善意の連鎖

「善意の連鎖」という言葉について最近よく
思いを巡らせている。
誰かの善意に触れた時、
それがトリガーとなって善意が生まれ、
誰かに善意を与え、またそれがトリガーとなって
次の善意が生まれる。。。
そして善意は連鎖する。
善意が感染していき、善意が蔓延していく。
全世界に自分の些細な善意が波紋を起こしているのかもしれない。
世界の色々な場所で同時多発的に(別に同時じゃなくてもいいけど)
善意を起こしたら世界がまるっと善意に包まれる瞬間をおこせるのかもしれない。
そんな考えを巡らせて、ブルっと身震いし
ひとり部屋で興奮している。

この言葉を聞いた時、
何かずっと自分が言いたかったことを
言い当てているようで「わわわ」ってなった。
これは、数年前にテレビでボスを見た時に似ている。
数年前、ボスをテレビで見て、
私は「この人と仕事したい!」と思った。
なぜ、ボスと仕事がしたいかと思ったかというと、
当時私は、強烈に自分に生きる意味を与えてあげたいと思っていた。
なんとなく生きるでは生きれないくらい生きることにハングリーだった。
なのでどんな生きる意味を自分が持てば、「よし、生きよう!」と
心から思えるか模索していた。
自分がイキイキしたパターンを思いめぐらせた。
「夢や目標を持てばいいのだろうか?」
「誰かを深く愛せばいいのだろうか?」
「ストイックに何かと向き合えばいいのだろうか?」
「好きなことを探求すればいいのだろうか?」
「自分自身と深く向き合えばいいのだろうか?」
そのどれもを過去にしたことがあり、
すべて私に生きる意味を与えてくれたことだったが、
そのときは全てピンとこないものばかりだった。
そんなおり、テレビでボスを見て、
「これだ!」と思った。
「社会貢献」これなら本気にまたなれそうだと思った。
そう思い新しい世界へ飛び込むと、
案の定、本気になった。超本気になった。
「社会貢献」という志が、私をまったくブレささずに
推進力をくれた。
「社会貢献」を大切に思っている人たちがたくさんいる世界が
そこには広がっていた。
そしてやれることも、やれそうにないことも
とりあえず、かたっぱしからやった。
「社会貢献」という主軸があれば、
目の前のことに対する
行動の判断が鮮明につき、
動きやすかった。
でも、「社会貢献」という同じ目的を抱えながらも
同じ価値観でくくれるひとばかりではなかった。
みな、「社会貢献」を大切に思い、
それぞれの事業や活動を展開していたが、
お互いの「社会貢献とは」がそれぞれ違っていた。
「社会貢献A」「社会貢献B」「社会貢献C」、、、「社会貢献Z」
といった形で目指す社会貢献の内容が違いすぎて
収拾がつかない状態も多々あることを知った。
とある人がしたい社会貢献が「社会貢献A」なら
それを推進するために「社会貢献B」を邪魔したり
阻止したりしてしまっている状況も目の当たりにした。
全ての社会貢献A〜Zまでを網羅するような
抽象度の高い「社会貢献ミラクル!」みたいな概念は
ないものだろうかと漠然と思っていた。
その概念を主軸にもてば、
もっとみんなが爆発的な力を発揮して
強烈な協力体制が生まれるのではと思った。
どんどん、どんどん、俯瞰していき、
全ての価値観を丸っと包めるような概念はないか
模索が始まっていた。
だけど、俯瞰すればするほど、視野はぼやけて
ぼんやりするばかりだった。
そんなぼんやりしたものは主軸として
置きづらかった。
そんな中、
何かが閃くのを
何かを引き寄せるのを
ずっと潜在的に待っていた。
そしたら、来た。

「善意の連鎖」という言葉として
それはやって来た。
どんどん、どんどん、自分の中で
答えに近づこうと、壮大に広げていっていたが、
答えは真逆の方向である、すっごく些細な中にあった。
今すぐに、誰にでも、お手軽に起こせる
一個「善意」を差し出すことに集約されていた。
それは、
そっとやさしく微笑むとか、
一言励ましの言葉をかけるとか、
誠実に自分の考えを述べるとか、
本当にできない理由を探す方が難しいくらい
些細なもので十分スタートとして
事足りているということだった。

自分が生きる上でしたいこと、
自分の生きるとは何かを言い当て、
ただそれを死ぬまでし続ける、
それこそが生きているということだと
言い切れるくらいの、
それをしていなかったら死んでると同然だと
言い切れるくらいの、
その一言を手に入れた。

「私は、『善意の連鎖』を起こし続けたい」

受け取った善意を、自分で途絶えさせずに
贅沢言うなら、ちょっとクリエイティブに変化させて、
次の連鎖へ繋いだり、
善意の連鎖の発信源になり、
「宇宙の果てまで連鎖しろ!」と
思いを込めて目の前の人に愛を差し出したり、
そんな連続が私の生きることですっていう人生、
めちゃくちゃ熱い。

そうなると、することは、シンプルだ。
善意の連打と、善意の大放出。
善意を成熟させるよう努める。
より善意に紳士に向き合う。

自分が思う「善意」を相手に提供することが目的なのではなく、
相手が「善意」を「善意」として受け止め、
次の「善意」を喜びで起こしたくなる、
その先の先の先の展開を起こせる「善意」。
奇跡を起こせる引き金は、こんな些細な中にあった。

このことが私に届くまで
最初の善意の引き金を引いた人、
その道中連鎖を繰り返してくれた人たち、
そして私に届けてくれた人、
どうもありがとう。
ちゃんと受け取りました。

私も連鎖の一つになって、続けるので、
回り回って感謝とともに善意が
あなたに届いてくれるといいな。

素敵な善意をありがとう。

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