ラス前の瞬間
視聴メモ: 十八の瞬間
こんなに最終回を観たくない、このままずっと観続けていたいと、ラス前の回を観終わった瞬間に思ったドラマは久しぶりである。
韓国では数え年が普通なので、日本の満17歳の時のストーリーだが、私は自身が18歳の時を思い出しながら観ていた。
今でも覚えているが、私は18歳になる年の年賀状に「今年の目標」として、『モラトリアムからの脱出』という標語を書いた。
ちょうどその頃に「モラトリアム人間の時代」という書籍が広く読まれていたことと、「勝利への脱出」というサッカーの映画を観たことから思いついた、という理由まで覚えている。
当時の私の高校生活は、校内人気投票で1位になったバンドで学園祭で演奏したり、多くの友人に恵まれ、楽しい時間を過ごしていたのだが、その一方、若い貴重な時間をキリギリスのように享受しているだけでよいのかと自問をし、卒業後の進路については、学びたい学問を専攻するか、就職のしやすさを考えての学部選びにするかについて迷い、なぜ好きになった子には振り向いてもらえず、好きになろうと頑張ってもそうなれなかった子には好かれる、というふうに恋愛はうまくいかないのか、など、18歳ならではの人生の壁を感じながら、それを前にして足踏みをしているようだった。
とにかく、そのような標語を作って年頭に目標とするぐらい、あらゆることにモヤモヤしていた年齢だった。
おそらく父母、教諭等、このドラマの登場人物の役柄全員より年上である私に、遥か40年近く前に感じていた、そのような子どもから大人への階段を登る途中の揺れ動く感情の不安定さや、「もう大人である」と自他共に認めたい、認めてほしい気持ちと、それと背中合わせの「まだ子どもなのに」という自他共に認めざるをえない気持ちのせめぎ合いなど、多感だった時期を思い出させてくれたドラマである。
主人公はもちろんのこと、友達のために皆で協力したり、応援したりするクラスメイトの一人々々もとても眩しく、懐かしく、そして羨ましくも思えた。
人生の折り返し地点を過ぎ、クロージングをぼんやり考え始めるようになると、紙に書いたかのように自身のライフラインチャートを指で辿り、鮮やかに色づいていた時期に思いを馳せ、数十年前の自分をドラマの主人公に重ねたくなる。
ジュヌの入試会場で、スビンが自分たちのキャンパスライフを空想する場面があるが、そんな若い二人の何気ない日常の延長を、ずっと観ていたいと思わせた。
だいたい気に入ったドラマでも続編は望むことは少ないのだが、このドラマについては、十九でも二十でも、その後の二人の成長を追ってみたい。
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