小春日和のセーラムドライブ 7
「例えば、省吾の配属先が東京になったとするじゃない? しばらくは遠距離恋愛も続けられると思うよ。でも、その先は?
私は結局、両親を置いてついていけないんだよね。じゃぁ、そうかといって、省吾はせっかく入ったばかりの会社辞めて、あの街で仕事探して、私と暮らせる?」
美里は生来の小さな声ではあったが、それでも一息に捲し立てた。省吾が黙っていると、更に続けた。
「だから、仮配属で来た省吾を好きになっちゃいけないって、最初は心にブレーキかけていたんだよ。でも、人間の感情なんてそんなふうに制御できるものじゃないし」
美里は普段の会話のテンポに戻しながら、照れ笑いを浮かべて、省吾に向き直った。
「でね、私はいずれごく近い将来に終わりが来るにしても、それまでを精一杯自分の気持ちに正直に過ごすことにしたの。
そして、いざ、別れる時が来たら、後悔しない、相手を恨まない、その後連絡は取らない、って決めたの」
省吾は、まず別離の瞬間の二人を想像して、次にその後音信不通になった二人を想像した。それだけで現実になる前から受け入れがたい気がして、顔が歪んだ。
「今日も、せっかく省吾と出会って、それまで縁もゆかりもなかった競馬に連れてきてもらったんだから、今のこの二人の瞬間を大切にしたいの」
しかし、美里にそう言われて、省吾はその意思を尊重するより他はなかった。
富士ステークスに出走する馬が馬場に入場してきた。場内アナウンスが流れて、競馬新聞に目を落としていた美里が顔を上げた。
「私ね、前にテレビで観てから新婚旅行で行きたい場所があるんだ。フロリダのキーウエストって知ってる?」
省吾は首を振った。
「そこにセブンマイルズブリッジっていって、エメラルドグリーンの海の上をずっと延びている橋があって、そこをドライブしたいんだ」
省吾は「新婚旅行」という単語を聞いた時から、当然美里を助手席に乗せ、その橋の上をドライブしている自らの姿を思い浮かべたが、美里は続けた。
「まぁ、新婚旅行なんて、誰と、いつ、行けるか、わかんないんだけどね」
そう言うと、視線をターフビジョンの方に移しながら、寂しそうに笑った。
「なんで急にこんな話をしたかっていうと、ほら、この6番の馬の名前、セーラムドライブって書いてあるじゃない? セーラムっていうタバコあったよね? あれ、箱がエメラルドグリーンじゃなかったっけ?」
「ああ。メンソールだし、そんな気もする」
「それにドライブがついてるんだよ。私はこの馬に賭ける」
「単勝にする?」
「1位になればいい馬券?」
「そう。1位とは言わない、1着だけど」
「ああ、ごめん。1着だね。でも、それだけだとつまんないかな…。あっ、この青空を想像するスカイチェイスとの組み合わせも買ってみようかな?」
「それじゃ、1、2番人気の組み合わせだよ。配当つかないよ」
「当たっても損するの?」
「いや、他に買わなければ、当たれば損はしないけど」
「じゃぁ、セーラムドライブの1着の馬券と、この2頭の組み合わせを買う」
「わかった。買ってきてあげるよ。いくらずつ?」
「いい。せっかく連れてきてもらったんだし、自分で買ってみるよ」
美里はそう言って立ち上がり、馬券売り場の方へ歩いていった。省吾は美里がうまく買えるかどうか不安になり、少し遅れてついていった。
(続く)
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