小春日和のセーラムドライブ 5
11月に入り、爽やかな晴天が続いていたが、朝晩はぐっと冷え込み、山あいの盆地はめっきり秋が深まり始めていた。
「どうした? ぼーっとして」
美里を競馬場に連れて行く約束をした週末の直前の金曜日、省吾が机上の電話機を焦点の定まらない目で見つめていた時、支店長に声をかけられた。
「いえ。何でもありません」
省吾は慌てて机上の書類に視線を戻し、途中だった書類の校正を再開した。
ちらっと斜め右前に座る美里を見ると、心配そうな顔をしていたが、目が合ったのは一瞬で、後は何食わぬ顔をして、二人ともそれぞれの仕事に取りかかった。
ここ数日、天皇賞の日の辰野との会話を思い出すことが多くなった。その度に仕事の手が止まってしまい、それを今日は支店長に咎められたのだ。
研修終了後の配属先については、期間中の勤怠状況や適性を判断されて決められ、本人が希望を述べる機会は与えられていない。そして、仮配属先にそのまま本配属になることはないということは聞かされていた。
省吾は約7カ月前に、社会人としてのキャリアをスタートさせたばかりである。就職先として選んだこの会社で頑張っていこうと、前向きに考えていた。
一方、美里は、短大を卒業して3年目。この時代の地方都市における、所謂「結婚適齢期」に差し掛かっていた。病気療養中の父親も、パート勤めしている母親も、娘の幸せを願っていることは間違いない。
だが、おそらく両親の考える一人娘の幸せが実現するには、それを妨害する人間には身を引いてもらわなければならないだろう。それは言うまでもなく省吾自身であった。
土曜日、二人はいつものように省吾のアパートで夕食を共にし、食後のコーヒーを飲んでいた。
「明日、何時頃に行けばいい?」
美里が明日、競馬に行くための出発時間について口を開いた。
「競馬自体は朝からやってるけど、そんなに早く行く必要もないから、10時頃に駅の改札でいいよ」
「わかった。…ねぇ、省吾。昨日、支店長に注意されてたじゃない? 今もコーヒー飲みながら何か考え事してるような顔だったよ」
「そんなことないよ」
「本配属のこと?」
「いや…」
美里に言い当てられて、省吾は返答に詰まった。その場しのぎで話の矛先を変えようとした。
「そういえば、最近お父さんの具合、どう?」
「うーん、相変わらずかな。あんまり良くないよ」
「そうかぁ…」
「…。省吾も一人っ子なんだよね…」
美里はコーヒーカップを持つ自分の指先を見つめながら、消え入りそうな語尾で呟いた。話題はかえって核心に触れる方向に向かい始めていた。
美里の言った「省吾も」の部分には、それだけでこの話の持つ意味、結論を表しているようだった。
二人が付き合い始めてから3カ月が過ぎたが、美里は決して省吾のアパートに泊まることはなかった。徒歩で帰れる近さに自宅があることも理由の一つだが、もう一つ、省吾の存在を両親には説明していないこともあった。
それは、美里の方でも二人の行く末を案じていることの証に他ならなかったし、省吾もまた、なぜ両親に自分のことを説明しないのか、と問いただせるわけもなかった。
帰宅する美里を大通りに出る手前まで送っていき、自室に戻った省吾は、椅子に座り、腕組みをしながら、壁にかかる11月と12月の2カ月分を表示しているカレンダーを、しばらく眺めていた。
本配属の発表まで約1カ月、遠距離恋愛という単語、美里の両親のこと、「省吾も一人っ子なんだよね」という先程の美里の言葉、将来、馬主となっている自分…。様々な思いや想像が頭をよぎった。
どのくらい、そのままでいただろうか。省吾は一つ大きな溜息を吐いて、立ち上がり、部屋の電気を消した。
(続く)
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