【食を大切にする】
こんにちは
月とたねは、田植えの真っ最中です。
昨日、今日と大雨のため休止中。
田植え機の田植えは終わりましたが、
順番に補植と草取り、ケモノ対策の電気柵やネットなどを設置しています。
その中の【補植】について、
そこから広げて話してみようと思います。
補植
というのは、
田植え機でうまく植えられなかったり、田んぼの隅まで植えるための【手植え】のことを言っています。
田んぼに入り、苗を持ち、一本一本、泥の中に手で植えていきます。
大きくなりすぎた稲以外の草たちを取りながら。
田んぼ
の中を歩いていると、
土の中の感覚や水の感覚をしっかりと感じられます。
太陽の当たり具合や時間によって、温かいところとそうでないところが、
ハッキリと分かれていることもあったり、土も表面と下の方では温度が違います。
太陽が当たらない日は、土の底に手を入れるとすごく冷たいこともあります。
トロトロのところもあれば、
モッチリしてるところもあったり、
生えている草の種類や多さも様々です。
そんなことを感じながら、苗を一本一本植えていきます。
温度や触感、エネルギー、自然との、
人との、世界との、
つながりを感じながら。
食を
食べている時もありがたいなぁと思いますし、自分で育てたお米は毎日毎日絶品です。
だけど、
それ以上に【食】を大切に感じる、想う瞬間が、田んぼに入っている時なんです。
食を大切にするということは、
田んぼの中に入っていること。
昔は
山奥ではお米やお茶をつくり、
街から来る魚などと交換をしていたそうで、魚を売りに来た人たちは、帰りの方が荷物が多くなり大変になるけれど、お互いがとても豊かな感覚だったと聞きます。
手に入る食べるものは、自給が当たり前でした。
いつしか、
経済活動が発展していき、
食糧を持つことよりもお金を持つことが大切になっていきました。
資本主義経済、自由主義経済、
お金を持つ人が偉く、強く、立派であるように感じてしまう世界へと変わる中で、教育、経済活動などが、
自給や食糧生産よりも優先的なことになっていきました。
便利なものやサービスも増えて、
レストランやホテル、娯楽も増えていき、自給や食糧生産は全くせずに働いてお金を手に入れることで、楽しく豊かな生活ができるようになりました。
そして食糧生産は、そうした経済活動がない土地で集中的に大規模にするようになりました。
現在
は、
自給や食糧生産をしている人たちが少数派でさらにさらに減っていっています。
日本の人口が減っているので、
生産者や生産量が減ってもバランスは取れそうですが、スマート農業、大規模集約農業という効率化、合理化が進められて、食糧生産は工場生産のような管理となっています。
ただ、そこには農家の高齢化や
代々の農地を守っていきたいという想いなど、食糧生産の意味合いとは違う観点の想いも入ってくるため、
今や未来への恩恵、今や未来への悪影響はもちろんあるので、
どちらが良いとか悪いということではないと思います。
34歳
まで、
お金をもらうために農家で働いた事はあったけれど、
お米を育てたことがなかった僕。
お米つくりを始めてから、
自然豊かな環境で過ごし始めてから、
食を大切にする、食を大切に想う、
生きるということ、豊かさや楽しさ、
幸せというものを【お金】や【経済活動】には起因しない部分で感じられています。
お米つくりを始めたのは、
自分を大切にする。
心と時間の豊かさを大切にする。
経済や社会と関わりながら、
時代とともに生きながら、
自分らしくバランスをとって暮らしていきたいと想ったから。
昔の人達が時間=人生をかけて、
山を開墾し、棚田をつくり、畑をつくり、食を自給してくれていたおかげさまで、
今の環境に暮らすことができて、棚田をまとめて大きくした田んぼでお米つくりができています。
それは、
時代や経済発展のおかげでもあるわけです。
食を大切にしたいと思ったら、
食の自給や食糧生産に関わっていくと、本質的なことを全身で感じられるかもしれません。
より高いエネルギーを持つ、本来の【食】と出会えるかもしれません。
元々持っている感覚。
生きものとしての感覚。
人間の歴史の中で積み重ねてきた感覚で感じるもの。
だから【食】は、
心地良くて、楽しくて、幸せになれるのかもしれませんね。
生きていること
暮らしていること
食べれていること
美味しく頂けることに感謝して。
心身になっていくイメージで美味しく食べたいですね。
おかげさまです。
ありがとうございます😊
月とたね
大西ひろき