想像していた日
若い頃から「将来のある特定の日が実際に到来したら、その時はどんな感想を持つのだろう?」と想像することが多かったように思う。
それは「ノストラダムスの大予言」のような皆が知っているような話ではなく、もっとパーソナルなトピックで、例えば幼少の頃でいえば「将来母親が亡くなった日というのは、どんなに悲しいのだろう?」といった類の話である。
二十代の一時期の時間を共有し、その後離れてしまった人がいた。
暫くして「もし何年後かに偶然会ったら、その時のお互いはどんな境遇なんだろう?」と、ふと想像することも増えていった。
しかし、偶然会うことはないうちに、その何年後はいつのまにか2桁になり、十の位は1から3になっていった。
そして、時代は昭和から平成を経て、令和になって5年目、ここまで読んできて、ついに会・・・と思っている方もいるとは思うが、残念ながらそうではない。
生まれた年の干支に還る現実が近づいてきた少し前から、「当時二十代の青春真っ只中だった二人が還暦を迎える時というのは、共に過ごした時代の相手しか知らないお互いにとって、どんなに感慨深いものか」と想像していた。
実際にはその時が到来しても、それは想像とは少し違って、特別に感傷に浸るわけでもなく、単に「光陰矢の如し」というありきたりな思いを感じながら、ただ今の日常に追われていた一日だった、という記憶を残しておこうと思ったのである。
「思い出は思い出のままで色褪せていくからこそ美しい」。
そのとおりかもしれないが、少し寂しい気もする。
※ この記事はフィクションです ※