#26 ”更生のウラ”「性犯罪DBSの妥当性について」
性犯罪DBSの導入が、今ちょうど検討されているようだ。
性犯罪者が刑期を終えた後、子どもと触れ合えるような職につくことを制限することが目的だろう。イギリスなどではすでに導入されている制度のようである。
ちょうど法曹youtuberである岡野タケシ氏がShort動画でこの件について言及しているので見てみたのだが、コメントは驚くほど賛成派で溢れかえっている。
実際に動画を見てもらえば一目瞭然だが、コメントは制度に賛成する意見で溢れかえっている。その人権やプライバシーに関して憂慮するようなコメントを探すのに実に苦労した。
また、筆者が大好きなAbema Primeでもこの件は取り上げられていた。
自分の見解をまず話すと、このように国の定める刑期のほかに前歴のある人間をさらに追跡するような動きには頷けない。
根拠を順番に振り返っていこう。
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まず、犯罪白書より性犯罪の再犯についての統計を確認するべきだろう。
性犯罪者における同一罪状での再犯率は強制わいせつで7.6%、強制性交で
3.0%であり、これは刑法犯全体のそれ(14.8%)と比べて低い値に押さえられている。性犯罪においてその再犯率が高いというようなデータは見受けることができなかった。
例えばだが、性犯罪においては再犯率が80%を超えるというような状況があるのであれば、そうした犯罪者を更生後も子供からは隔離するような動きは必要になるかもしれない。ただグラフを見れば分かる通り、性犯罪者の再犯率は高いどころか、むしろ他のものと比べて低いとすら言えるだろう。
このことより、はっきりと言えることがあるように思う。
性犯罪者への更生後の権利の制限は、その再犯率の高さ、即ち更生後に新たな誰かが被害に遭うことを懸念して行われるものではない。では何がそうさせているかと言えば、性犯罪に遭いやすい女性がとりわけ忌避感を覚えやすい犯罪ということで、その共感されやすさを世間が反映したものと考えるべきだ。
もし本当に更生後の再犯を懸念するという立場に基づくのであれば、人を殺した人間などは塀の外に出させて一般人と触れ合えるような状況に置いてはならないだろうし、窃盗者は手首を切り落とすべきで、はたまた嬰児を殺した母親は子宮を潰しその出産能力を奪うべきだろう。そうすれば再犯など決して起こらない平和な世の中が完成するはずだが、そうした声が聞かれることは未だにない。これだけ再犯への懸念の声が広がるのは〝性犯罪〟においてのみだ。
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では、なぜこれだけ性犯罪においてのみ、再犯を憂う動きは加速しやすいのだろう。自分はこう考える。女性という生き物は、多かれ少なかれ誰もが性犯罪被害者なのではないだろうか——と。
例えば、殺人や傷害は性犯罪に匹敵、或いはそれを凌駕する重犯罪となるだろうが、我々はその被害者となった立場を具体的に想像することが難しい。我々はそのほとんどが、他人にナイフを向けられ殺すぞと脅されたことがないし、素手で殴り合うような喧嘩をしたことがない。それらの犯罪は、ふとした衝動からあるときぽつんとそこに発生するような、いわゆる点的な犯罪だと言えるかもしれない。
しかし性犯罪においては話が違う。女性はそのほとんどが「性的に不愉快」という感情をどこかで経験している。つまり、男性からの性犯罪にあった人間に対し「ああ、あのとき不快感をさらに上増ししたようなものを彼女も味わったのだろう」と具体的に想像しやすいのではないだろうか。性犯罪に遭った女性の不快感がレベル5だとすれば、2か3くらいまではほとんどの女性が経験しており、この感情の延長線上に犯罪被害者の心理があるのだと想像しやすい——いわば性犯罪はそんな線的な犯罪であるように感じるのだ。
性犯罪とならないレベルても、女性の性的な不快感というものは街中に転がっているだろう。電車でじろじろと見られる、男子の下ネタが不愉快、身体的な特徴をからかわれる——。これらはすべて、質の高い男の遺伝子を厳選したい、即ち質の低い遺伝子を体内に入れたくないという負の性欲から発生する防衛本能ともいえるだろうが、それを刺激しているという点で、刑法に触れるような性犯罪と「実際に体に触れたか」「むりやり有形力を加えたか」という違いしかない。女性視点、感情だけで語るとするのならば男性はそのほとんどが性犯罪者だったりするのだろう。
つまり女性にとって安心できる世の中とは、性犯罪者が国に定められた刑期を全うするような社会ではない。多かれ少なかれ性犯罪者である男性、その一線を越えた者が、未来永劫その一線を越えないと断言できるような、そんな社会なのではないだろうか。
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こうした女性目線に立つことで、例えば最近起こったこの事件も解釈がしやすくなるように思う。
深夜に酔っ払いにインターフォンを押されればその恐怖心は計り知れないだろうが、しかし男性目線、ドアチェーンをかけ警察を呼ぶほうが遥かに安全だ。ドアを開けて戦に踏み出す方が危険に決まっているし、女性ならなおさらそうだろう。
ただ、それは男目線でそうというだけだ。
女性視点ではそうではない。彼女たちは往々にして「自衛」という言葉を「罪人の再起不能」という意味で語ってしまう。それは男性とは違い「自分の性的資産を奪われるかもしれない」という危機感が強く発動するからこそ、そうした人間を野放しにするような策を安全な対処とは考えづらい、そんな脳の構造があるのではないだろうか。であればそうした人間をこちらから殺し再起不能にする——そちらのほうがより安全だという認知が発生しているように思うのである。
ことさら性犯罪においてその更生後も権利を制限しようという動きが加速し続けるのには、こうした背景があると自分は考える。
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日本社会は男性優位だといわれる。その構造がおかしいのだという文句は、フェミニストから幾度ともなく聞かされた。しかしそこに幾分かの正当性があることは認めるべきだろう。
女性は身体的特徴からしても「受け取る性」だからこそ、その忌避感情も一段と強く、その感情に応えるためであればどんな行動をも正当化してしまう傾向があることに先人たちは気付いていた。だからこそ女性を、責任ある立場、感情を刺激されやすい立場からは遠ざけたほうが、社会は委縮せずにすんだのではないだろうか。
性犯罪DBSなるものが女性にとって実に正当なものだというのは分かる。他の先進国が実施しているというのなら日本でもじきに実施されることだろう。
しかし断言できるのは、そうした女性の私的な制裁ともいえる罰が拡大すればするほど、男性は自分がいつ罰せられてもおかしくないと感じて、社会はより委縮するということだ。
その委縮は現在進行形で、じわじわと進んでいる。