エフィス・グランツ【創作大賞 2024 漫画原作部門】第一話
補足設定と構成結末。
「ソーサル」
-世界で十人しかいない選ばれた人類。古来から存在し、歴史の裏側で人を支配してきた存在。選ばれた者が死ぬと人類の中からランダムで選ばれ、力が受け継がれる。
「霊術師」
-ソーサルの支配に抗う手段として万人が持つ内なる力、霊術を行使する者たち。
「リベラシオン」
-ソーサルに対抗するために創られた霊術師による組織。ソーサルを倒すためならどんな犠牲も許さない。
「タウゼント」
-ソーサルナンバー1『流星のアインス』が作った戦争を止めるための精鋭集団。一部のソーサルナンバーと霊術師で構成されている。
※主人公とヒロインの、戦う理由と葛藤の結末までの物語です。
ライトノベル向け。
小説形式で約15万文字相当となります。
――気持ち悪い。
降りしきる雨に打たれながら少女は心の奥底で呟いた。
少女は荒廃した街中で一人、立ち尽くしていた。燃えた材木とコンクリート片で埋め尽くされた地面には道というものはなく、ただそこには何かであった欠片が広がっているだけだった。
長時間、雨が流したおかげで所々に散っていた生々しい赤い色はもう見えない。この場所に、助けるべき命はすでになかった。
――気持ち悪い。
曇天の空を見上げながら、少女はもう一度呟く。
言葉にはしなかった。言葉にしたら張り詰めているものが何の抵抗もなしに切れてしまいそうだったから。
美しい銀髪を腰まで伸ばした六歳に満たないその少女は、西洋人形のような端正な顔立ちと相まってとても大人びた顔をしていた。すれ違えば振り向いてしまうような天性の美しさ。しかし、彼女の今の姿はとても眼を当てられるものではなかった。
白いワンピースは泥と赤い血で塗れ、左腕の指先から肘にかけて火傷のせいか黒く変色している。元々、色白だった肌のためにその対比はとても際立ち痛々しく見えた。
少女は無感情のまま、灰色一色の空を見つめる。もうあと数時間もすれば星が見える時刻になるが、今日はその都会の僅かな星の輝きさえも見えそうにはなかった。
ふと、前に初めてこの街を訪れたときを思い出す。
はっきりとした記憶の映像が、少女の脳内に映し出された。天を衝くような高いビルが並び、整備、装飾された町並みは視界に映る全てがキラキラしていた。夢の世界に足を踏み入れたような、そんな気分だったと思う。外出することがほとんどなかった彼女にとって、その思い出は強く心に残ったものだった。
感情を上手く表に出せない彼女には、子どもが当たり前に思うその気持ちをちゃんと伝えられていたか、今さらながら不安になった。
―――誰に?
脳内に流れていた過去の映像にノイズが走る。
隣にいた人は誰だった?
私の手を握っていた人は、誰だった?
記憶の中で少女が見上げるその人の顔には黒い影が差して見えなかった。その人が発する声には雑音が乱れ、聞こえない。伝わっていた温もりが温度を失うように掌からゆっくりと消えていく。
「綾奈」
不意に、名前を呼ばれた。
もう随分と長い間、人の声を聞いていなかった気がする。綾奈と呼ばれた少女はゆっくりと背後からの声に振り向いた。
そこには近代西洋の王族が着るようなドレスを着た女性が立っていた。パニエによって膨らんだロングスカートにフリルが施されたドレスはウエディングドレスを想起させるが彼女のそれは正反対の漆黒色に包まれていた。
名前を知っている。
桐谷蓮華。世界で十人しかいない選ばれた人類の一人だ。
蓮華は長身で長い黒髪を後ろで束ねており、綾奈とは真逆の日本人らしい和の美しさを持っていた。だが、その美麗な姿に他人が眼を奪われるようなことはまずないはずだ。彼女は容姿とは裏腹に威厳のある雰囲気が常に漂っており、まるで刃物を突きつけるような圧を放っていた。
今よりも幼い時分から蓮華が近くにくると緊張したのを覚えている。けれど普段から感じる蓮華の緊迫感が今はどこか柔らかい印象を受けた。その理由がなんであるのか、今の綾奈にはその答えを出すことは出来ないだろう。
「大丈夫? 綾奈」
続けて問われた声に、綾奈は沈黙で応えた。
なんて応えたら良いかわからなかった。何か自分の身体の中にどこまでも続く空洞が出来たような感覚があるだけで、それを言葉することが出来なかったのだ。この気持ちの理由はいつの間にか損失してしまっていた。
それでも答えを求め、綾奈は蓮華の足下に目線を向ける。そこには胸に穴が空いた女性の遺体が横たわっていた。その表情は苦痛に歪んだものではなく、後悔を残した顔でもない。ただ何かを祈るような、穏やかな顔だった。
ああ。一つ思い出した。
それはパチリと綾奈の中でパズルのピースがはまったように感じた。私は死んだのだった。唯一大切なものを失って、そこで一緒に死んだのだ。
身体中を巡る気持ち悪さの正体が、わかった。
「……アインス」
綾奈は押し潰されたような声で蓮華を呼ぶ。彼女をナンバー名で呼ぶのは初めてだった。
綾奈はいつだってどんなことも受け入れることに決めていた。自分が蓮華と同じ、選ばれた人類『ソーサル』の一人だと知らされたときから。
どんな苦痛も
どんな不安も
どんな不幸も
どんなに不条理でも
理由は問わずただ全てを受け入れる。
それはまだ幼い綾奈にとって重すぎる決断だったに違いない。
しかし、綾奈はその背負い方に疑問を持たなかった。それが選ばれてしまった自分が出来る、あの人を守るための方法だったからだ。
誰を守ろうと思ったのか。もう、思い出すことは出来ない。
綾奈は違和感を拭い去るように再び口を開いた。
「……教えて、もらえますか」
蓮華は何も言わず、綾奈の瞳を真っ直ぐ見つめる。綾奈もその瞳を見返しながら続けた。
「人の殺し方を」
しばらく、沈黙して綾奈を見ていた蓮華だったが、ふと彼女が自分の足下に視線を落としたのがわかった。数秒、見つめたあと蓮華は小さく何かを口にして苦笑する。何を言ったのか綾奈の耳には届かなかった。でも唇はこう動いていた気がする。ごめんね、と。
再び、蓮華の眼が綾奈に向けられる。その眼差しは一人の戦士に対して向けられる眼だった。
「人の護り方を、教えてあげるわ」
蓮華はそう言うと、足下の遺体を抱きかかえて踵を返した。
綾奈は迷いなく蓮華の後を追う。蓮華の背中と一緒に、彼女が抱える遺体の横顔が覗いていた。
無意識に綾奈は脚を止める。自分では見えないとても深い胸の奥からこみ上げてくるものがあった。それを押し込めるように綾奈は歯を食いしばる。
何かを言われた気がした。願い、祈られた気がした。
思い出せない。確かめることも、もう二度と。
蓮華と名前の知らない遺体はどんどん遠ざかっていく。
きっとこれは、今しか言えないことだろう。理由のない確信があった。そしてそれが許されないものだということもわかっていた。
綾奈はそっと、言葉を口にする。
きっと、私の大切だった人へ。
「……いってきます」
最初で最後のその言葉を胸に、綾奈は再び歩き出す。
この世界は狂っている。どうしようもなく歪んでいる。
その根源はこの世界そのものだ。
こんな世界が存在すること。それが気持ち悪くて仕方が無かった。
殺さなければならない。一人残らず、この世から消してやる。
私は亡霊だ。もう失うものなど何もないのだから。
綾奈は足を踏みしめて進んでいく。荒廃した地獄の街を。
降り続いていた雨が、止み始めていた。
――――
扇形に広がった高級マンションの一室の扉の前で桐谷祥介は自分の鼓動が耳元で聞こえるような気がしていた。当然錯覚ではあるのだが、今の精神状況ならばなんでも信じてしまいそうになる。もう指では数えられないくらい同じ経験をしているはずなのに、いざとなるとこうして緊張してしまう。自分のメンタルが軟弱なのか、自分の周りにいる仲間が強靱なのか。後者であってほしいところである。
カシャンと小気味のいい金属音が鳴った。隣りに立つ妹が拳銃のスライドを弾いて弾を装填した音だった。
「緊張し過ぎ」
身体の芯を凍らせるような冷たい声で言われた。
二つ年下でこの四月、中学三年と進学した妹の桐谷雪華は平常運転だ。本当に幼い頃はよく一緒に遊んでいたし、特に意地悪をした記憶もないのだがいまでは圧倒的に嫌われていた。
まぁ誰に対しても厳しい物言いなのだが、兄に対しては一層向けられる刃が尖っているのだ。妹であり、霊術師として先輩であるという複雑な立ち位置が理由だと思いたい。
祥介は精一杯の力を込めて声を震わせないように言う。
「他人の家に踏み込むのはやっぱり気後れするだろ。今回は何も知らない家族も住んでるわけで」
「いいじゃない。後学の為に聞いておきたいわ。どう育てればあんな腐った子どもになるのかってね」
「……まぁ、親が全てではないけどな」
というより、雪華に母親になる意識があることに驚きだった。言うと怒られそうなのでこれは黙っておくことにする。なんて思ってる間に、雪華は躊躇ない動作でインターホンを鳴らした。
まだ心の準備が出来てないのにと思うと同時に、スピーカーから「はい」という平坦な女性の声が届いた。
「七階の添田です」
雪華が自分の声ではない声で言った。
添田とは祥介達のターゲットである母親の友人の名前だ。もちろん、インターホンのカメラも細工済み。極力、穏便に済ませるための手段である。
「ちょっと待ってね」という疑った様子もない声でスピーカーの声は途切れた。
霊術を使えば特定の声を話すことは可能だった。あんまり長い間話すと地声に戻ってしまうが今のように一言なら問題ない。
扉が僅かに開いた瞬間、雪華は力ずくで扉を無理矢理開かせる。四十歳半ばくらいの女性が前によろめいた。彼女からすれば理解出来ない光景だったはずだ。友人だと思って外に出た瞬間、十代の女子に銃口を向けられているのだから。
迷いなく雪華が発砲した弾は女性の胸に直撃し、女性は映画のアクション俳優のように後方へ大きく吹っ飛ばされた。
この痛ましい絵を見るのはもううんざりである。
「なぁ……これ違うやり方ないのかよ」
「前回は下手に話して警察呼ばれたでしょ。交渉だけで問題は解決しないわ」
祥介の苦言を一蹴し、雪華は土足のまま家の中へ入る。
ため息をつきながら祥介もその後に続いた。
廊下で横たわる母親のそばを通り抜ける。目が覚めれば前後の記憶は無くなってるわけだが、乱暴に箱へ詰めるようなこのやり方に祥介は納得が出来なかった。雪華の言うように綺麗事だけで丸く収まらないこともわかっているのだが。
二人は廊下の奥にある部屋の前に付き、絶対入るなと汚い字で書かれたコピー用紙が貼られた引き戸の扉を開ける。なかはごく普通の男子中学生の部屋で目立った特徴があるわけではなかった。
一つ、あるとすれば部屋の主、本人であろう。
一般的な体つきの中学生の少年は机の椅子に座り、頭には目元まで覆われた巷で人気のVR危機のようなごついヘッドセットが装着されていた。雪華は彼を存在してはならない嫌悪物だというような眼で後ろから強引にヘッドセットを外した。少年は、あっと情けない声を出す。
「おいっ! ばばぁ! 何勝手に……」
見慣れた顔がそこにあると思ったのだろう。振り返った少年は呆気にとられ言葉を失っていた。
「母親が撃たれてる最中に、随分と楽しいことをしていたようね」
雪華の冷たい声は黒い怒りが滲み、熱を帯びはじめていた。まぁ撃ったのはお前だけどな、とはもはや言うまい。
「誰だよ、お前ら……土足じゃねぇか!」
スイッチが切り替わったように叫び出した少年をよそに、祥介は雪華からヘッドセットを受け取る。機器を改造されたものでコードなどはついていない。代わりに頭頂部には霊符と呼ばれるものが張られていた。
何気なく祥介はヘッドセットを被ってみる。目の前に映ったのは中学生くらいの女子が風呂に入っている映像だった。ヘッドセットの側面のボタンを押すと画面が切り替わり、別の部屋が映される。そこは女子の部屋のようで先ほど風呂に入っていた子の部屋と考えていいだろう。
「なるほどね……前回よりレベルアップしてるな」
前に回収したものは浴室しか見られなかったが、今回は自室も見れる。ま
るで商業施設の防犯カメラのようだ。他にもトイレやリビングと切り替えることができた。台所では女子の母親らしい女性が夕食の準備をしている。平和な光景のはずなのに胸が痛くなった。
突如、身を震わせるような殺気を感じ祥介はヘッドセットを外す。目の前には雪華の怒りの矛先がこちらに向いていた。
「か、確認だよ。見てないって」
弁明するも雪華は舌打ちを大きく鳴らした。まぁ浴室の最中は若干見えたけれど。
「返せ!」
少年が焦りと羞恥心を混じり合わせた顔で動き出した瞬間、雪華の裏拳が少年の頬へまともに入った。衝撃は凄まじく、少年の身体は回転しながら壁に叩きつけられる。
「好きな子のプライベートを見られて良かったわね。死ぬほど気持ちが悪いけど。あー気持ち悪い」
少年は雪華の侮蔑の言葉に何も言えないようだった。
頬に受けた打撃よりも受けた傷は深いように見える。それにしても雪華の嫌悪感はいつも以上に強いように感じた。そういえばこの少年と雪華は同い年の中三だったと思い当たる。これまでは中年か若くても大学生だったので、他人事と割り切れないのかもしれない。
覗かれていた女子も同じ中三だからだ。とはいえ、少年のフォローは入れておく。
「雪華。一応、こいつも被害者の部類だぞ」
「冗談でしょ」
フォロー空しく即答で言い捨てると、雪華はハンドガンの銃口を少年に向けた。少年はひっと悲鳴を上げて頭を抱えた。
「これを買った先の連絡手段は?」
「し、知らない知らないっ! 駅の近くで会って、それから何回か会っただけなんだよ」
さすがにこの状況で嘘はつけないだろうな。
「多分、同じ相手じゃないか?」
「そうね」
雪華はそう呟くと静かに撃鉄を落とした。少年は叫び声を上げて死にたくないと何度も小さく連呼している。
「あー、君。その、すごく痛いだろうけど死ぬわけじゃ」
祥介の言葉は言い終わる前に雪華の放った銃声にかき消えてしまった。弾丸は少年の側頭部にあたり、不自然に引っ張られたように床に倒れた。思わず呻いてしまう。
「うわ……お前、頭に当てるなよ。後遺症残ったらどうすんだ」
「知らない。そのまま死ねばいいんじゃない」
他人事のように言うと雪華は机の中や部屋を物色し始めた。霊符が他にもあるかもしれないからだ。霊符さえあれば、違うヘッドセットでも同じ映像が見られるのである。
ヘッドセットに目を落として祥介はため息をつく。女の雪華には当然許せるはずがない行為に思えるだろうが、可愛いクラスメイトのプライベートが見れますという広告商品をぶら下げられて手を伸ばさない男子中学生が果たしてどのくらいいるだろうか。
いや、ダメなんだけれども。
子どもなら理性よりも前に迷うのは無理もない気もするのだ。何より憎むべきはそんな純粋な欲求を金儲けに使っている連中である。
霊術の本来の意味は人を救うためのものであって、こんなことに使うものでは決してない。そう思いながら祥介がヘッドセットの霊符を剥がしたときだった。
祥介の視界に奇妙な変化が現れた。まるで絵の具で滲ませるように徐々に部屋が少しずつ変わっていく。
「おいおいおい。なんだこれ」
雪華も気付いてため息をついた。
そのあとすぐに、二人の姿は少年の部屋から消えてしまった。
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