄った。
「李相——」
声をかけかけて、ふと違和感を覚え、言葉を詰まらせる。
——いや、自分で自分をそう呼ぶのも、なんだか妙な話だ。
彼は咳払いし、改めて口を開いた。
「……李門主、そろそろ起きる時間だぞ。」
しかし、応えはない。
李蓮花は目を細め、眉を寄せた。
このまま無視されるのも癪だ。
ならば——と、彼は少しばかりの悪戯心を起こし、手を伸ばした。
その、かつて幾度となく自分を苛立たせた眉目の整った顔を、少しつまんでやろうと——
——冷たい。
指先に触れた肌は、まるで氷のようだった。
「李相夷?」
瞳孔が鋭く縮まり、笑みが顔に張り付いたまま固まる。
その声には、明らかに揺らぎがあった。
不安に駆られるように、声を張り上げる——
「李相夷!」
——しかし、海風が静かに吹き抜けるだけだった。
砂浜は沈黙に包まれ、そこに横たわる李相夷は微動だにしない。
何の反応も、何の返事もなかった。
李蓮花の手が震え始める。ゆっくりと、彼の鼻先へと手を伸ばす——
そして、手が空中で止まった。
——息がない。
その瞬間、全身が凍りついた。胸の鼓動すら、一瞬止まったかのように思えた。
昨夜まで、あんなにも誇り高く生きていた李相夷の顔を見つめながら、彼は信じられないように呟いた。
「……そんな、はずがない。」
無数の考えが、一気に頭を駆け巡る。
目覚めたときに感じた、微かに戻った揚州慢——あれは錯覚などではなかった。
自分と李相夷は元々同じ存在、内力は同源のもの。
……まさか。
まさか、李相夷は自分が毒に苦しんでいたあの時、己の内力を全て渡してしまったのか?
なぜ?
昨夜、彼は確かに剣を喉元に突きつけ、殺意を滲ませていた。
あの刃の冷たさはまだ記憶に新しいというのに——
考えられる理由は、ひとつだけ。
——昨夜の言葉が、李相夷の心を変えたのか?
——李相夷は、李蓮花になりたくなかったのか?
李蓮花は、そっと目を閉じた。
心の奥に、言葉にできない感情が渦巻く。
——俺は李相夷だ。だが、この瞬間だけは、李相夷の考えが理解できない。
彼は、東海の戦いの後、あらゆる苦しみを乗り越えてきた。
負傷、中毒、裏切り、飢え、絶望——
憎しみ、怒り、悔しさ……何もかもがあった。
だが、それでも彼は生きることを諦めたことはなかった。
誇りがあるからこそ、彼は絶対に屈しなかった。
ならば、李相夷もまた、屈するはずがない。
李相夷なら、李蓮花を殺し、自分の歩むべき道を突き進むべきだった。
再び天下第一の剣客として、傲然と生きるはずだった。
……なのに、彼は違う選択をした。
李蓮花は、長い沈黙の末、ゆっくりと意識を取り戻した。
そのとき——
腰に、見覚えのあるものがあるのに気づく。
手を伸ばし、それを引き抜くと——
「吻頸」
陽光を受けた剣の刃が、淡い青い光を帯びている。
李相夷が、自分に持たせたのだ。
さらに、懐の中には、見覚えのある令牌と香囊が入っていた。
李蓮花は、李相夷がなぜこの選択をしたのか、理解できなかった。
だが、ひとつだけ分かることがある。
——李相夷は、李蓮花に生きてほしかったのだ。
李蓮花は、ふっと鼻で笑い、ゆっくりと目を閉じた。
滲んだ涙が頬を伝い、白い砂の上に落ちていく。
喉の奥から、苦笑とも嗚咽ともつかない声が漏れる。
「……この馬鹿め。」
声は、微かな笑みと、どうしようもない痛みを含んでいた。
「俺の道は、もう終わったというのに……お前は楽をしやがる。」
深く息を吸い込み、震える指先で剣を撫でる。
そして、しっかりと腰に巻き直す。
——もう二度と、手放さない。
これが、李相夷が自分に託した最後の願いなのだから。

李蓮花は静かに砂浜に座っていた。
背後の黒い岩に寄りかかりながら、目を無限に広がる海へと向ける。
白い波が幾度となく押し寄せ、そして静かに引いていく——
それはまるで、終わることのない輪廻を語るようだった。
彼は波の囁きを聞き、潮の満ち引きを眺めながら、
塩の香りを含んだ海風が頬を撫でるのに身を任せていた。
——日が昇り、日が沈むまで。
彼はただ、そこに座っていた。
何も言わず、ただ黙って李相夷に寄り添っていた。
……言葉をかけても、もう返事はないのだから。
——黄昏。
赤く染まった夕陽が、ゆっくりと空を染め上げる。
燃え盛る炎のように、深い青の海を血の色に染めていく。
李蓮花の影は夕陽に照らされ、長く伸びる。
それはまるで、一本の冷たく孤独な剣のように、
斜めに白い砂の上へと落ちていた。
彼はゆっくりと立ち上がり、服についた砂を払い落とす。
そして静かに振り返ると、そこには今も変わらず横たわる李相夷の姿があった。
彼を見つめる眼差しは、どこまでも穏やかで、しかしどこまでも哀しかった。
やがて、ふっと小さく息を吐く。
その声音には、どこか安堵にも似た響きがあった。
「行こう。」
彼はそっと囁いた。
「最後の旅路を、見送らせてくれ。」
——李相夷を背負う。
慎重に、丁寧に。
彼の歩みは決して乱れることなく、しかしどこか重たく。
昨夜、彼らが乗った小舟まで辿り着くと、
李蓮花は彼の身体をそっと横たえた。
皺の寄った衣の襟を整え、
赤い絲の飾り紐を指先で直し、
すべてを綺麗に整える。
——李相夷の顔を見つめる。
李蓮花は、微かに目を細めた。
もしかすると、彼はそれほど多くの未練を抱えていなかったのかもしれない。
そう思うと、不思議と少しだけ、心が楽になった気がした。
——そして、気づいた。
夕陽の光に照らされ、李相夷の額に一筋の赤い線が浮かび上がっていた。
それは、まるで細く長い傷痕のように——
あるいは、皮膚に刻まれた烙印のように——
「……?」
李蓮花は眉を寄せ、手を伸ばす。
指先が、そっとその印へ触れた。
だが、表面には何の隆起も感じられない。
まるで皮膚の下に刻み込まれたかのように、それは肌と一体化していた。
李蓮花の脳裏に、疑念が浮かぶ。
——昨夜、彼の額にこんなものはなかったはずだ。
これは何だ?
毒が発作を起こした際の痕跡か?
それとも——
彼は、沈黙の中で考え込んだ。
「これは……一体?」
李蓮花はしばらく考え込んだが、答えは見つからなかった。
深く息を吸い込み、そっと小舟を押し出す。
波が静かに船体を持ち上げ、少しずつ沖へと運んでいく。
李蓮花はその場に立ち尽くし、遠ざかる小舟を見つめ続けた。
波に揺られ、ゆっくりと海へ溶けていく影を追いながら、
まるで風に溶かすように、静かに呟く。
「いろいろ考えたが……君を一つの土地に縛り付けるのは、やはり違う気がする。
大海こそが、君にとって最も相応しい安息の地なのかもしれない。
この海が、君の自由と誇りを、そのまま抱いてくれることを願おう。」
彼はふっと息を吐き、唇に淡い苦笑を滲ませる。
声は次第に低くなり、まるで誓いを囁くかのように、静かに続けた。
「……果たされなかったことは、李蓮花がやり遂げる。」
小舟は波に揺られながら、徐々に遠ざかる。
やがて、一つの小さな影となり、ついには無辺の地平へと溶けていった。
李蓮花は、その場を去ろうと踵を返す——
しかし、思わずもう一度振り返る。
燃え落ちる夕陽の余韻の中、
李相夷の額に刻まれた、あの細く赤い印が、かすかに輝いているように見えた。
それはまるで、死者に刻まれた呪印のように。
いや、それ以上に——
彼の心に、深く、消えぬ刻印を残した。
李蓮花の眉がわずかに寄せられる。
心の奥に、説明のつかない不安が滲み出す。
「……これは一体?」
「まだ、何かが起こるというのか……?」
低く響く波音の中、李蓮花は剣を収め、静かに踵を返す。
そして、紅く染まる地平の向こうへと足を踏み出した。
この先に待つのが、いかなる嵐なのか——
その答えを知る者は、誰もいなかった。

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