【自然からの学び】
【草取りから学ぶ】
月とたねの田んぼは、
田植えをする前、田植えをしてからすぐに
草取りに入ります。
草取りの方法は、
・手で直接取る
・草取り用の道具やクワを使って土を撹拌して浮かす
・チェーン除草器を引っ張って歩く
・原動機付きの除草機で撹拌して浮かす
です。
1回目の草取り作業では、
・手で草を取った田んぼ
・チェーン除草をした田んぼ
・道具で草を浮かせた田んぼ
とあります。
草の種類や生育状況によって取り方が変わります。
オモダカやコナギの子どもたちのように田んぼ1面ビッシリと生えている時は、
浮かせる除草になるのですが、
稲のすぐにある草たちは上手く取り除けません。
セリやイボクサのような草たちは、
あまり浮かない上に浮かせてもまた活着する可能性が高いため手で取り除くのですが、
土の中に茎が広がっているため、少し残っているだけでもあっという間に復活してきます。
本当に草によって対応も対策も変わります。
ですが、そんな草たちのことも大切にしています。
自然農の哲学に「虫や草を敵としない」という話があります。
これは僕の考えですが、
「虫や草たちを敵としない」とは、
「虫や草たちの役割や原理原則、名前や特徴を知る」ことであり、
核にある部分は、
「自分にとって相容れないことを否定せずに知ろうとする」と同じかなと思っています。
ガンディーの「非暴力、不服従」とも
根っこは同じなのかもしれません。
月とたねのお米つくりは、
虫や草たちの役割を知り、名前を知り、よく観察して、草たちの持つ原理原則を知り、
自然と共存しつつ、自然のエネルギーを最大限に活かして美味しいお米になってもらうことです。
そのために草たちを取り除くこともあります。
だからこそ、草たちのことを知ろうとする気持ちや理解しようとする気持ち、感謝の気持を大切にしています。
自然への敬意、地球への敬意、歴史への、人への。
違いや文化、歴史を知り、
それを認め合える社会にしていけたらと思います。
何かが起こる度に、派閥をつくり、二元論や極論になったり、分断が起きて、攻撃し合ったり。
それは大きな社会問題から家族の小さなケンカまで。
そうなっている理由は、
一部の情報だけを捉えたり、
歴史や文化、アイデンティティなど、
相手のことを知ろうとせずに、
善悪や良し悪しという自分の考えを押し付けてしまっていたり。
結局は人と人なのだから、
相手を思いやったり、敬意を払ったり、話し合ったりする時間が大切なんだと思います。
住む家があって、食にも困らず、大切な家族がいて、好きな人生を歩んでいることを忘れてしまうのかもしれません。
心にも時間にも余裕と栄養とケアが必要ですね。
自分へのメッセージ。
心と時間の豊かさを大切に暮らしていきます。自分を大切に自分らしく生きていきます。
読んでくれてありがとうございます。
月とたね
大西 ひろき